なんとなく思っていたこと。

相変わらずのひとりごと、なので

お時間のある時にでも

お付き合いくださいませ。



元気があれば、何でもできる♪


という有名なフレーズ。


人によって捉え方が違うとは思うけど

どちらかというと、元気があれば

何でもできるから元気でいるように!

とか、元気じゃないとダメ!

元気でいるために○○しなさい、

といったように感じて、

なかなか強い言葉だなぁと思ってた。


でもこの言葉って、よくよく考えると

「元気があれば何でもできる」なら


元気がないと、何も出来ない


ということを言ってるんだよね、

ってことに気が付いた。

何も出来ない、というか


何もする気持ちになれない


という感じ。

確かに、元気じゃないとホントに

何も出来ないなぁ、と思うもの。



元気の定義もひとそれぞれだけど、

私にとっての「元気」は別に

体が健康なだけ、でも、

心が健康なだけ、でも、

ただパワフルである

ってことだけでもない。


どちらかというと私にとっての

「元気」は


生きる気力が湧いている


みたいな状態、だと思っている。


何か条件を満たしていることが

「元気」なのではなくて、

本人に生きる気力があることが、元気。


さらに、元気があれば「何でもできる」の

「できる」って


「したいと思う」


ってことだと私は解釈してる。

元気があれば、色んな事をしてみたい、

と思えるよ、みたいな感じかな。


出来る=結果として可能、

という意味ではなくて、

出来る=意欲が湧く

という意味だと思ってる。


そして、何かをしたいという

意欲が湧く、意欲がある、ということは

突き詰めていくと


「生きたい」


と思える、ということ。


生きたいと思わなければ、

そもそも何かしたいって欲求は

湧きあがらないから。


つまり、元気があれば何でもできる、って


生きる気力がわいて

生きたいと感じられる状態だと

幸せを感じられるよ


って意味だと私は捉えて(感じて)いる。


なんか、まわりくどくて、

分かりにくくてごめん(笑)


この言葉を最初に聴いた時、

なんだかパワフル過ぎて

ちょっと違和感があったのだけど、

私の中でこんな風な見方(考え方)に

なってからは、途端にとても

ステキな言葉だなぁと思うようになった、

という訳なのです。



私自身のこと、だけど

10代は本当に


元気じゃない


時代だった。


それは、体調が酷かった、というのもあるし、

体が思うようにならないことによって、

気力を持つってことが出来なくなって、

結果、積極的に「生きたい」とは

あまり思えなくなってた。


それは別に、命を終わらせたいわけではなくて、

生きる、ということそのものに積極的に

興味を抱けない、というような感覚かな。


楽しく生きることを重要視しなかった


とも言えるのかも。

一般的に10代って楽しい♪な

イメージだけど、私自身はそういう

経験を積んでこなかったんだよね。


とりあえず、なんとなく、毎日を送っていく。

体調が酷く無ければラッキー、って勿論思うけど

じゃぁ元気になってあれがしたい!コレやりたい!

っていう積極的な思いがあるかというと

その辺りが皆無だった。


生きる、ってことに興味を持てなかった。


そんな感覚だったように思う。

だから、体が落ち着いているときでも

「元気」ではなかったんだよね。

無気力な人、だったのかもしれない。


表面上はそれなりにしてたけどね。

無気力です、って周囲に知らせる必要さえ

ないなぁって思ってたから。

自分の不調を表すってことは、

少なくとも周囲に関わってほしい、って

思いがあるからで、それ自体は

生きる気力だと思う。


10代の私は、そもそもそんなに

長く生きようと思えていなかったから、

ただ問題なく日々が過ぎればいいな、

くらいに思っていたりした。


こももが私の昔の写真を見ると


「ママが生きてなかった時代ね。」


って言うんだけど、その言葉がとても

当てはまってるなぁと思う。


生命維持、という意味では

生きていたのだけど、

意欲を持って自分という存在を活かす、

という意味では、生きていなかったよな、と。


そんな経験があるからこそ

「元気」であること=「生きたいと思える」ことが

私にとっては大切なことで、

貴重なことだと思ってる。


子どもが、元気で笑顔ならOK


これが私の育児の軸なのは、

ただ肉体が健康であれってこと

ではなくて、


生きたいと思える

笑顔が出る


ような日常であれば、

そこに細かい条件は

必要無いと思っている、ということ。


だから、


肉体が健康であること

心が健康であること

勉強ができること

学校に行くこと

早寝早起きすること

人間関係が良好であること

仕事をしていること

好き嫌いがないこと

努力すること・・・etc.


といったような「条件」

正直、どちらでも良い。


それが出来て、本人が幸せだな、

と思って、生きる意欲に繋がるなら

大いにウエルカムだけど、

そうしなければならない、という

義務になって、生きる意欲を

そぐものになるのなら

別に無理しなくていい、と思う。


私が体が元気じゃないときに、

健康が一番、とか言われても

逆にしんどかったし。

そうじゃない自分、というものは

ダメなのか、って思ったりしたから。



まぁもっと究極に言えば、

元気じゃなくても、

笑顔じゃなくても、

存在しているだけでいいし、

存在していても、いなくても

魂は変わらない・・・

というスピリチュアルな話しになっちゃって

際限が無くなっちゃうので、

そこは一旦置いておいて、

私が「元気で笑顔ならOK」と思うのは


生きたいと思える今


を感じてくれたら、それで充分嬉しいから。



そんな思いがあって、我が家ではよく

元気があれば何でもできる♪

って言葉を使う。


それは、なにひとつ、条件なく、


あなたがあなたでいてくれることが嬉しい


ということ。


言葉ひとつとっても

人によってそこに宿る「思い」が違う。

元気じゃなくちゃいけない、という

思いで使うと、とても攻撃的な言葉になるし、

ただ愛してるという思いで使うと

存在への尊敬の言葉になる。


だからこそ、言葉に宿る思いも

伝えられるようなコミュニケーションを

取っていけるように心がけたいな、と思う。





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