宇多田ヒカルに関して、ももじゅんの感想をちょっくら述べてみたいニヤニヤ




早速、手元にある白洲正子本を読んでみた🎵




ざっと読み返して見るにお願い

「遊ぶ」ということが、『名人は危うきに遊ぶ』には.直接的には白洲正子さんは書いていないようだが、、、




白洲正子著作全体の8割前後は読んでいるももじゅんの、記憶をたよりに思い起こしてみようお願い





白洲正子さんは、『我を忘れるくらい熱中し、それに深く没入すると、何かしら得られるものがある』と、いくつものエッセイのなかで述べている。

その上での、「遊び」





宇多田ヒカルが、色々あった人生(早くからのデビューや最初の曲超ヒット、コロンビア大学入学・中退、母親藤圭子の奇行や死、自分の2度の結婚・離婚、出産など)


人の何倍もの苦労や困難を乗り越えたときに、暗黒の時代から光が見えてきて、「遊び」や「余裕」「諸行無常」までも感じたと、宇多田ヒカルは言う汗汗




宇多田ヒカルが白洲正子さんのどの文章からそういう気持ちになったのか、ももじゅんにはよくわからなかったが、インタビューに答える様子や表情から、いままでのどこか不安定なところから脱出して、確かな日常を歩みはじめたように感じたピンクハート






写真 新潮社白洲正子著作より

『名人は危うきに遊ぶ』のタイトルは、晩年の白洲正子さんが、喜多流能楽師の故友枝喜久夫さんの能にいたく感動して、その能の姿を描いている。


また、あるインタビューで白洲正子さんは友枝喜久夫さんのことを、「きわどいところ」「刃のハの先を歩いているような、ゆったりと平然としているところ」と答えている。


遊びの果ての姿か?
ももじゅん



まだもやもやしたものが胸に渦巻き、言語化できないので、後日閃いたときに、ブログに書きたいと思う。中途半端でごめんなさい。




宇多田ヒカルが、母親藤圭子の歌のなかでも一番好きだという
『面影平野』
宇多田ヒカル(ヒッキー)の歌声にも、同じような切なさあり泣