安陽民俗博物館(Ānyáng Mínsù bówùguǎn)
訪問日 2022年6月3日(金・端午節休暇)
安陽民俗博物館だが、1989年に彰徳府・城隍廟(じょうこうびょう)の跡地に建てられた民俗博物館だ。『彰徳府志』という歴史書の記載によれば、彰徳府・城隍廟は(隋王朝の前の一諸国の)北周大象二(580)年~隋朝大業十四(618)年の間に建てられたという。だが、1933年に城隍廟の本殿が焼失、そして城隍廟内劇楼と牌坊の辺りは市場になっしまった。1982年安陽市が修復を行い現在に至る。
では行ってみましょう!
安陽民俗博物館は、南大街の通りの近所で鼓楼東街の通りに面している。
南大街を右へと曲がり、鼓楼東街へと入るところだ。
見た感じ古そうな建物。入口上にある看板に安陽広播電視とあるから、ラジオ・テレビの放送局だったのかなと思う。
レンガが積みの家。奥には赤レンガの塔が見える。
道の左右には占い店やら小さなコンビニがあったりする。見た感じ、この辺りは再開発がされた後かな?
再開発されたのかなと思ったら古そうな家の門。その右手には白チョークで「勝手にトイレするな」と書かれている。
ありゃ?再開発に取り残されちゃったのかな?古そうな建物で占い店が。
安陽民俗博物館の入口に到着です。入口には大きな牌坊が立っています。
牌坊の柱を支える獅子。
安陽民俗博物館は古くは彰徳府・城隍廟であった。彰徳府とは安陽一帯の古い行政の名前で、現在に置き換えれば彰徳区というようなイメージだ。また城隍廟とはその土地の土地神様を祀る廟のことだ。
入り口の門の壁には綺麗なレリーフが。
こちらには龍のレリーフがあります。
奥に見える建物が安陽民俗博物館の入口(山門)。では入ってみます。
安陽民俗博物館の見取り図だ。
山門を入ってするに見えるのが前殿。本来、前殿の場所には劇楼があったのだが1933年に焼失。1984年に劇楼の場所に前殿を建てた。
前殿内の展示物で、絹の上に描かれた絵だ。清代のものという。
こちらも前殿内の展示品で、木版。お経のようなものが彫られている。
前殿の裏にある拝殿。そのすぐ後ろには大殿が見える。
拝殿内だ。安陽民俗博物館の前身の彰徳府・城隍廟の歴史について簡単の説明をしている掲示板。また拝殿というから、何かを祀っていると思ったらそうでなかった。
拝殿内の展示品。レンガに彫られた彫刻だ。清代のもので屋根の軒・外壁にはめ込まれたものだそうだ。
拝殿内の展示品。明代の木彫で、日本家屋でいう欄間(らんま)のようなものらしい。
拝殿を出てすぐ後ろにある大殿。大殿は清代に建てられたもので、1987年に修繕をしたそうだ。
大殿内。こちらは神様でしょうか?ちゃんと見ていませんでした…。すみません…。
安陽民俗博物館の一番奥の建物の寝殿。寝殿は清代に建てられ、1988年に修復がされてるとのことだ。
寝殿内にも神様が祀られていますが、何の神様でしょうか?ちゃんと見ておりませんでした。すみません…。
東廊坊。東廊坊も清代の建物だが、1986年に修復がなされた。
東廊坊には中国共産党成立100周年に関する展示ないようだ。ごめんなさい、自画自賛の内容にはあまり興味ないのでスルーします。
こちらは西廊坊。西廊坊も清代の建物で1986年い修復がなされている。
西廊坊には安陽の民芸品が展示されているが、安陽というか中国各地でみられるものだなぁ…。
山門をでて牌坊まで戻ってきました。
展示品の内容ですが、展示品の説明書きがない(または少ない)上に、現在のモノと古代のモノの展示がごっちゃ混ぜになっており、個人ながら写真をあまり撮る気にならなかった。すみません…。
では次は安陽市の市中心にある天寧寺へ行きます。
つづく。