こんにちは。

先日、韓国の慶州で世界遺産巡りをしてきました。


こちら

新羅時代のお寺などを見てきました。

懐かしいような感覚。

日本と近いなぁと感じました。

2000年も昔から、日本と朝鮮半島の交流はつづいていて、

その証として、仁徳天皇陵や古墳群が出来ています。

高句麗が唐に責められ、南下して、

新羅や百済を追いやり、

その後滅亡し、沢山の人が亡命し、海を渡ってきました。

716年には高句麗の王族 、高麗王若光か1799人を引き連れて武蔵国に移住して高麗郡をつくることになります。


それが高麗神社の始まりです。



実は、

その高麗神社にご縁をいただき、行ってきました。


高麗宮司さんや、地元の高麗1300年の方にお会いして、ご説明いただきました。


高麗神社、いま出世神社として有名で、

令和の時は、御朱印を求め行列が出来たそたうです。

高麗宮司さま


ご参拝の方のエピソードなどはなしてくださいました。

29年には上皇、上皇后が参拝され、

ご案内したのだそうです。

真っ赤な曼珠沙華の公園も行かせていただきました。

高麗名物の高麗なべ。


中に、地元野菜と、キムチが入るのが高麗なべです。

地元グルメにと、みなさんでアイデアを出して、

決まったのだそうです。


境内に入ると、空気が違う!

温度が違うのではないかと思うくらい、

清々しく、

深呼吸したくなる。

異国の物が入ってくると、排除、排他の行動が起きたりしますが、

1300年も高麗の呼び名が残り、

神社も残って、地元に溶け込み、

地元の特性になっているということ。

日本はいつも、

東アジアのパワーバランスの中で生きてきました。

大陸と半島が近づいた時に、争いも生まれています。

北方領土を戦争で取り戻すと発言した方がいらっしゃいますが、

大量破壊兵器のある時代に、ナンセンス。

破壊のもたらす規模も、損害も、被害も想像できない、想像力の欠如です。

東アジアの、大陸、半島、島国と地政学的な歴史の中で日本は生きています。

まずは、対話。

それが外交であり政治だと思います。



高麗神社がなぜ1300年も高麗神社でいられたのか?

両国の関係の中で学ぶべき知恵があるのではないかと思うのです。

好き嫌いではなく、お互いを知る、理解してから

始まる関係を期待したいと思います。

シンポジウムでは、高麗宮司さんと対談形式で

文化、フード、エンターテイメトとおはなし出来たらと考えています。

日本の百舌鳥、古市古墳が世界登録される?というニュースから

高麗神社を考えてみました。




皆さま、ありがとうございました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。爆笑