関帝廟(Guāndìmiào)
訪問日 2022年5月21日(土)
関帝廟だが、世界各地に関帝廟という場所があるが今回行くのは荊州にある関帝廟だ。この荊州の関帝廟だが、『荊州府志』という歴史書によれば、関羽が荊州を統治していた際の関羽の住まいがあった場所だという。
では行ってみましょう!
玄妙観から歩いて関帝廟へと向かいます。約1.2キロの道のりだ。
荊州の「関帝廟」の入口。
チケットの表面。
チケットの裏面。チケット代は20元(約400円)だ。
こちらが荊州の関帝廟の説明書きだ。
関羽の精神の一つ「誠信」。誠実で信義があるという意味だ。
正面に見えるのが「正殿(Zhèngdiàn)」。明代洪武二十九(1396)年に廟が建立され、その後何度か修復・増築がなされ現在の姿になったという。
正殿への参拝者を睨みつける獅子。
正殿内だ。正殿内に掲げられている扁額「乾坤正気」は清朝第五代皇帝・雍正帝の書と言われる。
正殿の関羽の像の裏側には関羽の出生が書かれている。
正殿裏に掲げられている扁額「威震華夏」。2000年10月14日とあり、新しいものだ。
正殿の裏側へとやってきた。関羽像、そして三義殿が見える。
関羽像のそばにやってきました。
関羽像の右手には大きなイチョウの古木がある。
イチョウの古木の裏の建物でお姉さんが琴を弾いていた。
また関羽像の左側には関羽が使っていた剣「青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)」の模型がある。重さは曰く「82斤」、約18キロだという。実際にこのような形の刀は宋代になって出現する…。
剣のそばにはお役御免となった赤兎馬が…。
あれ馬に豚に羊??これはお供え物という意味かな???良くわからない…。
三義殿まえの線香立て。
「三義殿(Sānyìdiàn)」。入ってみましょう。
三義殿には、右から、関羽、劉備、張飛が座っています。
三義殿の裏へとやってきました。どうもここを管理している人たちの宿舎見たいです。引き返しましょう。
先ほどの関羽像です。子は親の背中を見て育つといいますが、私たちは関羽の背中を見て忠義や誠信を育ってきたかも知れません。
廟内にはちょうどアジサイが咲いていました。
アジサイは中国語では「八仙花(Bāxiānhuā)」という。
こちらには季節外れの紅葉が。
正殿の脇を通ります。
ではこれで荊州の関帝廟巡りは終わり。
次は張居正故居です。
つづく。