外部からケーブルで電源供給しているのでしょう。
ここからは後部甲板には入れないようでした。
どこをどう通ったかヘリ発着後部甲板に出ました、
通路は薄暗かったです。
壁にはローラーの付いたレーンがありました。
大量の物資を搬入する際にこのレーンを廊下につなげて、物資をパレットに載せて人力で転がして押していたのでしょう。
このレーン自体も重そうです。
南極の岩石が展示されていました。
資料で印象的だったのは、観測員がテントで何日か雪上ビバーグした時に、3人ではそうでもないのに2人になるとお互いに耐え難い嫌悪感を催し、いがみ合ったそうで、この人間の心理的生理的メカニズムは今後の極地研究に値すると記されていた報告書でした。
食堂兼談話室。
居住区の3段式寝台。ベッドというよりハンモックのようです。
上下2点支持でチェーンで補助されているだけ。チェーンがあるので水平は保たれるようです…梯子が見られませんでしたがどうやって上り下りしたのでしょう?
カーテンが1枚着くようですが、高さ50㎝×200㎝くらいの寝台の上が、この船での個人空間。
一般乗組員105名の居室?としてカウントされます。
約150㎡に3段ベッド27台、2段ベッド14台、船首部にも60人分の居室があるとのこと。上級幹部・先任乗組員には個室があるようです。
因みに、乗組員以外の南極観測員は、日本から航空機でニュージーランドへ渡り、そこから乗り込んだとのことです。
船は文部省管轄、運用は海上自衛隊によるものでした。
ブリッジ。
伝声管がアナログ時代を感じさせます。
名古屋港ポートビル展望台から南側を見た様子。