霊泉寺石窟(Língquánsì shíkū)・後編
訪問日 2022年6月4日(土・端午節休暇)
霊泉寺石窟だが、まず霊泉寺の建立は(中国南北朝時代の北朝の国の一つの)東魏・武定四(546)年で、もともとは宝山寺といった。その後、隋代開皇十一(591)年、隋朝初代皇帝の楊堅がこのお寺のお坊さんであった霊裕法師を都長安へと招いた。それが縁で、楊堅はこのお寺に新たに"霊泉寺"と名前を与えた。これにより、霊泉寺は大きな名声を得た。このお寺には東魏~宋代までの石窟が掘られ今に残る。
後編です。行ってみましょう!
お世辞にも綺麗な積み方ではない石段を登っていく。あと少しで石窟へつながる門だ。門の額には「万仏溝」とある。これは、ここの石窟の別名である。
さて門を抜けますと、、、、
目の前には山肌の岩壁にはたくさんの仏様が彫られている。
これら石に彫られているだけ小さな部屋状のものは仏龕(ぶつがん)と言われる。仏龕は仏像や経典を納めるための小さな小部屋だ。
尚、仏龕(ぶつがん)が発展すると厨子(ずし)へと姿を変えて、厨子が発展して現在の仏壇へと至る。仏龕を中国語では「龛(kān)」という。
第78屈。仏龕のなかでも塔龕(とうがん)と呼ばれるものだ。
第79屈。霊泉寺の塔龕はお坊さんの霊を祀ったもので、お坊さんの名前やそのお坊さんが勤めていた寺院の名前が彫られているという。
同じく第79屈。薄っすらと「報應寺故大海雲法師灰身塔大唐」とある。唐代の高僧を祀ったものというのが分かる。
第82屈。仏龕のなかでも屋龕(やがん)と呼ばれる形で、隋~唐代の建物の形が石に彫られている。右には「故居士●倹灰身塔大唐永徽元二月八日造」とある。永徽(えいき)元年は、西暦では650年。唐朝第三代皇帝・高宗の時代に当たる。
右は68屈、左は69屈。こちらも塔龕だ。
さて道なりに進んでいきます。
第117屈。塔龕。草や落ち葉に埋もれそうな感じだ。
右から第91屈、92屈、93屈、94屈、95屈と塔龕が連なっている。塔龕には碑が添えられているが風化が激しく、内容を読み取ることができない。
右は第88屈、仏様だけが残る。中央は第69屈の塔龕、左は数字が無いが屋龕だ。
第87屈の塔龕。第87屈は風化が進んで、石が転がり落ちてしまったのだろうか?
右は第58屈。ひときわ大きな間口を持つのは第59屈。いずれも塔龕。59屈は権力もあった高僧なのかな?と想像を膨らましてしまう。
第59屈に彫られている文字。「唐貞観六…」と見ることが出来る。貞観六年は西暦では623年、唐代第二代皇帝・太宗の時代に当たる。
小道に沿って進んでいきます。
右は第53屈、左は第54屈だ。
右は第51屈?、左は第52屈だ。
同じく第52屈。手が凝ったおり、仏像の両脇の柱、壁面にも細かな装飾が施され、そして、その上では獣面が彫られている。
同じく第52屈。門には仏を守る従者?がいたのではなかろうか?
左側が第49屈、その奥は第48屈だ。
第49屈。こちらが本来・仏龕と呼ばれるものだ。中央には釈迦如来、左右には観音様や仏の弟子が立っている。
こちらは第48屈だ。仏龕というものは裕福な庶民などが亡くなった身内の供養の為に建てたものだ。
同じく第48屈。赤い字で48と書かれている辺りに墨で書かれた字が残っている。仏龕には供養される人の名前が残されているという。
第46屈。屋龕。仏様の光輪だけが残され、仏像は持ち去られている。
右から第37屈、38屈、39屈。第37屈のそばには獅子がいる。
第38屈と第39屈のあいだには「仏」との字が残されている・
第38屈に彫られている人?の姿。
小道にそって、塔龕がたくさんならんでいる。尚、手前右は第29屈だ。
下段には第24屈(左)と第25屈(右)。上段は左から第21屈、22屈、23屈だ、上段は碑龕(ひがん)と呼ばれ、高僧が行った功徳が彫られている。しかし風化が進んで読むことができない。
さて小道を下ります。
第四屈。塔龕。
同じく第4屈。「大隋開皇●●●建」とみることができる。開の門構えのなかが「井」と彫られている。尚、隋代開皇(かいこう)年間は西暦では581~600年に当たる。
柵がみえてきました。
ここが霊泉寺石窟である。進んでみましょう。
まず石窟の入口の左右には剣を持った仏教を守護する神が彫られている。
石窟の門の右に彫られている「那羅延(ならえん)神王」だ。
石窟の門の左に彫られている「迦毘羅(かぴら)神王」だ。
那羅延神王の更に右に彫られている釈迦の立像。
お釈迦の立像です。お顔を拝まさせて頂きます。
迦毘羅神王の更に左にいる仏像。
その左の仏像の下にはお経?この仏さまの謂れ?が彫られている。
洞窟の上に彫られている仏様。
では、石窟のなかへ入ります。
仏様のお写真を撮ろうとしたらスマホのシャッターが切れない。
何度押してもシャッターが切れない。
もう一度「すみませんがお写真撮らせてください」とお願いしたらシャッターが切れる。
不思議なことが起きるもんだ。
まずは石窟内の動画を撮らせて頂きます。
石窟正面。中央は弥勒如来さんかなあ?右手には何かを持っています。
石窟入って右側の面の仏様。
石窟入って左側の面の仏様。
振り向いて、石窟の出口の左側に描かれている仏画だ。
石窟の天井には蓮の花?が描かれている。
お写真撮らせて頂きありがとうございました。
では外へと出ます。
柵の外へとでてきた。この石窟に関する説明がなく謂れが良くわからなかった。
これで石窟巡りは終わりです。来た道を戻ります。
山奥の一本道を下ります。気がつきました。周りから「ブンブン」との低音の羽の音が聞こえます。地ハチでしょうか?十匹や二十匹なんて量ではなさそうです。そぉーっと歩いていきます。
チケット売り場のところが見えてきました。
11時半過ぎに入ったので、約1時間半ほど園内にいたようです。
更に下ります。
途中にお寺がありますが、歴史はあるものの建物が新しそうなので参拝はしませんでした。
駐車場へ戻ってきて車に乗りました。
では次は岳飛廟へと行きます。
が、そこでトラブルが…。
つづく。