幸せは柔らかいもの | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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三日間続いた暑さもようやく和らぎましたね。

高橋大輔さん関連の情報もちょっと途切れたところですが、便りが無いのは次なる準備が進んでいるってこと。

それが何よりの情報です。氷艶まであと2か月となりました。まだまだ長いけど過ぎてしまえばあっという間だとは判ってるのでこのじりじりするような待ち時間を楽しみたいです。

 

 

 

今朝はまた痛ましい事件がありましたね。こういうことが起こるたびにどうやったら防ぐことができるのかという議論がなされますが結論に至ることは稀です。しかしながらみながそれについて深く考えることは大切だと考えます。

なぜ?どうして?あの時誰かが・・・

 

ついつい犯人以外に責任者を求めてしまいがちですが、未曽有の災害と同じでその場に居合わせた人の誰にも防ぎようもないことがあります。実はちょうど今朝、私の身近な方が全く違う事件に遭遇してしまい、その時どのように対応したかを教えてくれました。

 

それで分かったのですけどいざ自分がヤバい状況に置かれたらやはり関わりたくないという意識が大いに働いてしまうってことです。

その方も最初は無視しようとしたのですって。でも早朝、あまりに助けを呼ぶ声が煩いので我慢できず通報したというのです。

 

正直に言えばそれってかなり冷たい話です。何が起こったかわからないにせよ、大事になりそうだと思ったら即座に警察に届けるべき。でもどうしても「放っておけば誰かが何とかしてくれる」「自分はできれば関わりになりたくない」という意識が先になるんですね。

若い女性が明らかに助けを求めてずっと叫んでいるというのにかなり時間が経ってからようやく警察に連絡したとおっしゃってました。これがもしかして小さな子供の泣き叫ぶ声だったら完全に無視したかもしれません。それがもし虐待だったら・・・

 

 

 

事件は自分の身近、目の前でだって起こりえる。だけどその時の心の準備なんてそうそうできるものではありません。だっていざとなった時、自分の対応で人を救えることがあるかもしれないと日ごろ考えて生きてるわけではないのですから。

 

テレビやネットに向かって簡単に人のことは批判するけど、じゃあ自分がそれに遭遇した際はまず逃げるのが先決でしょう?

 

どうしたって「災いには関わらない事」が一番賢く思えてしまう今の世の中ですけど、ですがちょっとでも・・・それがただのあいさつ程度でも「日ごろから関わる」ことで、多少軋轢を生むにせよ発生する問題を未然に防ぐことができるかもしれない。

 

そう思うとこんな自分であっても何かしら思う事を述べておくのは無駄じゃないのかも。

 

ほんとに偶然このブログを読んでくれた人が少しばかり笑ってくれたり、優しい気持ちになってくれたら・・・なんてすごく独りよがりな考えですが、少なくともそのつもりで書いておくのと、ストレス発散に思うざま悪意をばら撒くのじゃあやっぱり何かが違うはずだと考えます。

 

一人で立ち向かうことはできないけど、でも多くの人の力が集まれば大概のことは何とかなる。それはやっぱり「いざ」という時ではなくって何も起こっていない「今」にこそ気持ちを合わせるべきなんだろうなと思います。

 

 


「お客様は神様ではありません」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190517/k10011919021000.html

 

これはNHKのNewsUpでピックアップされていた記事ですが、いまやカスタマーハラスメント という言葉すら登場するようになりました。

ようは過激なクレーマーの事です。不当なサービスを要求しそれがエスカレートする。

上記の例とは違うけど、なんかスケートファンにもこのタイプが多い気がするのですよね。

楽しませてもらってるのはこちらの方なのになんにでも文句言いすぎ!!

 

自分の満足のために企業や世間が応じてくれて当たり前と考える人たちがこうした行動に出やすいのです。もちろん正当なクレームはいいのですが、その線引きが非常に偏っている。例えば今朝のような事件があるとなぜもっと防犯体制を整えなかったのか?関係者は身を挺して守るべきではないのか?という議論になりやすいのですけど、それはやはり違うんです。自分がいざ同じ立ち場になった時にどういう行動をとれるか?想像してみたらそんなに人を責め立てることはできないはず。

 

過度なクレーマーは人に甘えたいという気持ちがとても強いのだそうです。

自分を見てほしい、尊重してほしい、何も言わないけど察してほしい、理解してほしい、自分の思い通りに動いてほしい。自分の望む結果を出してほしい。

 

その人たちはどこかで自分が無価値であると無意識に感じていて、自らの価値を相対的に高めることによって、つまり相手を下げることによって自分が偉くなったように感じる。 その満足感を得るためにさらに下げる相手を求めてさまよう。

 

人は決して助けないけど、人のことは必ず批判する

 

ただのクレーマーとなり果てるのか?自分が関わることで、当事者として多少苦しかったり辛かったりしても何かを産み出したり変えていこうとするのか?

 

私は断然後者を応援したいですし、自分のような大したものでなくても、それで嫌な思いをしたとしてもやっぱり人様の心身を蝕むよりは育む側でいたいと願うものです。

 

これはきれいごとではなくって生きる上の覚悟だと思います。

 

もしかしたら私も誰にも助けてもらえずにひっそりと無情の闇に消えるかもしれない。かといって自分はまったく関わりたくないというのはあまりに非道だなと思うんですよ。

 

そんな私は昔から甘えベタです。だから甘え上手な人はやっぱり羨ましいですよ。甘えることによって人を気持ちよくさせて人から恩恵をもらえる。それっていいなあと指をくわえてみてました。

 

甘え上手さんとクレーマーって何が違うのかなあ?

 

まあその辺がよくわからないからこそちょいと不器用に人生歩んでるのかもしれません。

 

あ、だからなのかな。浅田真央さんの最近のインタに凄く共感しました。

 

浅田真央さん「ああ、幸せだな」 引退して気づいたこと

https://www.asahi.com/articles/ASM5Q3T0SM5QUPQJ005.html

 

ご自分のことを不器用だとおっしゃる真央さんに、ああそうだな、やっとそう言えるようになったのだな。つまり第三者の目で客観的に自分を顧みられるようになったのだなとまず思いました。

真央ちゃんは人には簡単に甘えないタイプの人に見えます。

 

でももちろん全然不器用なんかじゃないのですけどね。でもそのくらい真剣に一点に集中してたってのは傍から見てても痛々しいほどわかりました。猛練習の様子はたびたび記事にもなり、その頑なさにもう少し楽になったらと案じている周囲の想いもよく綴られていました。

 

真央ちゃんが結果を出せずに苦しんでいるときは私も見ていて苦しかった。でもその最中にもたくさんの傑作を演じてくださり、忘れられない美しい姿を見せ続けてくれたのが浅田真央という選手です。宿命から逃れるすべを知らなかったとはいえ、その宿命を常に真正面から受け止めてくれていた。

 

その真央ちゃんがいま、幸せだなとおっしゃってくださってる。今は目標もありそれを達成する歓びも感じていらっしゃることに安堵するとともに、「幸せって柔らかいもの」という表現がまさにその通り言い得て妙で、私の中にすとんと落ちたのです。

 

そうだよね、柔らかいからこそ味わえるのが幸せ。歯を食いしばってるときは到底気が付かないし、そんな気持ちにはなれないけど、その頑張りがあったからこその今感じる柔らかな幸せ。

 

幸せになっていいんだなって、感じることの幸せ。

 

自分の満足のために人を支配したがるのがクレーマーなら、人と共に歩みながら前に進むことを選択するのが甘え上手さんなのかも。

 

お互いに上手に甘えられたらみんな幸せ。

 

そしてその方法を伝授できるのが天使ってことかな?辛い想いを重ねて掴んだからこそ人に幸せが伝播するんですね。

 

だから今すぐに幸せになれなくてもいいよ。叩かれた分だけ柔らかくなり、人の想いを知って芯から強くなれるからって、言ってくれてる気もするんですよ。

 

 

今は幸せだよって教えてくれた真央ちゃん、そして大ちゃんに感謝です。私もこれからはずっと笑顔でお二人の演技を観られると思います。

 

 

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