張飛一担土(Zhāngfēi yīdàn tǔ)
訪問日 2022年5月22日(日)
張飛一担土だが、ちょっとした謂れがある丘だ。見落としてしまいそうなぐらい、とっても小さい。
謂れによると、関羽が荊州を治めていたころ、荊州の地は戦争が絶えなかった。それに見かねた女神の西王母は荊州を自身の手に治めようと9人の女仙を派遣。武力で強引に荊州を奪い取るのではなく、一計を案じ「早く築城できた方が荊州を治める」という勝負に打って出た…。
では行ってみましょう!
張飛一担土の場所だが、荊州城からみて南東方向(星マーク)のところだ。東環路の道沿いにある。謂れでは、関羽らは「荊州の東側」、そして9人の女仙は「荊州の西側」で築城勝負をしたという。
「張飛一担土」の文字。日本語にすると"張飛は土を担いだ"という意味だ。関羽が女仙と築城勝負をすると聞きつけた張飛は、籠に土を入れ関羽の築城のお手伝いにやってきた。
張飛一担土の説明書き。金の色が落ち、字が読みにくい…。
こちらには劉備、張飛、関羽のとっても簡単な歴史の場面が彫られている。
小高な丘の上にある小さな亭。築城勝負だが、張飛が土を担いで荊州にやって来たころには勝負がつき関羽が勝った。それを聞いた張飛は持ってきた土をここに捨て、その捨てた土が今の丘であるという。ここから張飛一担土という名前が生まれた。
碑には「漢恒侯閣紀功碑銘」とある。
碑の裏側には…。これは関羽だろうか??具体的な説明が無く良く分からず…。
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張飛一担土の写真はあまり撮影していなかったみたいだ。
中国人ユーチューバーさんが撮影した張飛一担土のVlogが分かりやすいかな??
次は今回の荊州の旅の最後の訪問地・万宝園塔だ。
つづく。