修定寺塔(Xiūdìngsì tǎ)
訪問日 2022年6月4日(土・端午節休暇)
修定寺塔だが、中国第一華塔という誉を持つ仏塔だ。唐朝二代皇帝の太宗(李世民)の妻・長孫(ちょうそん)皇后が、貞観八(634)年、病気を患った。唐太宗は仏の力を借りて皇后の病を治そうと、貞観十(636)年4月、唐太宗は「名はあるも廃れてしまった古寺392社の修復勅令」を出した。その392社にこの修定寺が含まれ、寺の再建が行われた。それにより、別名:唐塔とも言われる。
尚、長孫皇后は貞観十(636)年6月21日死去。亡骸は唐太宗、そして王義之の蘭亭序と共に、西安の昭陵に埋葬されている。
では行ってみましょう!
修定寺塔は安陽市内から西方向へ35キロほどいったところにある。
車をチャーターして修定寺塔へと向かいます。
車は山道へと入ります。
道路の大きな看板には中国第一華塔との文字を見ることが出来ます。
狭い路地を上っていきます。
お寺の山門に到着です。
石段の上に黄色の字で観音堂と書かれています。赤い建物が観音堂のようです。
石段をのぼってきました。観音堂に到着。コンクリートでつくられたお堂です。
観音堂には…?。蓮の台座に座っているから観音様なのかな?どちらかといと、弥勒菩薩さまのような気がする…。
観音堂の上にもう一つのお堂がありました。行ってみます。
お堂に到着しました。入ってみます。
お堂のなか。右に文殊菩薩、左に普賢菩薩。中央は釈迦如来だと思うのだが、観音様にも見える…。
この観音堂や山の上のお堂だが、説明書きが無く謂れが全く分からない。修定寺の末寺もしれないなぁ???
さてさて、、、
観音堂がある山から修定寺塔が見えます。山を下って修定寺塔のある山の面へと向かいましょう。
さきほどの山門まで下ってきました。車に乗って修定寺塔へ行きます。
修定寺塔がみえてきました。
修定寺塔の下の駐車場に到着です。壁には赤字で天下第一塔と書かれています。
1982年、中国重要文物保護に認定されたそうだ。
奥に見えるのが修定寺塔だ。雑木で隠れていますが、塔の手前左側に小さな建物がありますね。
塔の左側の小さな建物です。入ってみましょう。
小さな建物には、仏像と道教の神の像が置かれている。これこそ中国版の神仏融合ですね。
では修定寺塔をみたく思います。
壁には細かな彫刻が施されたレンガが積まれている。壁一面に彫刻が施されている仏塔を見るのは初めてだ。
塔の入口のほうだ。塔の外側の柵の外から塔を撮影。
塔には二十の柵となっており、間近でみることができない。
壁には、仏像、力士、武士、天女などなどが彫られている。
写真を拡大してみましょう!
柱から軒まで彫刻がびっしりだ。
上部には獣面の飾りがあり、上下では装飾が異なる。
こちらには胡人の姿も見える。
この修定寺塔は、唐代貞元十(794)年に完成したという。そのころは、安史の乱が収束した後の十二代皇帝・徳宗の時代だ。この塔に関する記録は非常に乏しく、断片的にしか残っていないそうだ。いつの時代か、どう言う訳か塔の壁に漆喰が塗られてしまった。1973年になって、やっとその漆喰の一部が剥がされた。その後の考古学の研究から、この塔の彫刻は唐代のモノだと結論付けられたという。
*中国語だが、こちらに修定寺塔に関する少々細かな内容がまとめられている。
さてさて、、、
塔からみて山の手の方にお堂が見えます。行ってみます。
脇の舗装されていない道を上っていきます。
この奥で作業をしている地元の人がいました。声をかけられたが、方言が強すぎて何言っているか分からず…。お堂のなかへ入らずに退散。
山手にお堂がもう一つあるみたいなので、更に山手の道を進みます。
民家のような場所ですが…。お邪魔してみます。
坂を上ると、右に三世仏、左に観音殿と額が掲げられた建物があるが、鍵がかかっており入れず。
正面の香炉台にはお線香があげられています。
隅にはブランコが。
老娘殿。道教のお寺のような名前だなぁ。
正面には老娘が祀られている。が、老娘って道教なのかなぁ??ちょっとわからない。すみません…。
老娘殿の右にベッドが。どうも、ここで管理人さんが寝泊まりしているんだろうな。
老娘殿からでてきました。周囲は自然たくさんです。
修定寺塔の駐車場までもどってきました。奥には先ほどの観音堂が見えます。
修定寺塔には、その名の通り塔はあるのですがお寺の本堂はありませんでした。ですが、綺麗な仏塔をみれたことに感激!日本のガイドブックに掲載されていないのが残念に感じる。
では次に興陽禅寺へと向かいます。
つづく。