まだ「子ども」だったころのことを思い出す | リンゴ剝きには最適の日々

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長年勤めた職場を退職し、人生の第2幕が始まりました。
これからは、好きなことにとことん嵌って人生を楽しみたい!!

夏:向日葵

 

「サッカー」に嵌ってからで思い出したことがある。

それは、高校入学直後のこと。先輩から、サッカー部のマネージャーになってくれないかと頼まれたことがあった。

 

同じ中学校の同じ部活(文化系)の2学年上の先輩だった。特に「お付き合い」とかしていたわけではないが、先輩の家がわが家より先にあったので、普通に同じ道を帰っていた。先輩が高校進学後の2年間、どういう関係だったのか、なぜかそこの記憶が抜け落ちているのが不思議なのだが。高校入学後、サッカー部に入り、3年生になっていた先輩からマネージャーの依頼を受けたのだった。

 

あの頃「キャプテン翼」を知っていたら、迷わずOKしていたと思う。ただ、残念ながら、その頃のmomoko-mamaは、「サッカー」を知らなかったし、マネージャーが何をするのかもイメージできなかった・・・。それに加えて、マネージャーの依頼の裏に、先輩の「好意」が含まれていることを感じていたのだと思う。

結局、サッカー部のマネージャーにはならなかった。

 

その後も、正式に(?)お付き合いを申し込まれた記憶はないのだが、それでも、先輩との関係は続いていた。映画に一緒に行ったりしていた。ただ、15歳のmomoko-mamaは、まだまだ「子ども」だった。先輩の「思い」を全然理解できていなかった。それがわかったのは・・・。

 

3月、教員を目指していた先輩は、東京学芸大への進学が決まり、地元を離れることになった。そして、上京する前に、先輩から呼び出されたmomoko-mamaは、先輩からプロポーズされたのだった。


今と違い、携帯も、メールもLINEもなにもない時代。遠距離恋愛を成就させるためには、強い思いが必要だったのだと思う。それを形にしたのがプロポーズだったのかもしれない。また、先輩のお家は両親の不和で離婚が決まっていたという事情も背景にあり、先輩自身が「家庭」を求めていたのかもしれない。

ちなみに、先輩とは、手すら握ったことはなかった。18歳の健康な男の子だった先輩。それも、まだまだ「子ども」だったmomoko-mamaに対する先輩の「優しさ」だったのかもしれないと、今は感じている。

 
 

結局、「子ども」だったmomoko-mamaは、プロポーズを受け入れることはできなかった。

 

もし、その時、受け入れていたらどうなっていたのだろう・・・。
人生に「もし・・・だったら」は、ないのはわかっているが、ふとそんなことを考えてしまったmomoko-mamaだった。