いろいろあって、

このブログに記事をあげることを、妻から禁じられ・・・

 

いろいろありましたが、

今はまだ、

なんとか、生きています。

 

まだ、泳いでいます。

マスターズ競泳だけは何とか。

海を泳ぐのは、年に1、2回。

フィンスイミングは、止めてしまいました。

 

時々、走ってもいます。

が、マラソンはもう走れません。

自分で走って、ハーフぐらいが精一杯です。

ジムには通って、筋トレもしています。

 

生きるために、

そんなことをやっています。

 

この2年間、うつ病で通院治療中です。

30歳の時にも、通院していました。

十代から、人格がぐちゃぐちゃでしたので、

持病みたいなものです。

2年間、断酒しています。

 

心配してくれた友人もいましたが、

付き合うエネルギーがなく、

友人全員、切り捨てててしまいました。

親、きょうだいとも付き合いを止めました。

 

仕事はしていますが、

孤立状態です。

 

妻にブログを禁じられたものの、

苦しくて、

別のアカウントで、

メンタルヘルスジャンルで、

ブログを書いています。

 

突然、ブログの更新をやめてしまいましたが、

現時点では、

まだ生きています。

 

 

比較的最近の、スポーツクラブでの練習風景です。

 

 

 

赤いキャップが私で、隣の白キャップに追いついたけど、

0.04秒差で競り負けたのが私です。

 

 

5レーンの、赤いキャップが私です。

 

 

いまのところ、

なんとか、生きています。

 

 
 

 

 

今週は私が子どもの昼ご飯当番

また、通常通り月、火、水、金が晩ご飯当番でした。

 

5/30(月)

・スポーツクラブのマスターズ競泳練習。

25m中心のスピード練習で1600m+ダウン。

 

・夜勉:精神保健福祉士(PSW)レポート要点書き出し。

「精神障害者の権利擁護にかかる・・・」

 

 

5/31(火)

・自宅で筋トレ。

椅子2脚使ったディップスほか、

スクワット50、30、20で100回など。

 

・夜勉:PSWレポート作成

「ライフサイクルと精神の健康」・・・、終わらず。

 

 

6/1(水)

・ストレッチポール、筋膜リリーストリガー、ストレッチ。

・スクワットだけ50、50で100回。

 

・夜勉:PSWレポート作成・・・、やっぱり終わらず。

 

 

6/2(木)

・スポーツクラブのマスターズ競泳練習。

Baドリル中心に1800m+ダウン

 

・夜勉・・・、10分で断念して寝る(眠すぎて頭まわらない)。

 

 

6/3(金)

・終業後、職場の人から別の職場の人のことで相談を受け、定時退勤ならず。

・19時前、夕食の買物をして帰宅。

・20時までPSWレポート(終わらず・・・)。

・20時から調理開始。

・21時、嫁さん、家族が食事を始め、私は自室でビール。

(自室以外で飲酒禁止は家族ルール。週末だけしか飲まないことは私ルール)。

 

 

6/4(土)2部練!!

・12:00-13:10 

①所属しているマスターズ競泳チームの練習会。

 

・13:30 帰宅。

~13:45 洗濯物干し。水着をすすいで脱水。

~14:10 昼食

~14:55 ひるね

15:15 車に道具を積み込み自宅出発。

 

17:00-19:00

②フィンスイミングクラブの練習会

きょうはいつものプールが使えず、やや遠くの長水路(50mプール)を1レーンだけ貸し切り。

 

1レーンに10人以上で泳ぐので、きっと軽めの練習になるとみて2部練に挑みましたが、

やっぱりかなりバテました。

 

6/5(日)

・8:30-10時過ぎ、朝ラン。

定番コースで15.21km (計測なし)。

 

・10:30-13:10 PSWレポート

・・・、やっと完成!

今週は子どもの昼ご飯当番は嫁さん。

 

私は月、火、水、金の晩ご飯当番の予定でしたが、

火曜日嫁さんが早く帰宅でき、

晩ご飯当番を代わってくれました。

その分、私はジムで筋トレ、長めにやらせていただきました。

 

きょうのラン↓

ゴールは平塚ビーチパーク。

けっこうな賑わいで、子どもたちは海に入って遊んでいました。

 

 

5月23日(月)

・早朝時間外(勤務)1時間、残業45分。

 

・スポーツクラブのマスターズ競泳練習

Brドリル中心で1850m

 

・夜勉:精神保健福祉士(PSW)テキスト『精神保健の課題と支援』

 

 

24日(火)

・早朝時間外1時間。

 

・定時で速攻退勤、帰りにジムで筋トレ。

フィンスイミング向けに、バックエクステンション(背筋)、レッグエクステンション(太もも前面)。

15~20回を3セット。

 

あとはいつものメニュー+バーベルフレンチカール(25kg)

こちらは8~10RM(8~10回やるのが限界のウェイトで行う)。

これはボディビル的なやり方。

水泳にはむしろマイナスだと思いますが、

筋トレは筋トレで楽しくて、つい。

すべて楽しみでやることなので、よしとしている。

お腹周りの贅肉が少しでも落ちてくれると良いのですが・・・

それはだいぶ難しい。

 

 

25日(水)

・早朝時間外30分。

 

・ストレッチポール、筋膜リリーストリガー、ストレッチのみ30分程度。

 

・夜勉:PSWテキスト『精神保健の課題と支援』

 

 

26日(木)

・フィンの道具を積んで車で出勤。

・早朝時間外30分。

 

・定時で速攻退勤、フィンスイミングクラブの練習会。

他クラブからのビジター参加2名で、刺激になりました。

100m×5(2′):1′10”の一定ペースで。

100m×4(2’):1’05”の一定ペースで。

100m×4(2’):1′00秒の一定ペースで。

上記をメインに合計3800m+ダウン

 

 

27日(金)

・大雨強風の中、原付バイクで早朝出勤1時間。

・30分早退して、歯医者。

・21:30、疲労困憊にて就寝。

 

28日(土)

・9時~11時ぱあとなあ神奈川(成年後見)の仲間うちZOOMミーティング。

 

・所属しているマスターズ競泳チームの練習会。

 

・3:30~18:00 久しぶりに息子と話し込む。

 

29日(日)

・海までラン。家を出るのが遅れてしまい、猛暑の中を走る感じに。

で、少し電車を使って距離を短縮。

でも気温は25℃ぐらいだったみたいで、

風もあって、それほど暑さは感じないで走れました。

気持ちよくジョギングしました。

 

冒頭の写真、平塚ビーチパークで海辺に降りて、

潮風+波音、人の笑い声・・・、寝転がって居眠りして帰って来ました。

5月11日、ついにまた学校が始まってしまった。

オトナの専門学校(笑)、

性懲りもなく。

だけど今回は、ちょっと、自分なりの目標がある。

 

 

霊長類研究の第一人者、山極寿一氏によると、

「教える」という行為をするのは人間だけだという。

 

「学ぶ」行為はどんな動物でもやる。

持って生まれた能力と、見よう見まね、試行錯誤で学習、習得する。

親や年長者が子どもを「叱る」ことでルールを学ばせるのは、

ニホンザルの世界でもやる。

しかしそれは「叱る」ことであって「教えること」ではない、と氏は言う。

 

「相手と自分の知識の違いを互いに理解している状況で、知識のある方が足りない方に、自分の不利益を顧みずに行うのが『教える』であり、

教える方が、自分の有利になるような誘導の仕方をしたら、それは『利用』であって、教えたことにはなりません」

(『スマホを捨てたい子どもたち』山極寿一著より)

 

教えることは自分に不利をもたらすから、動物はやらない。

せっかく私は人だから、

「利用」ではなく人だけがやる「教える」を考えてみた。

 

山極氏の考えに習って、私自身の言葉で言えば、

教えることは、自分の持っているものを「分け与える」ことではないだろうか、と。

自分の不利益を顧みず分け与えることが「教える」ことだと私は思う。

 

糸賀一雄氏のエピソードに出てきた、オムツを替えてもらう時に一生懸命腰を浮かして介護者に感動(光)を与えた重度心身障害のあの青年も、

青年自身が持って生まれたいのちの力を介護者に分け与えて「教えた」こと、「この子らを世の光に」を糸賀氏にも「教える」行為だったと思う。

 

「布施」というのは、施す側の幸福だという。

差し上げることで執着を一つ手放し身軽になれるということもあるのだろうし、

差し出す行為自体が幸せだとも言えるのだろう。

 

さて、今回は精神保健福祉士。

実習免除・社会福祉士との共通科目免除の短期コース・通信課程。

修了すると、国試の受験資格が得られる(試験は受けなければならない)。

 

学校と言えば社会を有利に生きるとか適応するとかいう話になりがちだけど、

そういう世渡りの話、「利用」の方の話は、

50をとうに過ぎた今、さすがに卒業したい。

 

だから今回、資格を取って世渡りの糧にしたいとは考えていない。

 

今回のテーマは「分けあい、与えあう」こと。

さしあたり、

〈自分が学ぶこと=分け与えること〉

という等式を、成り立たせることができるかどうか。

 

〈分け与えること=自分の幸福〉だから、

〈学ぶこと=自分の幸福〉となる、

そんなふうでありたい。

 

 

5月16日(月)

・6時から子どもの昼ご飯作り、7時出勤。

・早朝時間外勤務。

・夜、スポーツクラブのマスターズ競泳練習。

 

17日(火)

・6時から子どもの昼ご飯作り、7時出勤。

・早朝時間外勤務。

・定時で速攻退勤、夜ラン7.73km

・そのあと急いで晩ご飯作り。

 

18日(水)

・6時から子どもの昼ご飯作り、7時出勤。

・早朝時間外勤務。

・自宅筋トレ。椅子2脚でディップス(大胸筋下部)、ダンベル・フロントレイズ、握力用グリップを使って大胸筋上部、膝コロ(膝をついて腹筋ローラー)など。

・ストレッチ、筋膜リリーストリガー、ストレッチポールなどでほぐし30分。

 

19日(木)

・6時から子どもの昼ご飯作り、7時出勤。

・早朝時間外勤務。

・スポーツクラブのマスターズ競泳練習。

 

20日(金)

・20時半まで残業。

・夜、子どもたちとコンビニで買った晩ご飯。

トレーニングなし。

 

21日(土)

・フィンスイミングクラブの練習

・夜、通信課程のレポート作成。

「気分(感情)障害の症状、分類、予後、治療につて、それぞれまとめなさい」(1000字)

3時間やったが、完成にまでは至らず。

 

 

そしてきょう、

OWS、6kmT.T.が中止になってしまった。

久しぶりに晴れたが、強風で海が荒れたようだ。

どうしよう、

走ろうかな。

5月9日(月)

・スポーツクラブのマスターズ競泳練習。

 

・読書『ホーキング宇宙を語る』スティーヴン・W・ホーキング

 

 

10日(火)

・早朝出勤、さらに20時まで残業

(晩ご飯は嫁さん担当)。

 

・20:40 市営体育館のジムで筋トレ。

いつものメニューのあと、フィンスイミング向けにバックエクステンション(背筋)を追加。

・市営体育館のジムが、コロナ以前と同じ22時までの営業に戻っていた。

 

 

11日(水)

・早朝出勤、19時すぎまで残業。

 

・夕方、突然左足首に痛みが生じて腫れあがる。アイシング、ロキソニン錠剤と湿布。

 

・筋膜リリーストリガーを使ったほぐしとストレッチ(30分ほど)。

 

 

12日(木)

スポーツクラブのマスターズ競泳練習。

左足首痛みと腫れは残存していたが、マシにはなっていた。

Frのキック(バタ足)中心で2000mちょっと。

 

・読書『援助関係論入門』有斐閣アルマ(仕事向け)。

 

 

13日(金)

仕事を30分早退して、歯医者へ。

トレーニングなし。

足首の痛みと腫れはおさまる。

 

 

14日(土)

所属しているマスターズ競泳チームの練習に参加。

・『正法眼蔵』(講談社版)第5巻「諸法実相」の一部を自分の言葉に訳してみる。

 

 

 

 

昭和19年8月19日が祖父の命日

墓石には、そう日付が刻まれている。

 

航空母艦とともに海に沈んで戦死したと聞いている。

飛行機の「整備兵長」

祖母が墓石にそう刻んでいる。

 

私の手元に、祖母が残した1冊の小冊子がある。

看護師として70歳まで働いた祖母だったが、

定年を過ぎたころ、来し方をふりかえって歌のかたちで綴ったものだ。

 

 

「吾児」というのが私の父で、

父の出生届を出して間もなく祖父は出征、戦死した。

 

祖父の消息については、上の祖母の言葉がほとんど全てだった。

乗っていた船の名前も、私は聞いたことはない。

祖母も父も知らなかったのだろうか。

 

実は、戸籍に記載されている命日は、墓石に刻まれた日にちと異なる。

戸籍では、昭和19年8月10日戦死となっている。

「昭和19年8月10日時刻不詳西洋群島方面において戦死佐世保海軍・・・報告昭和20年7月21日受付」

戦死から1年近くたっての報告。

 

私はずっと戸籍の方が正しいのだろうと思っていた。

 

けれど今回、墓石の命日を見た息子が、

昭和19年8月19日近くで沈んだ船をインターネットで調べてくれた。

すると、ちょうど墓石の命日の前夜に沈没した船が一隻だけあった。

しかも航空母艦だ。

 

Wikipedia によると、

昭和19年8月18日午後10時28分、米潜水艦の雷撃を受け、

魚雷1本が右舷後部に命中、

艦底部ガソリンタンクが300mの火柱のあがる爆発を起こし、

弾薬庫を誘爆させ、左舷側のタンクも爆発し・・・、とある。

沈没の仕方も「燃えほそる航空母艦よ我が夫よ」と書いた祖母の言葉とよく一致する。

深夜に沈没し、

その翌日が、墓石に刻まれた祖父の命日だ。

 

沈没位置は北緯18度12分 東経120度22分

ルソン島西岸あたりだという。

この位置が「西洋群島方面」に当たるのかどうか私にはわからないけれど、

息子が調べてくれた範囲では、8月10日戦死では、これかと思う船はない。

 

航空母艦大鷹戦没者慰霊碑が佐世保にあり、

「艦沈没時、運命を共にした477名をふくむ484名を祀る」とある。

この477名の中に、私の祖父もいるのだろうか。

佐世保に行けば、477名の名前が刻まれているのを見ることができるのだろうか。

 

祖父はいったいどんな気持ちで死んでいったのだろう

怖かったであろうし、苦しかったであろう

戦争は、悲しみでしかないと思う。

 

きょうは沖縄返還50年、式典をテレビで中継していたのをちらっと見た。

きょうは天気が良かったので、

ゴザとビーサンをリュックに詰めて、

海まで走って行きました。

 

その結果が・・・

 

きょうは珍しく音楽はなしで行きたい気持ちになって、

イヤホンはつけずにスタート

するとランキーパーが5分おきに

経過時間、走距離、ペース

を読み上げるのが聞こえる!

 

言語は英語で女性の声に設定しているが、

やけに陽気でハイテンションなその声にあおられ励まされ、

結果、今の自分の力を出し切りました的ペースで走ってしまう・・・

 

相模川の河口(茅ヶ崎側)に出て、湘南大橋を渡りきったところで計測を止める。

この距離を6:16/kmで走ったことなど、いつ以来か?

 

 

走るのもどこかのクラブに属して練習していたら、

こんな感じで仲間から刺激を受けてついがんばってしまうんだろうな、と思いました。

水泳の練習も、一人じゃとても頑張れないので。

 

けれど走ることは、体を動かし気持ちいいという感じで、一人走がいいな。

軟弱な人間なので、

がんばると、しんどさがわかってしまって、

次またやるのがいやになっていまうので(笑) 

 

anyway・・・(まだランキーパーの声に影響されている)

無事に走り終え、

平塚の海岸をビーチパークに向かって歩く。

 

ござを敷いてストレッチをして、

大の字に寝転がると、

波音と潮風のここちよさに40分ほど眠ってしまった。

(帰りは電車)

 

 

ところで先日、4月24日に海でOWS、

片瀬東浜海岸で3kmタイムトライアルをやった時の写真をネット上で発見。

この写真だと2番手の黄色いTYRのキャップが私。

レースの展開は当日のブログに書いたとおり。

 

当日の記事にも貼り付けておきましたが・・・

 

自分が泳いでいる画像や動画はないもので。

 

 

 

きょうは横浜国際プールで、

第34回フィンスイミング日本選手権

 

今回は練習不足だったため100mは見送り、

50m sf(サーフィス)だけに絞りました。

 

レースは11:45頃スタート予定。

その20数秒間のための動きを考えて、楽しむ。

 

つまらない私の記録を云々しても仕方がないけど、

その一瞬の戦いに向けて積み上げていく楽しさと、

フィンスイミングはとても奥が深い競技であることを書ければと思う。

 

 

・7:00起床(6時間睡眠)

筋膜リリース・ローラーで、とくに背中とハムストリングをほぐしてから家を出る。

 

・8:50 会場の最寄り駅に着き、

コロッケパンとメロンパン、缶コーヒーをコンビニで買ってすぐ食べる。

レースにはじゃっかん空腹で臨みたいので、これで十分。

 

・9:20(頃)開場。

・観覧席のチームの場所に荷物を置いてアップの準備。

 

・水着に着替えてプールサイドに出ると、

まずプールサイドでモノフィンとシュノーケルの器具監査を受ける。

もらったシールを貼って、準備完了。

 

・アップ開始

高飛び込み用のプールが終日アップ・ダウン用プールとして解放されている

メインプールではなく、そちらで泳ぎ始める。

 

体が動きにくい朝一番のレースだし、本番は50mだけなので、

アップは1000m泳ぐつもりで開始。

 

①ビーフィン(2枚フィン)で400m

②モノフィンで300m

③メインプールへ行き、飛び込みダッシュ

50m×2=100m

④ビーフィンでダウン200m

合計1000mで予定通り完了。

 

プールサイドでストレッチをして、

10:45、アップ終了。

 

・いったん着替えて観覧席に戻り、

すぐにレース用の水着等を準備する。

15分足らずで招集の時間に。

 

予定通り昼前にレースの順番が来る。

 

予選では、先にフィンをはいて良い。

前の組がスタートすると、スタート台の手前まで尻をついていざって行く。

じゃんじゃん次々スタートしていくマスターズ競泳と違って、

フィンスイミングは1組ずつ、じっくり時間を取って進行していく。

 

プールに背を向けて座ったままコース・コールに答える。

 

短いホイッスル3回で、スタート台の横に腰掛け、

フィンをプールの水につけてゆさゆさする。

 

短いホイッスル3回のあと長いホイッスルが鳴るまで、1分15秒ある。

私は早めに上がって、しゃがんで待つ。

 

長いホイッスルが鳴って、

ゆるく身構え、

take your marksで、しっかり構える。

 

マスターズ競泳で2個メを泳ぐ時など、私は無難に入水できれば良いと思って軽く飛び込むが、

50mだと、そういうわけにもいかない。

 

やり直しなしの1回スタートなので、

構えてから号砲までの間に動くと失格。

けれどやはり号砲を予測して、聞こえた瞬間飛び出している感じを目指す。

 

号砲!

潜れるのは15mまで。それは競泳と同じ。

決めていた通り、6蹴りで浮き上がる。

息を強く短く吹いて、シュノーケルの水をクリア(吹き飛ばす)

 

あとは全力。

 

浅く速くならないように、深く、深く、と頭に思う。

腹筋でフィンを動かすが、上体の上下は小さく、先端へ行くほど大きくしなるようにフィンの動きは大きく、

ストリームラインはできるだけ細く、

重心移動で前へ前へ、

 

感覚的にはあっという間。

結果↓

23"42

ビリではなかった(笑)

49歳でフィンスイミングを始めて約三年半、52歳での結果でした。

 

先日練習の最後に測った22”26には及びませんでしたが、

公認記録としては、

1月16日の第18回関東オープンでの

24"24

からの自己ベストでした。

 

とにかく楽しく泳がせて頂きました。

きょう5/3(火)は、朝息子と散歩をした。

8時に家を出て、10時まで、ゆっくり歩いた。

 

私の通った小学校が閉校になってしまった。

小学校の姿で残っている最後になるかも知れないので見に行った。

 

通学路を、息子とたどった。

思いで話を、息子が聞いてくれた。

 

「○○の坂」と小学校の名前で呼ばれていた坂。

これをのぼって小学校へ通っていた。

中学の部活でも坂ダッシュをしに走りに来ていた。

 

上から見た坂。

 

左手が私の通った小学校。

 

まず、プールを見てしまった。

ここで練習したわけじゃないけど、体育の授業では水泳だけが得意だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

さようなら、私の通った小学校。

 

自分が通った中学校へも行ってみた。

当時、1学年に15クラスあって、私は1年15組だった。

真ん中の木が植わっている手前まで、プレハブ校舎が建ち並んでいて、

私も一時期そのプレハブ校舎で過ごした。

 

それから堤防へ。

小学生の時友だちと登校前に走ったし、

中学の部活で走りに来た時もここから堤防に上がった。

 

だいたいこちら向きに走った。

高校生の時だけは逆に向かった。

 

対岸は高槻市。この対岸の景色も懐かしい。

 

河口まで28km

 

最後に自分の通った高校を眺めて帰った。

統廃合で、校舎は残ったが、高校名は変わっている。

 

歩きながらの思い出話と散歩に、息子が付き合ってくれた。

 

ブランチを食べてちょうど昼頃、実家を出て帰路についた。

予定になかったが、母が京都までついてくると言うので一緒に京都駅へ。

新幹線の乗り場まで入って、見送ってくれた。

 

膝がよくなって、年末年始は神奈川へ泊まりに来てくれればよいのにと思った。

さて翌日、5月1日(日)は予報通り朝から雨。

 

母は今回、左膝がだいぶ痛そうな様子。

少し前に転んで膝をついたという。

変形性膝関節症とも診断されて、筋力アップを医師に勧められたとのこと。

ちょっとだけ、市の総合事業や介護予防サービスの話などをして、

 

母は、スマホについて、私たちが来たら聞こうと思っていたということで、

おもに嫁さんと息子が、母の質問に答える形で、いろいろとやってくれた。

LINEのスタンプを購入したりも、嫁さんと息子が母を手伝った。

母のはiphoneだけどグーグルレンズを入れて散歩の途中に見かける花の名前をその場で調べられるように、これだけは私が手伝った。

 

 

娘の写真を見せたりもして、ゆっくり過ごす。

 

午後2時ごろ、雨が止んだので、散歩に出かける。

母がいつも散歩するというコースを案内してもらう。

↑ 私にも懐かしい淀川の堤防ではあるが、

母が歩くのは堤防の下の川沿いの遊歩道だとわかった。

 

堤防から見る枚方大橋は、私にも懐かしい光景。

高校の部活で走りに来ていたエリア。

 

 

 

↓ キジの声がしたので、姿を探しに行った子どもたち。

母は何度か見ているそうだが、この日は見えず。

 

 

子どもたちと外を散歩するのは私も久しぶり。

楽しいひとときでした。

 

堤防から、関西医大(病院)を通り抜けて、

市駅へ出る。

水泳の練習に自転車でひたすら通った道だ。

 

 

 

 

↓ グーグルが自動でパノラマにしてくれた

ちゃんとあってる。

 

T-site地下のスーパーで晩ご飯の買い出し。

一切れずつしか食べられず盛り合わせでも多いし、お金もかかるとのことで、

母が大好きだが一人で買って食べることはない刺身をたくさん買って帰る。

 

さらに実家最寄りの駅横でたこやきを買って帰る。

(写真を撮る前に一つ食べてしまった・笑)

母は食べないのだけれど、私も家族も大喜びで熱々なのを平らげた。

とにかくダシとトロトロの感じ。

子どもたちも喜んで食べてくれた。

 

そんなこんなでゆっくり過ごした一日でした。

 


翌日、5月2日(月)は、

午前中に墓参りに行き、

午後はひらぱーへ、とくに下の娘の希望で遊びに行った。

枚方パーク、遊園地だ。

娘はもっぱらジェットコースター関係に繰り返し繰り返し乗って楽しんだ。

 

息子の方はよみうりランドに飽きるほど行ったし、ほかにもあちこち連れて行ったけれど、

娘の方は小学生の後半コロナでどこへも連れて行ってあげられなかったから、

まだ中1になったばかり

もうこれで親と行くのは最後かもしれんけど、楽しく過ごしてくれたようで、よかった。

 

夜は、これも母が大好きだが、一人では食べられないものシリーズで、

宅配ピザを取って食べた。

Lサイズの8等分を、母は4枚も食べた。

サラダは母が作ってくれた。