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いい気分の引き寄せについて書いていると、

それは世界の全てをありがたく、素敵に捉えてるようなニュアンスに感じる人がいるかもしれないけど、

全然そんなことはない。

 

 

 

 








 

 

 

ここ数年、ハートの感覚を大切にする中でむしろ、

社会にあるもののほとんどは「自分にしっくりこないもの」だった。

(それぞれに価値があることは認めながらも、”自分にとっては”価値を持たないものだった)。

 

 

 









 

 

そう、そういう中で”コントラスト”が明確になり、

人生の中で愛するもの・きっとこれからも愛していくエッセンスは、色濃くなっていく。

 

 

それくらい、

社会的に価値があるものと、

“自分にとって価値があるもの(≒今世追求したいテーマ”)は違うんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログをはじめた頃、

「人気ブログを目指すなら、日記ではなく、人が読みたくなるもの・人にとって有益なものを書きなさい」

という話をたくさん読んだ。

 

 

 

 

 

 

 

立派な社会人の人たちと接すると、あるいはお金持ちの人の本を読むと

「GIVEする(人に与える)」ことをモットーに心がけている人が多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしがたまにいくエステの人たちはとても接客が上手で

店に行くと満面の笑みでテンション高く神様のようにお客さんを迎え、

服のこと、肌のこと、髪のこと、(わざとらしくない本心らしいことを)嬉しくなるようなことを何か一つ褒めてくれる。

きっとお店の教えとしてお客さんを喜ばすことを掲げてるみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有益なこと、便利なこと、心地よいこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たしかに社会全体に生きる人が、毎瞬人のために尽くし何かをシェアしたなら、

とてもスムーズに明るい社会が流れるのかもしれないと思ったこともある。

 

実際そのいくつかは(たとえばラグジュアリー・スパの接客などは)

わたしも心地よく感じるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど有益で便利なもの、たくさんの社会的なGIVE、人を喜ばせる接客ー。

ありがたいはずのその多くは、実は窮屈に感じられることが多かった。

 



 

それは自分自身に与えられるところだけを切り取れば心地よいかもしれないけど、

いい気分、ハートの感覚を大切にするほど、相手の体質や感覚も感じることがある。

 

きっちり有益な情報が詰まった毎日投稿される文章の中に、逼迫感を感じる。

社会的な会話の中で、常軌を逸するほどの完璧主義で何かを恐れていることを感じる。

笑顔のエステティシャンの人の施術から、とても冷え性で身体が硬い感覚を感じる。

 

そこに苦しさを感じると、どうしたってこっちも苦しくなってしまう。

(それは自分自身の持つ一側面の投影なのだけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それじゃあ自分が価値を感じるものってなんなのよ!自分はどうありたいのよ?

繊細ぶって文句ばかりの自分に何年も問うてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えはどんどん明確になっていった。

わたしにとって有益なものはー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かが心からワクワクして無我夢中で何かをしているもの。

それから自然体で純度の高いものだ。

 








たとえばYOSHIKIさんの音楽パフォーマンス。

(結局3回も映画「YOSHIKIアンダーザスカイ」を観にいったのだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから本心が綴られた言葉。

たとえば清木場さんのモバイル会員限定ブログは、

一言一言自分で噛み締めて語りかけるように、ライブ前の感情や詞を書く中での迷いなどがつづられる。

 

あるいはニーチェの言葉。

思考をそのまま言葉したそれは、時を超えて内側に語りかけてくるような響きを持つ。

 

宮崎駿や、コシノジュンコさんや、オポノポノ の創始者のモーナのインタビューは

誰かに啓蒙するのではなく、時に自分自身に語りかけているような響きを持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

それらは不思議だけど、

有益で社会的な情報が分かりやすくまとめられているよりもずっとわたしにとって価値を持った。

 

 

エステで身体を癒すよりも、

身体の根本から、心が解放されるような心地よさがあった。

 

 

 

 

 

 

 

そういう言葉に触れると、

気遣いの東京のコンクリート・ジャングルの中から抜け出して

大自然の中で呼吸をしているような気持ちになった。

 

それはかけがえのないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから瞳。

瞳がまっすぐで強く澄んでいる人の瞳を見ると、

深い泉を覗き込んでいるような、我に帰る感覚になることがある

 

 

 

 

 

 

 

そういう瞳は現代のインスタグラムにはほとんど見られず、

ネイティブアメリカンの写真集などに見られた。

 

 

 

 



それは愛や希望やキラキラした眼差し、あるいは宇宙に飛んでいる眼差しではなく、

深いところにある「確信」をのぞかせるようなもの。

純粋な「魂」との繋がりが見えるようなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その全ては

必ずしも実用性があったりポジティブだったり、分かりやすく人の役にたってはしないけど根底に人類愛があり、

「純度が高くて、深いもの」「自然体なもの」だった。

 

おしゃれじゃなくても、綺麗に整えられていなくてもー。

 

 

そういうものが、わたしの心にとんでもない価値を持ち、明らかに心を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして興味深いのは、

今ある一般的な「社会」というもののほとんどは、

まだそれらに価値を置いていないように見え、実益性に価値を置いているように思った。

 

(それがひいては、自然破壊や戦争につながるように思う)。

 

だけどきっと私たちが生きているうちには、その社会の価値観は崩れるように思う。

 

 

 

 

 

 

とにもかくにも、

 

わたしがこれからの人生の中で重要度を占めること、

守り、探求・追求していきたいあり方の一つは、

 

自分にとって大きな価値を持つもの、

つまりは、「純度の高さ、深さ」「自然体なこと」みたいだとわかった。


いい気分=本来の自分自身

の本来の自分自身の重要なエッセンスとして、

それらが含まれてるみたいなのだ。

 




これは数年間の「コントラスト」を通じて気づくことができ、

紛れもなく「違和感」「自分にしっくりこないもの」があったおかげだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の魂が何に惹かれるのか」

「今世どんなものを大切に生きてみたいのか」。

 




それは人によって多かれ少なかれ違って、

頭で考えていてもスピリチュアル・マスターに聞いてもわからない。

 

だけど自分自身のハートを軸にしていればきっと、

強く惹かれるものがそこに焦点を当ててくれる。

 

 

 

 

 



そういうものを探求し、追求していくことができる。

そんな今世のわたしたちの人生は、楽しいに決まってるのだ🥂💎

 
 
 
 
Sayaka.
 
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