訪問先 湖北省博物館(Húběishěng bówùguǎn)
訪問日 2022年6月18日(土)
湖北省博物館だが、2021年12月20日に新館のオープンと伴い、数多くの展示品が新館へと移動。いわば湖北省博物館はリニューアルオープンしたのだ。リニューアル後、一度も湖北省博物館へ行ったことなかったので行ってみることにした。
では行ってみましょう!
●湖北省博物館の場所は??
湖北省博物館は東湖のそばにあり、最寄りは地下鉄8号線の省博湖北日報站(Shěng bó Húběi Rìbào Zhàn)だ。
地下鉄8号線の省博湖北日報駅の改札を出る前。矢印に従って歩きます。
改札を出た。今度は左に行けとある。
地下からでてきました。目の前には国旗が掲げられいます。
これが湖北省博物館。だがこちらは旧館で、出口専用となっている。
新館は旧館の裏側になるようだ。裏側へと回ります。
ぐるーと歩いて10分、新館が見えてきた!
こちらが新館の入り口だ。とにかくドでかい・・・・。
エントランスに入りまして、右側の展示室へ行きます。
湖北省博物館を代表する展示品がある「曽侯乙(Zēng Hòuyǐ)」の埋葬品に関する展示だ。
展示の前書きに曽侯乙の説明がある。曰く「紀元前5世紀・周王朝の諸侯の一つ曽国の君主。1978年湖北省隋州で曽侯乙の墓が見つかり、その出土品は1万5千点余り。その中でも礼楽の文化が非常に成熟していた」とある。
分かりにくいが、曽侯乙の墓所のある隋州の場所だ。尚、蛇足になるが隋朝の”隋”はこの隋州からきている。
●さてと、埋葬品を見ていきましょう!
「鑲嵌紋飾銅盥缶(Xiāngqiàn wénshí tóng guàn fǒu)」洗面用の水を蓄えておく容器だったらしい。
こちらも「鑲嵌紋飾銅盥缶」。この写真に写っている柄杓だが、、、
柄杓の柄にはトルコ石(中国語:緑松石(lǜsōngshí))が散りばめられている。
こちらは「銅盤(tóngpán)と銅匜(tóngyí)」だ。古代貴族は、手洗いの儀式の際、匜(い)という小さな銅器から水を垂らし、その水を盤で受け止めたという。それぞれに「曽侯乙作持用終(≒曽侯乙が使用する)」という銘文が彫られている。
「三足銅匜、銅鳥喙形器(sānzú tóngyí、tóngniǎo hùi xíng qì)」。匜(い)も洗面用の銅器だ、出土時、左側の鳥の嘴のような棒がこの匜のなかに入っていたそうだ。
「大銅匜鼎(dàtóng yí dǐng)」。匜(い)と鼎(かなえ)が合わさった青銅器だそうだ。
こちらだが、説明書きを取り忘れてしまったのだが…。銅の細工が非常に細かいことに気が付く。
「敬天崇祖」とあるが、天を敬い先祖を崇めることは中国文化の根幹であるが、曽侯乙も祭祀で天のご加護を求めた。その際、祭祀が礼楽と青銅器の文化を発展させることになった。
「銅九鼎八簋(tóng jǐudǐng dāgǔi)」。上の段には9基の鼎と下の段に8基の簋(き)がある。鼎には肉を盛り、簋には穀物を盛ったと考えられている。
銅九鼎八簋をちょっとアップで撮影。簋のふたにはきれいなお花のような取っ手がついている。
「銅鍳缶、銅過濾器(tóng jiànfǒu、tóng guòlǜqì)」。説明文を読んだが分かりにくかったのだが、酒器の一つで上の網目を使って濾過を行うそうだ。
銅鍳缶、銅過濾器もだが、非常に細かな細工が施されている。
「銅聯禁大壺(tóng lián jǐn dàhú)」。こちらも酒器で、お酒をいれた大壺だ。
●湖北省博物館のメインの展示の一つ「曽侯乙の編鐘」
湖北省博物館のメインの展示の一つ「編鐘」だ。孔子は「興于詩,立于礼,成于楽(詩に興り、礼に立ち、楽に成る)」と論語で言っている。
まずは説明には、長さ7.48m×高2.65mあり、総重量5トンになるという。十二律の音階になっているという。
これが曽侯乙の編鐘だ。これが土の中からみつかったのだ!
別角度から見ましょう。ごつい鐘がたくさんぶら下がっている。
こちらは太鼓のガワの部分だ。
こちらは太鼓(でんでん太鼓が大きくなったようなもの)を支える土台部分だ。上部が筒状となっており、そこに太鼓の支柱をさす。
これも鐘のひとつで、石灰石もしくは大理石から造られている。
鐘を支えていた梁だ。梁にはどの鐘をつるすべきかが書かれている。
漆塗りがほどこされた木彫の鹿らが、胴体に穴があり、おそらくは小太鼓を指すためもので楽器の一つであっただろうと考えられている。
●そのほかの「曽侯乙の墓よりの出土品」
こちらは湖北省博物館の2階にある展示だ。
この天体図だが、古代の人たちは天体観測から暦をつくりそして二十八宿図へと発展した。
*二十八宿とはなに?wikipediaさんによる説明はこちらから。
「彩漆木彫龍紋蓋豆(cǎi qī mùdiào lóng wén gài dòu)」。詳細説明がなかったのだが、木彫の漆器だそうだ。
「龍紋銅鎮(lóng wén tóng zhēn)」。曰く、古代の人は地面に座る際、四方にこの銅の重しを置いたという。
「素漆耳杯(sù qī ěr bēi)」。取っ手が耳たぶの形をした漆塗りの酒器。
「金盞,金漏匕(jīnzhǎn, jīnlòubǐ)」。金盞(きんさん/金の杯)の重さは2156gあり、先秦時代の金細工の中でも価値のある一つ。出土時、右のスプーンと一緒にみつかった。
「銅鹿角立鶴(tóng lùjiǎo lì hè)」。鹿の角を持った鶴だが、古代では鶴は神の鳥、鹿は縁起ものの獣であった。それが組み合わさり吉祥意味する。出土時、曽侯乙の棺の右側にあったという。この鶴が天と交信し曽侯乙の魂を天へ導こうとしたのではないかと思われている。
そしてこちらが曽侯乙の棺桶(外棺)だ。
外棺のなかに曽侯乙の遺体が収められていた内棺。
(たしか)曽侯乙の殉死者の棺桶。13歳~25歳ぐらいの女性が一緒に埋葬されていたそうだ。
●湖北省博物館のもう一つの目玉「越王勾践剣」
湖北省博物館のもう一つの目玉の展示の「越王勾践剣(Yuèwáng Gòujiàn jiàn)」だ。
この剣は、1965年冬、荊州市の江陵望山1号墓より出土した。
剣には鳥蟲書(ちょうしゅうしょ)という書体で、初期段階の解読で”越王”と”自作用剣”と読み取ることができた。2か月強の時間を経て、この剣は越王である勾践(こうせん)の剣であることに達した。
*鳥蟲書(ちょうしゅうしょ)とは何?勉強のために、wikipediaさんの説明を張り付けておきます。
春秋戦国時代の呉国や越国の青銅の武器には菱型も紋様が装飾されているという。越王勾践剣には2本の平行で交互する線が引かれ、線が交わる部分には花形の模様となっている。
では越王勾践剣を見てみましょう!
これが越王勾践剣だ。この剣のすごいところは2000年も経っても錆びずにその当時の輝きのままであるという点だ。
長さ55.7センチ、重さは875グラム。剣にはトルコ石が埋め込まれている。
剣に彫られている鳥蟲書の「越王勾践 自作用剣」とあり、意味は越王である勾践が自ら作り用いた剣という意味だ。妖刀のかのように眩しさ感じる剣だ。
*wikipediaさんに越王勾践剣に関する説明があったので載せておきます。
*wikiediaさんによる越王勾践の説明。あの成語「臥薪嘗胆」の元になったのもこの勾践だ。
*ついでに「臥薪嘗胆」とは?wikipediaさんによる説明はこちら。
●湖北省博物館のそのほかの展示品
「曽伯文銅簋(Zēng Bówén tóng gǔi)」。1970年湖北省隋州で出土した春秋時代早期の青銅器。尚、簋とは穀物を盛る持ち手付きの青銅器だ。
「曽侯諫銅鼎(Zēng Bójiàn tóng dǐng)」。2011年湖北省隋州より出土した周時代早期の青銅器。
「獣面紋銅罍(Shòu miànwén tóng léi)」。2013年湖北省隋州で出土した周時代早期の青銅器。
「曽侯諫銅盉(Zēng Hòujiàn tóng hé)」。2013年湖北省隋州で出土した周時代早期の青銅器。盉(か)は酒や香料や水などを調合するための酒器だ。
「半環形龍紋銅鉞(Bànhuánxíng lōngwén tóng yuè)」。2013年湖北省隋州で出土した斧または鉞(まさかり)形の青銅器。この鉞は当時、君主クラス以上の貴族でないと所有ができなかった。
「盤龍獣面紋銅罍(Pánlóng shòumiàn wén tóng léi)」。2013年湖北省隋州で出土した周時代初期の青銅器。
盤龍獣面紋銅罍を別角度から撮った写真。個人的にお気に入りの1枚なのでブログにアップ!
「麻于銅卣(Má yú tóng yǒu)」。2013年湖北省隋州から出土した周時代早期の青銅器。卣は酒を入れる壺だ。
「錯金雲紋銅鍳缶(Cuò jīn yúnwén tóng jiànfǒu)」。2012年湖北省隋州で出土した戦国時代の青銅器。
「曽伯桼銅壺(Zēng Bóqī tóng hú)」。2015年、荊門市京山素家壟墓群より出土した春秋早期の青銅器。
曽伯桼銅壺だが、上の花のように開いたところをアップで写真にとってみた。これもお気に入りの一枚。
「曽伯克父銅盨(Zēng Bókè fù tóng xǔ)」。2019年に取り戻されたもの?とのことだが、この青銅器は穀物を盛る食器で周後期~春秋初期に流行した形という。
博物館内部は薄暗いが、広々としている。
「俎豆(Zǔ dòu)」。祭祀の際、器をこの台に載せて神へのお祭りをしたという。2002年に出土した戦国時代の木製の台。
「彩絵漆木虎座鳥架鼓(Cǎi hùi qīmù hǔzuò niǎojiǎ gǔ)」。2002年戦国時代の高級貴族の墓より出土した吊り下げるタイプの太鼓。
ほかにもいろいろとあるのだが、キリがないのでこのあたりで終わりに。
ではっ。