(1からのつづき)

眠れない、じっとしていられない、のたうちまわるのみ

今日までのセロクエル断薬期間は2か月強。アカシジアは徐々に進行していたようです。断薬2週間目ぐらいにイライラ、思考力、集中力低下など。次いで作業が続けられない。4月中旬ぐらいから、睡眠時間の短縮とその後の歩きまわり。日中もじっとしていられなくなり、立ち続ける。横になると手足がびりびりして寝ていられない。

夜は強度の不眠で寝ることはほぼ不可能です。椅子には3分と座っていられません。何か作業をしようとするとすぐに苦しくなって何もできません。テレビなど見ていられません。耐えるとかの話ではありません。

要するに24時間、立っているか、寝ているしかないのですが、辛くてたまりません。褥瘡になりますし、内臓機能すべてがやられます。体重は日ごとに減少しています。日々着実に体が疲弊していきます。一切の行動が数分以上持続できません。車の運転は勿論出来ないし、バスにも乗っていられないでしょう。座って人の話を聞くことは不可能です。思考もできなくなりました。ほんの少し考えると苦しくてたまらなくなるのです。

何かに対処するということができません。今日は、こうしてメールを書くことは辛うじてできます。座布団に座って書いている時は少し落ち着くのです。進行が驚くほど速いので、数日でなにもできなくなるでしょう。」



退院後セロクエルを一気に抜いた当初は、身体がずっと楽になりました。それで喜んでいたら、とんだところで仕返しを受けたことになりました。

でも不思議なことに自殺衝動がないのです。想像ですが、リボトリールによってマスクされているのかも知れません。苦しんでいるのに死にたいという衝動がわきません。だから寝床の中で朝までのた打ち回っているか、室内を歩き回って苦しむだけです。

死んだ方が楽だという気持ちはありますが、衝動がないため実行に移せないのです。他殺衝動のないのがせめてもの救いです。精神科入院者の場合、自殺病死を問わず死亡時支払金が減額されるのではないかと懸念しています。」



重度のアカシジアでは今後の人生はありません

ここ数日腰膝が痛くなりました。私は歯が悪いのですが、歯医者にも行けないでしょう。さらに、寝たきりの体で歩き回りたい衝動だけがあったら、どんな頭になってしまうでしょう。

うつ病で入院した結果、アカシジアになってしまっては、今後どんな病気になっても受け入れてくれる病院はないでしょう。まさに医療難民です。生きるとすれば、精神科病院に入院し、多額の費用を巻き上げられた挙句、多くの死亡患者とともにこの世から消えることになります。
悪魔の病院に入院するまでの短い期間、妻との生活を本当に大事にしたいと思います。」……




どうすればいいのか……

薬については素人なので、Gさんの厳しい状態がこれから先どうなっていくのか、私にはまったく想像もつかない。

アカシジアは治まるものなのか……。

また、Gさんは、離脱症状の激しさから、「リボトリールの断薬は不可能に思える」と別のメールに書いてきているが、とすれば、このままリボトリールを飲み続けて、その先はどうなるのか……。

Gさんは一度デパスを完全に断薬し、その2年後に再びベンゾジアゼピンのリボトリールを服用している。

先日紹介した、ウィキぺディアの「ベンゾジアゼピン離脱症候群」の中には、

「ベンゾジアゼピン離脱の既往歴を持っている人は、再度の離脱には成功する確率が低いことが知られている。」という箇所がある。

 Gさんの今回の状態はこうしたことと関係があるのだろうか。



以前紹介した同様のケース、http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10874999415.html

(離脱症状との終わらない闘い)でも感じたことだが、一度、精神薬の負の循環に足を踏み入れた者は、筆舌に尽くしがたいほどの苦痛を経験し、なおかつ経験したからといってそこから抜け出せる保証もないという現実が待っている。

このケースのD子さんにしろ、今回のGさんにしろ、どこをどう解きほぐして、どのような対処をすればいいのか、減薬すべきか、しかし減薬する時点ですでに耐え難い離脱症状が生じている。

もちろん、そこに至るまでには、さまざま悔むべきこともあったと思う。Gさんの場合もデパスを多量に服用していた時期があったし、D子さんにも、離脱症状の苦しさから過量服薬の経験があったかもしれない。

しかし、それを理由に「だから……」と言っても、何も解決しはしない。

そもそも過量服薬したくなるような薬であるのだから。



本当にどうすればいいのか、こうしたケースを知るたびに、いたたまれない気持ちになる。

医師が当てにならないとすれば、あとはその当てにならない医師の指示通りに薬を飲み続けるか、それとも見切りをつけて、自己判断で減薬に踏み切るか、その場合は、減薬法など多少のマニュアルがあるとはいうものの、結局、個人の根性において離脱症状を耐え抜くしかなくなるのだ。



上記のD子さんからは、その後「復活へ向けて」と題して、以下のようなメールが送られてきた。

この間、なんとかベンゾから抜け出すために、綱渡りのぎりぎりのすさまじい状態が続いており、しばらくは経過報告ができないと思いますが、のちに良い知らせをお聞かせできればと思います。」

 以前、苦しい離脱症状の中でも減薬していくしかないのでは、と何度も書き送った私に、「骨折している脚で、走れと言われているような感じ」と書いてきたD子さんだが、ようやく本気の減薬の、そのスタートラインに立つ決意をしたのだと思う。



 Gさんはリボトリールの断薬は不可能と言っている。

 なら、どうすればいいのか……。

 Gさんの主治医はセロクエルの勝手な断薬のせいで、このような状態になったと言いたげだが、私には責任逃れのようにも聞こえる。

元をたどれば医療が蒔いた種である。それを、個人個人が、文字通り死に物狂いになって離脱症状と戦わざるを得ない状況は、理不尽を通り越している。

これからも薬物療法に重きをおいた治療を押し進めるつもりなら、精神医療は減薬や離脱症状についてもっと学び、己が処方した薬の後始末までする覚悟を固めるべきではないだろうか。

いや、そんな高望みはしないまでも、せめて医師は、自分が処方する薬は、キャンディなどでは決してなく、ここまで人の健康と人生を破壊し、人間を絶望の淵に追いやる可能性をもっているものであるという自覚をもつべきである。