うつについても「早期介入」がにぎわっている。

 というか、そもそも「早期介入」という考え方は、「うつは心の風邪」あたりからすでにその下地は十分にあった。しかし、今日の経済の低迷をうけ、企業としてはより一層の「早期介入」に取り組む姿勢を見せているように思われる。




そんなおり、たまたま『精神科治療学』(2011年1月号)に「職場における「うつ」の早期発見」という論文を見つけた。著者は長谷川千絵氏(東邦大学医学部精神神経医学講座)。

この論文を要約すれば、つまり、職場における「うつ」の早期介入は、結果的に国の経済的損失を防ぎ、患者の予後を改善させ、自殺対策にもつながる、というものである。

筆者の長谷川氏は東邦大学だが、東邦大学といえば、「若者のこころの病の早期発見と早期治療をめざす」として「イルボスコ」というメンタルヘルスセンターを設置している大学である。

 論文は、したがって、なるほどと思わせる部分がたくさんある。




 いわく、早期介入の意義……統合失調症をはじめとする精神疾患においては未治療期間(DUP)が短いほど、予後がよく、QOLの低下を防げる

 その下敷きになっている研究はといえば、これまでも「早期介入」のたびに名前のあがってきたオーストラリアのパトリック・マクゴーリ氏の論文と、著者である長谷川氏の担当教授(らしい)、水野雅文氏の「精神疾患の早期発見と早期治療」だ。

 統合失調症のDUPをもってきて、つまり、うつ病においても、未治療期間の長さと予後の関連が示唆されるというのである。

そして、2つの症例を挙げている。

二人とも30代の男性で、専門技術職。重症度、出現した症状もほぼ同じだが、

 症例1、未治療期間が42ヶ月、抗うつ薬を服用した期間24ヵ月。

 これに対し、症例2は、未治療期間が2ヶ月、抗うつ薬を服用した期間2ヶ月。



 これをもってして、未治療期間が短い方が、予後がいいという論理の展開だが、その中に「ライフイベント」(例えば、上司とのトラブル、長い勤務時間、仕事上のミス、失恋、家族の問題等々)の要素を組み込んでいる。

 つまり、何らかのストレス要因となる出来事がどれくらいあったかということだが、症例1のほうが症例2より多くの要因があり、内容も深刻なものが多かった。

 ということは、症状は同じでも、症例1のほうが多くのストレスを抱えていたわけで、それが服薬期間の長さにつながっているとも考えられるわけだが、論文ではそうした視点は無視され、未治療期間のみが重視されている。

 また、それぞれの症例は、書き方が簡略であるため、どのような薬を処方され、どう経過していったのかまではわからないが、症例1では抗うつ薬の増量が行われ、症例2では増量せず、7ヶ月後には復職し、通院も自己判断で中断している。

 2か月の服薬で改善したということだが、それはもしかしたら薬によって改善したというより、プラセボ効果による改善かもしれず、また、症例1が服薬期間が長引いたのは、もしかしたら服薬中に薬の副作用が出て、それを(よくあるように)病状悪化と受け取られ、服薬期間が長くなっただけのことかもしれない。

つまり、この2つの症例では、検討すべき点が他にもたくさんあるにもかかわらず、単なる数字を比較して、未治療期間の短い方が回復が早いという結論を無理に導き出しているように思えるのだ。




現代型うつ病

 筆者は次のように書いている。

「30代のうつ病は、ディスチミア親和型うつ病双極Ⅱ型障害のうつ病相非定型うつ病未熟型うつ病の占める割合が大きいといわれている。これらのうつ病は、それぞれ回避行動主体で、ときに他罰的、対人過敏性、拒絶に対する過敏性、他者に対する攻撃性などを特徴としており、対人関係関連のライフイベントがストレスとなり、発症の誘因になっている可能性がある。」




 そして、症例1では、「いったん復職した後にも上司と意見が合わないことで怒り、投げやりになり再び休職している」というが、はたしてこのような状態を「うつ病」ととらえるべきなのだろうか? と思う。

 たとえば、このブログで取り上げることの多かった被害状況――精神医療に関わることで改善どころか薬の副作用等で状態がさらに悪化し、それによってさらに新たな病名をつけられ、薬が増え、さらに悪化していくという悪循環――それは、そもそもがたいした検査をすることもなく、鑑別診断もしないまま、患者の訴えのみによって、右から左へと薬を処方するといううつ病治療の結果ではないかと私はずっと思っていた。

 いわゆる現代型うつ病といわれるものへの安易な薬物療法(しかも、日本の状況としてそのほとんどが多剤大量になりがちだ)が間違っているのではないかと。




投薬が不可欠なうつ病

 以前、松山の笠医師を訪ねた時、氏は「うつ病とされる100例のうち本物のうつ病は1例くらいのもの」と言っていたが、http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10937258310.html

同じ雑誌に「投薬が不可欠なうつ病があることを忘れないこと」というタイトルの論文を見つけた時には、私は笠医師のこの言葉を思い出し、「その1例には抗うつ薬も効果があると」――そういう論旨の論文かと思った。

しかし、実際読んでみると、まったく逆の内容である。

 要するに、古典的なメランコリー親和型うつ病(あえていれば、これが100例中の1例か)とは一見異なった振る舞いを示す抑うつ状態(未熟型、ディスチミア親和型、現代型うつ病)が現在急増しているが――これは上の論文の筆者長谷川氏が30代に多いうつ病としているものだ――これらはあくまで「内因性のうつ病」として、必要な薬物療法を試みるべきである(のみならず、筆者はETCも有効)と主張しているのである。

 この論文の筆者は複数(愛知医科大学精神神経科)だが、つまり、これは、現在、SSRIを中心とする抗うつ薬の効果に対する疑念の高まりに対して、そうした現象は認めつつも、それでもなお「抗うつ薬には効果がある」、しかも「現代型うつ病にも効果がある」ということを主張するための論文であったのだ。


そもそもうつ病とは?

 DSMの登場によって、うつ病はそれまでの考え方とは違う、症状論に限定された、うつ病の同質性を招く結果となった。つまり、操作的判断基準であるDSM-Ⅳで定められる症状が満たされれば、「大うつ病性障害」ということになるわけだ。(ちなみにこの「大」は「メジャー」の訳(大リーグと同様)で、「中心的な」くらいの意味である)。

 そして、この論文では、DSM-Ⅳの大うつ病の判断基準を満たした患者825人を対象に、うつ病をかつての分類方法の心因性(心理的誘因が特定できるもので、適応障害など)と内因性(心理的誘因が明確でないうつ病)にわけて論じている。内容が曖昧なため(心因性と大うつ病の書きわけが非常に曖昧)、少々強引に趣旨を整理すると以下のようになるかと思う。


 つまり、大うつ病825例中、

心因性

認知行動療法

カウンセリング

・抑うつ神経症

・反応性抑うつ状態



560例



内因性

投薬

ECT

・ディスチミア親和型うつ病、未熟型うつ病などいわゆる「現代型うつ病」

・メランコリー親和型うつ病



265例





論文ではこう書いている。

「軽症の内因性うつ病と、反応性の抑うつ状態(表でいえば「心因」)とは質的に異なった症状は出現しない。そして、この二つの鑑別点として重要なのは、生活史から説明できないような断裂が生じていることである」――つまり、そのようにして825例を鑑別したのが上の表である。

 そして、断裂とは、

「十分な社会適応を示していた人が数週間から数ヶ月の経過で急速に作業能力の低下や普段興味・関心をもっていたこと(ひいきの野球チームの観戦やゴルフなど)に対する関心を失ってしまうような、生活史上の切れ目が確認できること」とされる。

そして、医師としては

「両者を鑑別できる単独での症候論的特徴はないにもかかわらず、心因反応を超えた脳における一種の自律的な不調の存在を基本的には診察を通して把握」して鑑別する必要があるとしている。

 しかし、「脳における一種の自律的な不調の存在を診察を通して把握」できる医師がどれほどいるのだろうか? と思う。

 鑑別診断がそのような医師の力量にゆだねられるとしたら、心因560例、内因265例という数字が、実際の臨床場面でどう変化してくるかということである。

(そもそも患者にとって「病名」などどうでもいいことかもしれないが、このようなうつに対する考え方があり、そこで医師の治療方法が変わってくるとしたら、やはり大きな問題ではある)。


 しかも、同じ雑誌の他の論文に出てくる症例でびっくりしたのだが、たとえば、「工場勤務は自分には向かないが、本社勤務であればきちんと職務をこなすことができ」「自責的な傾向が強い従来のうつ病とは違い、会社や上司などへの批判を繰り返す他責的な言動が目立つ」「重度の抑うつ気分ではなく、漠然とした倦怠感や、不定愁訴に近い症状を示す」のも、ディスチミア親和型うつ病としてとらえられている点だ。したがって、これも「内因性うつ病」として薬物治療の対象となる。

 これはどう考えてもおかしい(と私は思うのだ。薬でどうにかなる問題だろうか?)。


過剰診断され続ける「うつ」

しかし、職場のメンタルヘルスは現在、急務としてとらえられている。

なんといっても、2010年9月の発表によると、自殺とうつ病がなくなると1年で2兆7000億円もの経済的便益があるらしいのだから。

(内訳は、自殺した人が亡くならないで働き続けた場合の生涯所得が1兆9028億円、うつ病を原因とする失業者への生活保護給付の減少額が3046億円、うつ病がなくなることによる医療費の減少額が2071億円、うつ病による休業がなくなることによる賃金所得の増加額が1094億円)。

 したがって、職場におけるうつ病の早期発見、早期介入は、うつ病という疾患の持つ曖昧さを置き去りにしたまま、「未治療期間の短い方が予後がいい」という一つの研究結果を盾に、若者に対する「早期介入」同様に、根拠のはっきりしない「危機意識」だけをあおりつつ、推し進められている。

しかも、前出の論文では、「現代型うつ病の強調は、しばしば非薬物療法を重視する論考で見られるが」と言いながら、あえてそれを引き戻す形で、「現代型うつ病にも薬物療法を」と主張している。

さらに鑑別診断を唱えながらも、それはいささか心もとない感がぬぐえない点からも、結局は、これまでどおりの過剰診断が続くであろう(論文はそれを推奨しているようなものかもしれない)。

職場における「うつ」への早期介入の隆盛は、本当に社員を救い、企業を救い、日本の経済を救うことになるのだろうか。



「たぶん80%かそれ以上のうつ病患者は治療しなくとも最終的に回復する」(Byck 1975)という研究もあるのである。

また、早期介入を唱える側は、常に「未治療期間が短い方が、予後がいい」という論理をよりどころとしているわけだが、「治療によって状態がさらに悪化し、複雑化するケース」はこのブログでいくつも紹介してきた。

現在の精神医療の質――上の例でいえば、大うつ病と診断された825例すべてに機械的な薬物療法が施されかねない現状と、さらには、薬の副作用を症状の悪化ととらえて結局は多剤大量処方に陥りがちな臨床現場、そして、そもそも鑑別診断という思想さえ乏しいという状況で、「うつ」に早期に介入することの意義は何なのだろうか。

経済的損失を言うのなら、早期介入をすることで、かえってそれを助長することも十分に考えられるのだ。


職場のうつの囲い込み

職場のメンタルヘルス対策はよく、一次予防、二次予防、三次予防に分類されるといわれている。

 一次予防は、精神疾患の発症、精神面の不調の出現を未然に防ぐことをいい、二次予防は、精神疾患(不調)の早期発見、早期介入を意味し、三次予防は、休職後のケアを言うらしい。

 したがって、本来の一次予防とは、職場環境の整備や労働条件を整えることを指すはずだ。にもかかわらず、いわゆる現代型うつ病の多くみられる職場のうつにおいて、二次予防の早期発見ばかりが重視され、すべてを「個人」という存在に集約させて、その中で何とか解決を図ろうとしているように見える。


論文の最後には、早期介入のためとして、このように言っている。

「健康診断などで早期に発見して受療行動をとらせること。しかし、医療機関に紹介しても、本人がなかなか受診しないことも多いため、受診したかどうかを確認する必要がある。さらに、定期的に通院していることの確認も必要である」

さらには、管理監督者へはメンタルヘルスの教育を行い、部下にその兆候が見られたら、産業医や保険師、看護師に相談するように勧める。また、従業員にも自ら早期に気づいてもらうためメンタルヘルスの教育を行って、さらに家族に対してもパンフレットなどを配って啓蒙する、と。

まさに職場における「うつ」の囲い込みといってもいい状況である。