さてまたまた大昔のホームステイの

お話の続きですニヤニヤ




チャッキーにいじめられたり

お父さんにジャップと呼ばれたりしたものの


お父さんは毎日仕事で帰りが遅く

週末くらいしか接点もなく


チャッキーには意地悪を言われる度に

良さげなお菓子を 

彼の手の届かない丸見えの所にたくさん置いて見せびらかし

分けてあげない


という地味な反撃を続けていたので


ストレスが溜まる事はありませんでしたニヤニヤ



そして3ヶ月が過ぎ



語学学校が終わりホームステイも

終了する事になった



現地の新聞で探し

次に住む家を見つけてはいたけれども

家主の都合でまだすぐには部屋が使えないという



さて困った真顔



お世話になっているこの家には

数日後 次にホームステイする生徒がスイスからやってくる


あのゴージャスで広い私の部屋も

明け渡さなくてはいけない

ゴージャス部屋



そこへお母さんが



2階の広い部屋は次のスイスの男の子に使わせてあげないといけないんだけど


もしまだ次の家に入れないのなら

ここにいてもいいよと言ってくれた



ただ 部屋が無いのよねと。



部屋が無くてもいい



野宿よりマシだ



7歳のお姉ちゃんの部屋に

マットを敷いて寝泊まりという案があったけれども 

机や家具が置いてあるため部屋が狭くスペースが無かった



そして私が選んだ場所は



配管がむき出しの

お風呂横の2畳ほどのスペース



なんというか ポンプ室のような

お風呂の裏側の部分だった



湿気が多く電気も無い



お母さんは

「え?!こんな所で本当にいいの?!」


と驚いていたけれども


自分だけの空間が欲しかったのと

置いてもらえるのならどこでも良かった


自分で大掃除をして


そのジメジメした暗い場所に

3週間 自分の荷物を置き


むき出しの配管の下で

寝袋で寝泊まりするという

サバイバル生活を送ったのでした真顔



ゴージャス部屋での優雅な暮らしから一転 

灯りもない風呂裏部屋で暮らす事になった小公女もひさん


今だったら絶対にできないけれども

住めば都で


そんな所でも熟睡できていた昔の自分を誇りに思います😂



なんだかんだ言いつつも

ゴージャス部屋を去る時よりも

風呂裏部屋を去る時の方が名残惜しかった



後からやってきたスイス人の

同い年の男の子はとても良い人で


仲良くなろうとしてくれたけれども


ゴージャス部屋を乗っ取られた事と

英会話が全くできなかった事で

私は心なしか冷めていた


よちよち赤ちゃんレベルの英語の私と


「 I は私 You はあなた」


という所からのスタートである

スイス人の彼と会話が成り立たず


3週間も一緒に食卓を囲み

同じ屋根の下で一緒に生活をしたというのに


「スイスに来た時は

 なんかご馳走する」


みたいな事をゼスチャーで言っていたの以外


全く顔も名前すらも覚えていない真顔


スイスでは地方によって

英語を全く習わないエリアもある

とその時に初めて知った


彼の本当に英語の一から

一生懸命勉強する様子を見て


日本の英語教育は会話ができるように

なるにはハードルは高いけれども


当たり前のようにわかる英語も

日本人にはたくさんある


今は小学校からだけども 私の育った時代

基礎的な部分は中学校でいつの間にか

しっかり教え込まれていて

これって実はすごい事なんだなあと

当時しみじみ思ったのでしたニヤニヤ


お姉ちゃんとママとチャッキー


読んでいただきありがとうございます😊