さて また時はさかのぼり

オーストラリアでホームステイしながら

語学学校に通っていた大昔のお話ニヤニヤ



私が通っていた語学学校はパースの街中に

あり クラスはみんな別だったけれども日本人生徒が数人いました


学校が終わると自然と集まり

ほとんどが同世代だった事もあり

仲良く話をするようになったニヤニヤ


一番記憶に残っている

みんなで盛り上がった話題


それは


ホームステイしている家の事



私はチャッキー問題があったものの

とても環境的に恵まれており


チャッキー問題以外特に不満もなく

お父さんもお母さんも優しく


チャッキー問題を除けば本当に毎日

充実した生活を送っていた



週末の夕方は必ずインド洋に面したビーチに車で連れて行ってくれて 

夕陽を見ながら裸足で1時間ほど散歩したり



毎週のようにある

近所の人や親戚の人の家で開かれるホームパーティーなども

犬や猫だけが話し相手で空気と化しては

いたけれど

必ず一緒に連れて行ってくれる


私が使わせてもらっていた部屋も

それはそれは素晴らしいお部屋


庭にプールもあるキラキラ


私はこのホストファミリーしか知らないので これが普通だと思っていたが



他の友人達から聞く話は違った真顔



学校から紹介してもらうホームステイ先は朝晩の2回の食事と光熱費込みの料金だと決まっている


けれども洗濯機を使う度に

1ドル払わなければいけない決まりがある家や


冷蔵庫の中に入れてある

家の人達が飲むジュースと

ホームステイの生徒が飲むジュースが

分けられていて


ホームステイ用のジュースだけ

水で薄められている

という家もあった



個室を与えられてない人も何人かいて

子供部屋の床にマットレスだけ用意されてそこで寝泊まりしないといけない人などなど


本当にいろんな家があった



私は運が良いな〜ニヤニヤ音符と思っていた

ある日



家の中でとんでもない衝撃の発言

聞くことになる👂ハッ



学校から帰ってきて

私はリビングのソファーの隅に座って本を読んでいた



お母さんは廊下にいて



そこに珍しくお父さんが早く帰ってきた



お父さんはリビングを覗いたようだけど

ソファーの隅に座っている私が死角で見えなかったようで 

お母さんに



「ジャップ

 まだ帰ってないの?」



 と言ったポーン





ジャップ…ジャップ… ジャップ…




今ジャップって言った…滝汗 うそやん…



お父さん陰では私の事ジャップって呼んどるとな…




だけんチャッキーがあげなこつば言うったい…




そしてお母さんが後で私と2人になった時



「夫が失礼な事を言ってごめんなさい

 普段はあんな言い方はしないんだけど

 失礼な発言をした事を謝ります」


と言い 私は

「気にしてないから大丈夫です」と答え


そんな風に言ってくれるお母さんで

よかったと思った




同じ時期に 同じ学校の日本人が

バスの中で後ろに座っていた人から髪の毛をライターで燃やされたり


バス停で待っていた日本人生徒が

バスの中から生卵を投げつけられたり大声で暴言を吐かれたりする事があったりと


人種差別的な事を

間近で見聞きする事が続き

レイシストの存在の多さを実感した



いろいろあったけれど

今になって思えば大事な経験だったと思う



やしの木



マレーシアは

いろんな人種や文化が共存していて

外国から働きに来る人も多い国だけど


実際にローカルの人達の話を聞いていると

人種差別的な話が出てくる事が普通にある


世界の永遠のテーマなのかもしれないけど


私は人種に優劣はなく

一人一人同じ人間だと思う



「世界は一家 人類みな兄弟」



という昔のテレビCMを思い出し


すごく良い言葉だなーと

子供心に思った記憶があるが


カメラの前で満面の笑みを浮かべて

現地の人達と肩を組むおじいさんと

なんとなくしっくりこない

現地の人達が無理矢理やらされてる感

丸出しの絵面も

同時に記憶に残っている昭和なアラフィフ

なのでしたニヤニヤ


空気と化してるホームパーティー 手前がお母さん



こんなアラフィフの昔の思い出話を

いつも読んでいただき

ありがとうございますニヤニヤ 


 (:D)┓︎ペコリ