南大街~鐘楼までの街歩き
訪問日 2022年6月3日(金・端午節休暇)
明・彰徳府城壁から鐘楼へと歩いて行くのだが、その途中の風景にびっくり!!7年中国に住んでいるが、初めてノスタルジックな風景をみた。記憶と共に記録にも残しておきたくブログに纏めます。
では行ってみましょう!
明・彰徳府城壁から小道を通って、南大街を北上。徒歩で約2キロの道のりだ。
明・彰徳府城壁を出発。文明大道を西へと進む。
なんの花でしょう??きれいな紅色の花が咲いています。
喬家巷を北上。喬家巷は韓魏公祠がある通りだ。
韓魏公祠の手前の道を左折。西方向へと進みます。
味ある街灯。
壁に「折」と書かれています。意味は「取り壊し・取り壊す」という意味だ。
「男厠」の書体が何とも言えない古さ。ここも取り壊しになるようだ。
家の窓に緑の庇(ひさし)が付けられています。
西へと進みます。
昔の古そうな邸宅のような感じだ。
道の右わきには家庭菜園。
「南大街」へとでてきました。「なんだ!?この古い感じは?」とびっくり。
レンガが積まれた木壁に瓦屋根。「征」とあるが、これは「政府が徴収した家」という意味だ。
こちらの家の門には福の字が貼られている。
奧に家があるようで、誰かが住んでいる様子。
どうも都市再開発のながれで、古い家が取壊しとなっている様子です。
今にも崩れそうな家屋…。道端で色々なガラクタを売っている。
こちらは崩れたのか・取り壊したのか分からないが、屋根の梁が見えている。
ハチミツを売っています。屋根には草も生えており…。古そうです。
こちらでは軒下で服を販売しています。
安陽市第二人民医院の前まできました。この辺りは新しい建物が建っています。
工事中の壁に安陽の鼓楼の説明がありました。安陽の鼓楼はこの近所にあったようで、1935年6月4日に火災で焼失してしまった。火災の原因は分かっていないが、たばこの火の不始末、漏電、静電気、泥棒が鼓楼で保管してた「大蔵経」を盗むため放火した…と等々の噂がある。
こちらの建物はカメラ屋・写真館のようです。
古い家と建て直された家、更に高いビルが見えてきました。
道を進んだ奧に鐘楼が見えてきました。
鐘楼です。更に進んでみましょう。
安陽の鐘楼。鐘楼が建てられたのは明代弘治年間(1488~1505年)と言われる。日中戦争時期、日本軍が安陽を占領した際、鐘楼が壊れてしまったそうだ。1988年春、約56万元を投じ再建した。
鐘楼のそばには屋台が並んでいます。夜になると夜市もあるそうです。
鐘楼を斜めからみてみます。
反対側へと回ってきました。
鐘楼の下の通路は十文字になっており、東西南北どこからも入れて出ることができる。
鐘楼の下の通路に納められている記念プレートだ。
このブログを作成した2022年10月、安陽南大街の古い建物の取り壊しは進んでいる様子。中国人が最近のVlogをアップ、取り壊されなくなっていく風景を惜しんでいました。
鐘楼来る途中の通り道、安陽民俗博物館(彰徳府・城隍廟)に立ち寄っている。
行った場所が前後してしまうが、次は彰徳府城隍廟に関して。
つづく。