繊細タイプの子どもをもつと

周囲から言われること。


「このままじゃ社会に出られないから、

 色んな事に慣れたほうがいい。」


コレ、心配からだとは思うのだけど、

私は基本


無理に慣れなくてもいい


と思っています。


必要があれば、必要なことに、

必要なときに慣れるようにできてるから、

無理に慣れようとしなくていい。


それは、個性だから。


好き嫌いとか得意苦手とか

みんなそれぞれに、様々な

分野で持っているものだから、

○○が出来ないとダメとか

○○じゃないと適応できないとか、

それはその人の価値観なだけ。


年齢を重ねて、自然と繊細さが

薄れる部分もあれば、

逆に強くなる部分もあるし、

変わらない部分もある。


こももの場合で言えば、

眠ることへの抵抗は

中学生くらいになったら

自然と薄れていった。


義務教育の学校、という部分への

合わなさそのものは年を経るごとに

強くなったし、それは意思がより

明確になった、ということでもある。


小さいころからの聴覚過敏の

本質は今も変わらないから、

突然の大きい音とかは苦手で

子どものころからイヤーマフを使ってる。


これ全部、彼女の個性だし、

それで楽しいと思うのも、

大変だと思うのも、苦労したり

悩むのも、幸せになるのも全部、

こもも自身。


だから、周囲が無理にどうこうする

必要はないし、出来るものでもない。


アイディアや思いを伝えるとか、

サポートの気持ちを表すのは

出来ることだと思ってる。

でも、だから○○しなければならない、

と強制すると途端に意味が変わってくる。


繊細さは個性


個性だから、いい、も、わるい、もなくて、

本人が生き辛さを感じて困るなら、

その辛さを楽にしていけるサポートを

していく思いでいればいいし、

本人が特に困らないなら、そのままでいい。



私は食品に対する潔癖が

一般以上に大きい。

強迫、の手前くらいかな。

そもそも体調不良で生のものが

ほぼ全て食べられないのだけど

(果物なんかも。)、それに輪をかけて

過剰加熱ってくらい加熱したもの

じゃないと食べられない、っていうのがあってね。


でもそれで、手間がかかって不便なことはあっても

特に困るってわけではないから、

その強迫を改善しよう、ってことに

労力を使うことを別段していない。


生がダメなら食べなkればいいし、

過剰加熱じゃないとダメなら、

しっかり火を通せばいい、

ってだけのハナシ。


苦手なものがあるなら、苦手を克服する

だけが最善じゃなくて、どうしたら

心地良くいられるかを考えればいい。


自分が克服したい、と思うことは

そうすればいいから、克服しようって

思いが悪いわけでも勿論なくて、

結局は自分が本当はどうしたいのか、に尽きる。


私は別に生モノを食べたいと思わないから、

そこを克服しようと思わないし、

それで気を使ったり、不便なこともあるけど

(結婚式のお食事とかほとんど

食べられなくて申し訳ないなぁ、とかって

ことも多々あったし。)私にとっては

食べないことが心地よく自然だから、それでいい。


それで不具合があっても、

選択した自分の責任だしね。


繊細さという個性を潰す必要性を

私は感じないから、

無理に慣れさせることは

別にしなくていいなぁ、と思ってます。



先日繊細タイプのお子さんを持つ

お母さんと色々話した時に感じたことでした。


話しをしながら、繊細さを大切にしたい、というのも

私の思いの軸なんだなぁと改めて感じて、

この思いをこれからも大切にしていきたいなって

感じている自分に気が付きました。


なにより、単純に、私の好みとして


繊細さを持つ人が好き


なんだとも思う。


そこに現れる心の輝きとか

美しさ、純粋さみたいなものが

とっても素敵だなぁと感じるから。


繊細さがあると、生き辛いことは

多くあると思うけれど、やっぱりその

美しさ、個性を輝かせて欲しいな、

と私は思います。





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