今月(20179月号)の『臨床精神薬理』は、特集として

「向精神薬の多剤規制と減量・離脱の実際』を掲載しています。

向精神薬の「長期処方」が脳にどのような影響を与え(悪影響)、したがって、どう減薬し、薬を中止していけばいいのか・・・といった論文のオンパレードです。

 例えば、タイトルだけ拾っても、こんな具合。

 

① 抗うつ薬慢性投与による神経伝達機能の変化とその臨床的意義

② 抗精神病薬の長期投与がドパミンD2受容体に与える影響とその臨床的意義

③ 抗うつ薬の長期投与の影響

④ 抗精神病薬の安全な減量方法と、中止を含むその是非について

⑤ 抗うつ薬、気分安定薬の離脱に伴う問題と減量中止の方法

⑥ 睡眠薬や抗不安薬の離脱に伴う問題と安全な減量中止の方法

 

 とくに⑤について抄録を紹介します。

「減量、中止に際して、抗うつ薬の場合は、離脱症状の発現に注意を要する。ストレス症候群という新たな依存の概念も提唱されており、抗うつ薬の依存や離脱症候群の存在が明らかになりつつある。

 気分安定薬の場合は、いわゆる離脱症状の存在がはっきりしないが……漸減、中止の方法に関しては、推奨し得る方法論を検討できるほどの研究は今日なされておらず、具体的な漸減中止法を示すことはできなかったが、抗うつ薬、気分安定薬のいずれにせよ、減量や中止に伴う種々の問題を回避するためには、緩徐に慎重に漸減していくことが重要であることは言うまでもない。(辻敬一郎、田島治) 

引用以上

 

これまで抗うつ薬には依存がない、離脱症状はない、というのが通説でした。DSM-Ⅳにおいても、抗うつ薬への依存の存在は否定されていました。

 しかし、現実には、その離脱症状の発現の報告が急増し、無視できない状況となったというわけです。当事者の方なら、すでに経験済み(抗うつ薬に離脱症状はある)、ですが、こうして論文として発表される、これはある意味で画期的なことではないでしょうか。

 

 ところで、抄録に出てくる「ストレス症候群」という言葉が気になります。以下、引用します。

 

「ヒーリー(『ヒーリー精神科治療薬ガイド』や『抗うつ薬の功罪』の著者)は抗うつ薬への依存を新しいタイプの依存と考え、ストレス症候群という概念を提唱している。このストレス症候群は、……化学物質である薬物が脳に化学的ストレッサーとして作用した結果とも考えられ、さらにこの種のストレスに脆弱な人の場合は、薬物により引き起こされた脳の変化は薬物中止後も継続する可能性があることを指摘している。このような現象は抗精神病薬でも認められ、表2に挙げる3点の特徴が指摘されており、これまでの依存の概念を揺るがし得るものである。

 

 表2 ストレス症候群(抗うつ薬や抗精神病薬への依存)の特徴

・治療薬への依存の形成には必ずしも耐性の形成を必要としない。

・該当する薬物は多幸感や渇望をもたらす必要はない。

・服用者のパーソナリティにはあまり関係がない。

 

引用以上

 

 この「ストレス症候群」の考え方は非常に興味深いです。「この種のストレスに脆弱な人」のケースで(とくに抗精神病薬において)深刻な被害を出しているように感じます。

 ともかく、「抗うつ薬の離脱症状」について書かれたこの論文はとても重要なものと思います。

  ちなみに、抗うつ薬で離脱症状が激しいのは、半減期の短いSSRI、とくにパキシルだそうです(実際パキシルの減薬に苦労している人はたくさんいます)。

以下、代表的な離脱症状をあげておきます。(ほぼベンゾジアゼピンの離脱症状に重なります。)

・不安・抑うつ

・不眠・眠気

・悪心、嘔吐

・めまい

・倦怠感、疲労(インフルエンザ様感覚)

・集中力低下

・非現実感、離人感

・生々しい夢、悪夢

・自殺傾向

・筋けいれん、振戦

・知覚異常(電撃様感覚、痛み、幻覚、聴覚過敏など)

・体温調節異常(ほてり、発汗、寒気など)

 

 この雑誌のコラムに石郷岡純氏が文章を寄せています。

「薬物療法に対する批判をどう考えるか」

以下一部抜粋。

 

「精神科薬物療法に対する批判の声が大きくなっている。減薬や断薬はいまや精神医療の領域に限らず、ある種の社会的ブームになっており、非薬物療法に対する期待が相対的に高くなってきている。

……(この雑誌の)創刊(1997年末)から21世紀初頭は新薬の導入が一気に進んだ時代であり、薬物療法への期待が過剰なことに戸惑いを感じるほどであった。しかし、新薬導入が一段落したこの数年の間に薬物療法に対する認識は大きく変わり、冒頭述べたような状況へと急激に変化した。

……新規の薬剤の医療への投入は減少し、向精神薬の開発エネルギーも急速に低下している。薬物療法に関する科学データの蓄積は急速に進んだが、そこに待っていたのは天井知らずに見えた成果ではなく、薬物療法の限界という現実であった。

……ある苦痛だけ取ってくれればいいと医療者と契約し、それ以上の要求も責任も求めないというリバタリアン的患者はいないであろう。病人はみな多かれ少なかれコミュニタリアン的である。しかし、新規の薬剤が続々市場に登場していた時は、こうした問いかけは一時棚上げされ、科学の進歩が(薬物療法の進歩が)善き医療の実現(=正義の実現)につながると無邪気に信じられという時代の空気が存在していたのである。これは人々が(医療者も含めて)科学データを、それとは本質的に異なる人生の物語に取り込めると思い込んだということである。しかし今、科学の進歩が(精神科薬物療法の進歩が)、必ずしも善き医療の実現に直結するわけではないという、当たり前のことに社会が気づいたのである。その結果、過度の期待が消え、それまで薬物療法に与えられていた社会的承認ははく奪され、これが批判的言辞となって表面化してきたのである。」

 

 いろいろ述べていますが、要するに、精神科の薬物療法は当初期待されたほどの効果がないことにみんな気づいてしまったということでしょう。無邪気に期待感を寄せたのは、まず医療者の方であり、患者にそれをおしつけてきたわけです。

また、「過度の期待が消え、それまで薬物療法に与えられていた社会的承認ははく奪され」とありますが、社会的承認がはく奪されたのは、「過度の期待が消えた」からではなく、精神科の薬物療法の馬脚が現れたためでしょう。つまり、効果がないばかりか被害が多く出たからです。

 石郷岡純氏のこの言説は、何とも悲哀に満ちています。が、まだまだ現実を正しくとらえているようには思えません。(ちなみにこの方は、例の暴行事件のあった千葉の石郷岡病院の理事長です。)

 

 

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ゆうの会Part2開催

◆日時 929日(金)1時から5時

1031日(火)1時から5時

◆場所 杉並区内の公共施設(メールで申し込まれた方に直接お伝えします)。

◆参加費 300円

◆申込 申し込み chocolemoncakeあっとgmail.com (あっとを@にしてください)