韓魏公祠(河南省安陽市) | 【中国旅行家】momonga-travelのブログ

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旅するモモンガさんの「旅行日記」と「気まぐれ日記」

中国に8年間住んでいたのサラリーマンのモモンガさん。
当時、休日はバックパッカーとなり中国各地への気晴らし旅行。

自称「モモンガ・トラベル China Branch」を経営ということで…

韓魏公祠(Hàn Wèi gōngcí)
訪問日 2022年6月3日(金・端午節休暇)
 
韓魏公祠だが、中国宋代の政治家でもあり詩人・文学者でもあった韓琦(かん・き)(1008~1075年)を祀った廟である。韓琦は現在の安陽の出身である。2001年に安陽市が商王廟や大門・二門などを今の場所に引越しさせ再整備を行った。
 
 
では行ってみましょう!
 

 

韓魏公祠 韓琦 見取り図

こちらは韓魏公祠の大まかな見取り図(いろいろな建物が出てくるので、ご参考を)。

 

韓魏公祠 韓琦 入口

韓魏公祠に到着。この門より出入りをする。

 

韓魏公祠 韓琦 拝観券 チケット

拝観券の表面だ。拝観料は20元(400円)だ。

 

韓魏公祠 韓琦 拝観券 チケット 説明

拝観券の裏側に韓魏公祠の説明が書かれている。

 

韓魏公祠 韓琦 門

さてチケット売り場の門を入ると、目の前に小さな門がある。入りましょう。

 

韓魏公祠 韓琦 照壁

小さな門をはいると正面には照壁があります。達筆な字すぎて、何が書いてあるか読めません…。

 

韓魏公祠 韓琦 韓琦生平展 二展室

韓琦生平展(二展室)」だ。小さな門を入って右側にある建物だ。

 

韓魏公祠 韓琦 韓琦生平展 二展室 室内

韓琦生平展(二展室)には、韓琦の一生涯の説明がなされている。

 

韓魏公祠 韓琦 石刻陳列室

石刻陳列室」だ。小さな門を入って左側、韓琦生平展(二展室)の対面にある建物だ。

 

韓魏公祠 韓琦 石刻陳列室

写真右側の背の高い碑が韓琦の墓碑だという。

 

韓魏公祠 韓琦 石刻陳列室

こちらの2つの碑は、韓琦の廟を再建した際に彫られ建てられた碑だそうだ。時代は奧の碑は元代大徳二(1298)年、手前は康熙三(1664)年のものだ。

 

韓魏公祠 韓琦 一展室

写真の「一展室」へと入ってみます。

 

韓魏公祠 韓琦 一展室 適時済物 器博道宏 西太后 光緒帝

手前の扁額「適時済物」、奧の扁額「器博道宏」だが、清代光緒二十七(1901)年、西太后と光緒帝が西安から北京へ帰る際、ここに立ち寄り、自ら筆をとり額を納めたのだという。だが今の額は、新しくつくられたものだ…。

 

韓魏公祠 韓琦 一展室 適時済物 器博道宏 西太后 光緒帝

一展室内だ。中央の像は恐らく韓琦だろうか。この建物は、古くは北宋熙寧年間(1068~1077年)に安陽の庶民が韓琦の功績を称えるために建てた廟だ。だが、戦火の為消失。現在の建物は元代大徳二(1298)年に再建され、その後、修復が何度かなされた。現在の建物にも元代の材料が一部使われているそうだ。

 

 

さてさて、、、

 

韓魏公祠 韓琦

商王廟があるという方へとやってきました。

 

韓魏公祠 韓琦 商王廟

正面に見える屋根だけの建物と写真正面奧の三展室を纏めて「商王廟」になるようだ。また右側にちょこっとだけ写っている建物が碑亭だ。

 

尚、「商王廟」だが、後漢時代に安陽の庶民が殷朝の十二代王・河亶甲(かたんこう)の功績を称えるため建てた廟だ。この河亶甲だが、殷王朝を当時の安陽(相州)へ遷都したことから“安陽の祖”でもある。

 

韓魏公祠 韓琦 商王廟 商王廟碑

屋根だけの建物に「商王廟碑」が置かれている。元代大徳八(1304)年に建てられ、碑には河亶甲の功績が彫られているそうだ。ガラスケースに覆われ、写真を撮ると反射してしまう…。

 

韓魏公祠 韓琦 商王廟 三展室

三展室」内の正面にある商王・河亶甲の絵だ。

 

韓魏公祠 韓琦 商王廟 三展室

三展室内は非常に殺風景となっている。

 

韓魏公祠 韓琦 碑亭

碑亭」。碑亭のなかを見てみましょう。

 

韓魏公祠 韓琦 碑亭 重修宋忠献王昼錦堂碑亭記

重修宋忠献王昼錦堂碑亭記」。説明書きはないが、忠献王とは韓琦の別名(諡)で、昼錦堂とはこの韓魏公祠のことを指す。碑には大清乾隆十三年とあることから1748年に彫られたことが分かる。

 

韓魏公祠 韓琦 碑亭 昼錦堂記 三絶碑

昼錦堂記」。北宋治平二(1065)年、碑に彫られた題字は北宋の役人で隷書の達人・邵必によるもの、文面は北宋の大文学者・政治家である欧陽修によるもの、碑面の字は北宋の書家・文学者である蔡襄によるもの。秀でた三人が併せて作ったことから「三絶碑」とも言われる。だが、元代に一度彫り直されている。この碑の拓本は日本へも伝わっているという。

 

韓魏公祠 韓琦 碑亭 栄事堂碑 酔白堂記

栄事堂碑」(左)と「酔白堂記」(右)。この2つは碑面の字が風化しており、そして説明書きが無くよくわからず…。

 

韓魏公祠 韓琦 大門

大門」。南東馬道から眺める大門の正面。清代に建てられた門だそうだ。

 

韓魏公祠 韓琦 大門

こちらは大門の裏側(敷地内から見る大門)。

 

韓魏公祠 韓琦 大門

大門は閂(かんぬき)がはめられ、かたく閉ざされている。

 

韓魏公祠 韓琦 二門

二門」。大門の並びにあるのだが、門というかは一つの部屋だ。清代に建てられたのだが、この二門は後世の人によって手が加えられているそうだ。

 

韓魏公祠 韓琦 二門

二門へは入れず。また二門のなかは足場などが置いてあり、倉庫化している。

 

韓魏公祠 韓琦

二門の右脇を通り、奥へと進みます。

 

韓魏公祠 韓琦 読碑亭

読碑亭

 

韓魏公祠 韓琦 読碑亭

さまざまな碑や彫刻がなかば無造作に置かれています。

 

韓魏公祠 韓琦

一番奥にある修復中の建物

 

韓魏公祠 韓琦

ネットの破れたところから中を伺います。元はどのような建物だったのでしょうか?またどのような建物になるのでしょうか?説明書きがなく、全く分かりません。

 

韓魏公祠 韓琦

修復中の建物の場所から大門の方向を眺めます。では戻ります。

 

韓魏公祠 韓琦

チケット売り場の門まで戻ってきました。

 

 

つぎに明・彰徳府城壁へと行きます。

つづく。