〈世界遺産〉殷墟(Yīnxū)
殷墟王陵遺址(Yīnxū Wánglíng yízhǐ)
訪問日 2022年6月5日(日・端午節休暇)
殷墟王陵遺址だが、字の如く殷王朝の王陵であるが、祭祀を行った場所でもある。ここより13基の王陵(うち一つは未完成)、2000以上もの生贄の墓と祭祀坑が発見された。
では行ってみましょう!
*お断り。
・今回は写真を物凄くアップしています。途中で退屈になるかもしれないが悪しからず。
・人骨が出てくる写真があります。見たくない方は、ご覧をおやめください。
殷墟王陵遺址も殷墟を構成する一部分だ。宮殿宗廟遺址から王陵遺址まで約6キロほどの道のりだ。
タクシーで王陵遺址へ移動中。建物がなく一面畑。誰から「ここは殷墟」と言わなければ、そうとは思わない場所だ。
タクシー下りました。この左が王陵遺址だ。一本道が遠くまで続いている。さて、まわれ左と。
目の前には「世界文化遺産 殷墟」と彫られた大きな石がある。進んでみましょう。
通路挟んで左側には「殷墟 王陵遺址」との石が置かれている。
右側ではおばちゃんが駐車場の番をしている。でもだーれもいない…。
奥にはほんのり赤いのが見える。そこが入口。王陵遺址の入口はまだ先だ。
やっと入口に到着。写真右手側にチケット売り場ある。
入り口手前にある「殷墟王陵遺址の概要」。ボロボロになっている…。
こちらは王陵遺址の見取り図。見取り図の左には「国際的な専門家が"第二の古代エジプト"と評した」、「郭沫若が"洹水安陽の名は朽ちず、三千年前は帝都だ"」と言葉が添えられている。
*郭沫若(かく・まつじゃく)は日本ともゆかりのある人物。wikipediaさんの説明。
さてチケット売り場へときました。チケット売り場には高校生ぐらいの女の子が一人。
こちらは殷墟宮殿宗廟遺址で購入したチケットだが、この王陵遺址との通し券を購入していたので、このチケットを見せて王陵遺址へ入場します。
では園内へ入ります。
大きな石には「司母戊鼎出土地」とあります。その裏には司母戊(しぼぼ)鼎の複製品があります。
*改めて司母戊鼎に関するwikipediaさんの説明。この司母戊鼎はこの王陵遺址から出土したようだ。
改めてここの王陵遺址の見取り図だ。チケット売り場の女の子曰く「入ったら左側に進んで行って」と言っていたので、時計回りで進んでいきます。
こっちの方向へと進みます。全体の写真を撮り損ねてしまったが、400メートルトラックが1個丸々収まるぐらい、とにかく大きな広場となっている。見渡すと見学者は私一人だけだ。
この生垣のようになっている場所がお墓の形となっている。ここはM1443と名付けられたお墓で1935年に発掘されたときには、盗掘された跡であった。
左下にはM1443の発掘時の写真が載っている。土の下深く掘られた大きなお墓だ。
青銅器の模型が置かれています。
では看板の方向に従って右へと折れます。
奥には建物が見えます。その途中、右側にM1400と名付けられたお墓があります。
ここがM1400と名付けられたお墓でM1443の隣にある。1935年に発掘したさい、すでに盗掘されたあとだったが、墓道よりは青銅器や青銅のお面が発見された。
さてさて、、、
まっすぐ進んでいくと「殷墟王陵区」との碑がたっています。この周辺に幾つかの建物が並んでいます。
「車馬坑陳列館」(Chēmǎkēng chénlièguǎn)。先ほどの王陵区とあった碑を左に曲がったところにある。
車馬坑陳列館の入り口にあるプレート。「殷墟で出土した実物の殷代の馬車が展示されている」とある。入ってみます(手やら風景がプレートに写り込んで見にくくスミマセン!)。
入ってすぐの前言には「伝説では、中国神話時代の黄帝の時代には馬車の原型があった。馬車は、木や金属を合わせた機械。中国は世界で最も早期に車を使用した国家の一つ」とある。
*こちらは黄帝に関するwikipediaさんの説明。
さて展示のパネルだ。ここにも「車」という字の甲骨文字がある。この象形文字とあとにでてくる馬車の写真を比べてみましょう。
パネルの右には殷代の馬車のイメージがある。「なるほどこういう感じかぁ。」
2005年殷墟・貴族の墓所より出土した5両ひと組の馬車と生贄の写真。
では馬車を見てみましょう。
馬車の正面側だ。二頭曳きの馬車のようだ。
馬車を右斜め後ろから見ます。
(くどいようですが)馬車を左後ろ斜めから見ます。
殷の次の時代の周では、一つの車を六頭の馬で曳く馬車が発見(河南省洛陽市)された。
秦代だが、兵馬俑からは写真の青銅製の馬車が発掘されている。馬車がどのように姿を変えていったかが分かる。
では外へ出てつぎの建物を見学します。
「王陵墓葬展覧館」(Wánglíng mùzàng zhǎnlǎnguǎn)。行ってみましょう。
この展示室は、殷代の埋葬と祭祀についてをテーマとしている。
王陵墓葬展覧館のなかへとはいってきた。目の前に模型が置いてあります。みましょう。
模型は王陵墓一帯のお墓の様子であった。
館内の中央にはたくさんの長方形の穴が見えます。なんでしょうか??
うわっ。また出てきました。おびただし人骨の量です。どうも祭祀の跡らしいです。
先祖を祀る(祭祀)ために、戦争の捕虜や奴隷を殺したのち先祖へのお供えものとした。
頭蓋骨の形から、東や北や南アジアのモンゴロイド系であった。殷は色んなところで戦争しては奴隷を捕まえて来たと推測される。
祭祀の際には、人間のお供えのほか動物も殺されお供えとされた。右下の写真の骨はゾウだ。殷の時代、安陽一帯の気候は暖かくゾウも生息していたのではと言われる。
では、王陵墓葬展覧館を後にします。
こちらは「M260展庁」(M260 zhǎntīng)だ。1939年の調査時にM260より司母戊(しぼぼ)鼎が出土している。1984年にも発掘調査がなされた。
墓室は底深くにある。このお墓は「甲の字型」と言われる形で地位が高い人のお墓だ。
殷の地位が高い人のお墓の形だが、甲の字型以外には十文字型もある。中国語の説明では「亜」や「中」の形と説明している。
左側に見えるのは司母戊(しぼぼ)鼎の複製だ。尚、この墓の主は不明だ。
入り口の反対側に地下へと続く墓道がある。墓道の途中になにか塊がある。
墓道の途中には頭蓋骨が…。このほか、生活用品や武器、祭祀の際に使ったであろうものが見つかっている。ではM266展庁を後にします。
外へと出てきました。
引き続き、時計回りで歩いていきます。目の前には大きな広場だ。
大きな広場だと思ったら、小石で四角く囲まれています。それもたくさんだ。
説明書きによると、小石で四角く囲まれたところには祭祀のお供えとなった人骨が埋め戻されているそうだ。1か所あたり大凡10体の遺骨が出てくる。どれも首を切り落とされているという。四角い場所を踏まなくてよかった…。
こちらは柵で囲まれている発掘現場。説明書きもなく、人もいなく、なんの発掘かは不明だ。
ここでもまたガラスの蓋があります。ここは祭祀のお供えとなった動物が埋められている。
お供えとなった動物は馬が一番多い。その他、牛、ゾウ、ブタ、犬、羊、猿、狐、ビーバーもお供えとなった。
動物のお供えの跡も、一部は埋め戻されて保全されている。
この辺りは園内の西の角になる。また背の低い生垣がみえてきた。
これらお墓の形に添って植え込みがされている。
長い辺となっているが、ここは墓道の入口なのだろうか?平面で見てもとても大きく見える。
そろそろ園内を1周完了です。園内には私一人だけ。言い換えれば"古代のお墓にいるのは私一人だけ"だ…。
王陵遺址の外へでてきました。スマホの配車アプリでタクシーを探すも捕まらず。
メインの通りまでは5キロ以上…。暑いので歩く気にもなれず…。
人生で初めてヒッチハイク!それも中国で!
山東省ナンバーの車が通りかかった。止まってくれた。事情を説明すると大通りまで連れて行ってくれた。ありがたや。気持ちばかりのお金を渡そうとすると、要らないという。見ず知らずの外国人を乗せてくれて本当に謝謝です。
では、次に安陽でもう一カ所お墓へと行きます。
(私は決してお墓マニアではないですよ)
つづく。