興陽禅寺塔(Xīngyáng shàn sì)
訪問日 2022年6月4日(土・端午節休暇)
興陽禅寺塔だが、興陽禅寺の跡地に建っている塔だ。その興陽禅寺は、別名:興陽院とも言われるが、その建立は唐代と言われる。寺は幾度となく復興しては廃れを繰り返してきた。現存する興陽禅寺塔だが、建てられた時期は不詳。村の古老が言うには唐代の塔というが、(考古学に於いて)塔の特徴から宋代のものではないかと言われる。
では行ってみましょう!
塔の場所だが、安陽市内の西に位置する。修定寺塔からは距離では30キロ、下道を通るので車では1時間弱かかる。
修定寺塔を出発しました。綺麗に舗装されている広い道にでました。
周囲には畑しかないようなところを走っていきます。
また山へと入っていきます。
進行方向の左側に興陽禅寺塔の字が見えました。
車から降りました。田舎道が一本…。のどかな感じです。
山門の目の前には畑が広がっています。
興陽禅寺の山門。山門ですが鍵がかかっています。でも中から工事している音が聞こえます。「よしっ。参拝させて欲しいと交渉しよう!」と考え、門の隙間をほふく前進で突破!
山門をほふく前進で抜けると、金色で書かれた「佛」との字が見えます。
山門入って右側、兄ちゃんが脚立に乗って作業しています。「お参りに来たけれど、入っても良い?」ってきいたら「俺にはわからない」とのこと。"入るなダメ"っていうのなら誰かが制止するだろう。というわけで見学させて頂きます。では、門の上に四大天王と書かれているこの建物から見学です。
四大天王と書かれた廟のなか。柱や梁に色が塗られ、窓の上に描かれているのは、はどうも水滸伝に出てくる登場人物ではないかな??
向かって右側。四大天王とは四天王の事を指しているようです。四天王とはお釈迦様が亡くなった後、仏法を守護するようと託された用心棒たちだ。
ですが、どれが持国天・増長天・広目天・他聞天なのか分かりません…。お堂をでます。
ではでは、興陽禅寺塔を見てみましょう!
これが興陽禅寺塔だ。
別の角度から塔の全体を見てみましょう。塔は七層八角で高さは約20m。レンガと木材が組み合わせ建てられている。
塔の矢ねには草が生えていたり、ハチの巣があったりと手入れが行き届いていない感じだ。
塔の出入り口には丈八佛塔との額がはめられている。昔、一丈(十尺)八寸の高さの石仏が祀られていたことが所以だそうだ。
仏塔内へ入りました。1966年、文革時、一丈八寸の石像は破壊され、現在は新たに別の像が祀られている。
仏像の上をみると、龍が口を開けて参拝者を睨みつけている。尚、この塔は登ることが出来ない。
塔の裏手にあるお堂。ん?何佛大殿だっけ??忘れてしまった。
塔のお堂のなかには、如来さまに脇侍に羅漢が祀られています。正面の位牌には西天仏祖とあるがよくわからないなぁ。
お堂をでると上段にもお堂があります。行ってみましょう。
階段を登り、お堂があるところへと来ました。
軒には龍の頭の飾りが。このような手入れがされていない感じがとても自然に見えて好感度があります。
一つの建物内に、仕切りが施され、様々な仏様や神様が祀られている。
正面には閻羅王殿とある。
閻羅王殿内だ。閻羅王とは閻魔大王のことだ。
こちらは関聖帝君のお堂内だ。
老長谷制とあるお堂のなか。
観音宝殿のお堂のなか。観音…とあるから、観音様が祀られているのかな?でも観音様っぽくない。
送子大殿のお堂のなか。送子…ということは道教の神様ですね。ここでも神仏融合が起きています。
お堂の右から順にみて左端まできました。
目の前には興陽寺塔が見えます。
では塔の脇を通って、そして、またほふく前進で門を出て次の目的地へと進みます。
ちなみに、境内には説明書きが無く、何が何なのか分からなくとっても残念…。
つぎは霊泉寺景区・霊泉寺石窟です。
つづく。