なぜエロスを感じるのか? | 高橋大輔選手と共に momokikuのブログ

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フィギュアスケートの高橋大輔さんを無条件に応援しております。

昨日は成人の日でしたけど、珍しいことについに晴れ着姿の新成人に遭遇しませんでした。

会社帰りに駅前に集まっているそれらしき団体さんがいましたけど、みんな私服に着替えた後でしたからね、ちと残念です。

 

最近はめちゃくちゃ派手な着物姿もあり、拝見できるのは楽しみなんですけど。今年成人式を迎えた本郷理華さんもとてもきれいでした。さすが名古屋嬢だけあって艶やかでゴージャスでしたね。

初めて見たときには中学生だったのになあなんて感慨深く思っちゃうところが私も年だわね。

でもあのころから化粧映えする大人びた美人さんでした。

ほんと人様の子は早いや。

 

今日久々にお会いした方と近況を少し話したんですが、子供に関してはいくつになってもこれで終わりってのがない。いつまでたっても心配だし、こうなれば良いという到達点がないから欲にもキリがないって言われました。

 

多分に危なっかしく思えてもそっちに行ってはダメって言いたくなっても、成人してしまったら自ら選んだ道に立ちふさがることはもうできないんですね。

 

これ結構親にはつらいけど子供の成長を考えたら我慢しなくちゃいけないのだろうな。

実の親だってそうなのだからただのファンはねえ、もっと耐え忍ばなくちゃw

勝手な理想像は押し付けるつもりがないし、ただ元気でさえいてくれたらいいなんて思いつつ、無意識に欲深になってしまうんだなあ。

今の大ちゃんの活躍だって私の思い描いた将来像をはるかに超えて立派なんですけどね。

 

最終的に何があっても大ちゃんなら大丈夫!っていう彼に対する深い信頼があるので過保護なお節介は焼くつもりないんです。彼は自分で正しい道を選べる人だから。

 

でも最近気が付いたのですが、私どうやら長年大ちゃんの言葉を見聞きし、著書を読んでるうちにすっかり飼いならされて、大ちゃんの謙遜モードが染みついちゃってましてね。

あまり大仰に持ち上げたりするのが悪い気がしてるのです。

 

期待しすぎちゃダメ、過保護になってもダメと自制して、ハラハラドキドキをやり過ごしてきたんですが、それでも大ちゃんはすごいや!!って言いたくなるようなことがたびたび起こるんで、ふふふ困りますねえ。

例えば最近のユーリオンアイスブームに乗じて大ちゃんのEX版ブエノスアイレスを作中のエロスという曲に合わせて編集したMADの再生数がいつの間にかすごいことになってるのですが、

大ちゃんのことなど全く知らない海外のアニメファンから「これぞエロス!」って感嘆しきりのコメントが多数寄せられてて、ファンとしてはうれしいしやっぱりニヤニヤしてしまいます。

 

えーとユーリオンアイスについてはつい最近ようやく全部見終わりました。

見てるとどうも本物が見たくなってフィギュア動画巡りを始めてしまうので、1話通すのにとても時間がかかるんです。まあそれだけスケートシーンがちゃんと描かれてる作品だからでしょうね。

いろいろモノ申したくなる部分もあるし、キャラクターやストーリーにも、もっとこうしたらよかったんじゃない?っていう不満が無きにしにあらずなんですが、それはあくまでもスケオタ視点ですからそれは置いておいて、いやー世界的になかなかの反響でしたね。

まあこれでフィギュアファンになるというのは裏口から入ってくるようなもので、大丈夫?って危惧もあるんですが、何がきっかけで好きになるのかわかんないものです。

 

でも上記のコメントを拝見すると大ちゃんのスケートから抱いて然るべき感覚を皆さん得られているんだなというのがわかりますし、あ、やっぱり私だけが感じてることじゃないんだ、世界共通なんだってのが認識できたんです。

 

MADは作品を汚すものとして嫌う気持ちはわかります。アニメブームに乗るのは邪道じゃないかとも。だいたい大ちゃんはこの曲を聴いて滑ってるんじゃないですからね。違和があって当然です。でも完全に一致しないからこそ気が付く部分、見えてくる部分があって、あらこんなに細かく指先を閃かしていたんだとか、首を振るときに足元はこうだったのだとか、改めてこの演技の素晴らしさを再発見できたのは良かったです。

 

逆に言えば大ちゃんが滑るとき、あまりに曲と一体化して何もかも自然で当たり前のように受け入れてしまってるのでね。呼吸を忘れるくらいに没頭してるのでどんなにすごいことしてるかって気が付いてないのですよ。スケートに呑まれ、音楽に酔いしれてるだけなんですよね。

大ちゃんの場合は曲が主役になるのです。大ちゃんは楽器ですからね。

その奏でる音に違和があって初めて、大ちゃんがどれほどの技巧の持ち主かわかるわけです。

そして浮き彫りになったその滑りを見て感じることはやっぱり「エロス」なんですからね。

 

で、なんでそうなるのか?ってことをもう少し考えてみました。

 

たとえば絵を描こうとするとき、うさぎは耳が長い、キリンは首が長い、虎は虎柄、シマウマは縞柄というイメージがわきますよね。

でもそれではいつまでたっても下手な絵しか描けません。

頭に思い描くものがそもそも抽象的な概念に過ぎないからです。

 

ウサギの耳が長いかどうか?ではなくウサギはどうして耳が長く見えるのか?っていう観察が必要ですね。

 

フィギュアスケートにおける表現もおなじで、タンゴだからこんな振り付け、ロックだからこんな感じという動きではあくまでもそれっぽく見えるだけで、タンゴにもロックにもなりません。

 

タンゴとかロックとかジャンルで考えてたらダメなんですね。

まずは音を聴くこと。音が伝える波長、リズム、それによって人間の体に沸き起こる感覚、感情、それを伝えるためにどういう動きがあてはまるのか?が出発点なんだと思うのです。

音楽に対して頭でっかちにならず、どんなに聴きなれた曲であってもすべる前にはリセットでき、曲と初めて出会ったかのようにフラットでいられる人がもっともその曲の真を伝えられる人だと私は思います。

 

バトルとのライラックワイン振り付け映像は大変興味深いもので、私はようやく初めて白紙の状態から音と一致するまでの大ちゃんの変化の過程を見ることができました。

 

以前、バトルが振り付けたほかのスケーターの演技を見た後で、バトルの演技を見て、そのスケーターの再現性の高さを初めて知ったことがありました。滑ったプログラムは違いますが、随所に特徴的な動きが入っていたのでいわば元ネタがわかったのです。

忠実に動きを再現できるってそれは素晴らしい能力だと思います。

 

でもそれだけでは考えてるとは言えません。

 

大ちゃんだってまずは振り写しから始まります。それは模写みたいなもんですね。でもただ写してるだけじゃないのです。あまり意識してないかもしれませんが、沢山の情報をまずインプットしてるんです。そしてちゃんと考えてから動いてる。この考えるという作業をすっ飛ばしてしまうとただの物まねに過ぎなくなってしまいます。動きながら常に第三者がそれを見たらどのように感じるかっていう意識を働かせないとね。

 

人間、視覚で得た記憶ってほんの短時間しか保てないし、残らないのですってね。だから振り付けも言葉に置き換えて覚えるのが普通だと思うんです。でも大ちゃんの場合、ここは手を伸ばすとかここは顔をなでるとかそんな風に考えながら動いてはいないと思うのですよ。

 

音を感じ取ってそれを身体表現するまでの時間がめちゃくちゃ短い。たぶんまだあくまでも氷の上で、ですけどね。

生まれ持った才能だけではなく、それは練習の積み重ねがなせる業で、「巧み」の域に達した技術者がほとんど感覚で精密な部品を作り上げてしまうようなものなんだと思います。

 

タンゴだったらこう動くという形をとるための練習ではなく、その動きがどう感情を揺さぶるのか?を突き詰めて理解するために大ちゃんはずっと練習を積み重ねてきたんです。

だから大ちゃんどころか、フィギュアスケートを見たことのない一般の方にだって「エロス」が伝わるんですよ。

 

大ちゃんがほかのスケーターに求める言葉はときに辛口に感じることがあります。口調は柔らかいけど結構シビアです。でもそのものずばりこうしろなんて指図はしません。

 

だって上記のようなことは自分で気が付かないといくら教えても無駄なんですよ。

芸事の世界ってなんでもそうですよね。

なーんて思わず知ったようなことを書いてしまいました。すみません。

 

まあ私も全然できないのですが、何事も見た目や形ではなくその奥にある精神を大事にしていきたいなーと思いつつ、精進していくつもりです。

 

 

 

 

大ちゃんも年明けから少し休んでそのあとはまた準備にあわただしくお過ごしかと思います。

去年と違って私も余裕しゃくしゃくでお出ましを待っておりますが、と言いつつもMOIの完全版ではラストの噛みかみご挨拶だけだったし、今日発売だと張り切って書店に出かけてみたら、「日経ビジネスアソシエ」は連休につき入荷が一日遅れだそうで、なんだか振られっぱなしで寂しい・・・

 

いやいや贅沢を言ったらいけませんね。

 

 

 

 

 

 

 

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