以前、紹介した同じ精神科病院(http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10798923538.html
)
における、驚くばかりの被害報告を受けました。
私としても、実名を挙げ、世間に問いたい衝動にかられましたが、ご本人とお子さんのリスクを考え、とりあえず、仮名にさせていただきます。
報告を寄せてくれたのは、川崎由衣さん(仮名・41歳)。病院は関西地方の精神科単科病院T病院(院長は、Y・Y)です。
少々込み入った話でもあり、しかし、その過程がいかに1人の人間を陥れるためのすべての布石となっているかということもあり、ありのままを少し詳細に記します。
突然、子供と引き離される
川崎さんはシングルマザーとして、2003年6月、女児を出産した。
妊娠6か月までは働いて、自身で生計を立てていたが、実家には頼れないという事情もあり、7か月以降は生活保護に頼ることにした。
生活保護対象者は、助産制度の使える病院でしか出産が許されない(ということになっている)。そこで、川崎さんは通っていた産婦人科から、指定された市民病院に転院した。そして、6月6日、無事出産。
その後、福祉事務所の方から、母子寮への入寮を強く勧められた。川崎さんには、ある支援団体が用意してくれた自宅があったが、さまざまな理由をつけられ、母子寮に入ることに同意させられる。しかし、まだ空きがないということで、市民病院に延長入院していた。
そんなある日のこと、病院に生活保護のケースワーカーと○○市中央福祉事務所の「主査」と名乗るMという女性がやってきた。そして、川崎さんに身上調査のような質問票を手渡し、記入させた。
その際、川崎さんが「子供は母乳で育てたい」というようなことを口にすると、M主査が「母乳なんか捨てりゃいいやん。人口栄養で育てりゃいいやん!」と吐き捨てるように言ったという。
6月20日ごろ、病院にM主査が男性を連れてやってきた。
「この人、先生」
M主査はそう言っただけで、何の先生なのかの説明もない。先生と言われた男性も身分をあかさず、名前も名乗らないので、川崎さんが尋ねると、「産後はマタニティブルーになるものだ」、「育児書を鵜呑みにするのはよくない」と決め付けるような話をしはじめた。
のちになって判明するのだが、この男性こそ、川崎さんが入れられることになるT病院のY・Y病院長だった。
男性とM主査がいるあいだ、子供のおしめを替える時間になったので、川崎さんはいつも通り、娘のおむつを替えた。しかし、このときの様子を、のちにY・Yは、川崎さんが子供を逆さづりにして、放り投げそうになったと、カルテに書いている。
6月23日、母子寮に入寮。
その日の夜7時頃、母子寮の職員が川崎の元に来て、「新任の保育士が勉強させていただきたいので娘さんを連れて、一階で寝てください」と告げた。川崎さんは言われるまま、娘を連れて一階に行きその日の夜は寝た。
のちにこの職員は、「とても世話のかかる母子だから、一階に寝かせた」というようなことを言っていたという。
翌24日、朝、職員のいるところで授乳したが、その時の様子を、上記の職員は「わざと子供の口を胸に押し付け、窒息させようとしていた」と報告したらしい。
のちに川崎さんは、逆さづりにしたという報告や、この窒息させようとしていたという報告がカルテに書いてあるらしいというので、カルテ開示を申し出たが、病院側はついに応じなかった。
同日午後、母子寮事務所から電話があり、「娘さんを連れて一階に下りてきて」と言われ、川崎さんが階下に行くと、M主査、母子寮長、生活保護担当係長、ケースワーカー、保険師、それから川崎さんの姉夫婦が待ち構えていた。
寮長が、「これから、あなたたちがとても幸せになれるところに行きましょう」と言い、川崎さんは言われるまま、用意された車に子供と共に乗る。そして、連れていかれたのは、児童相談所だった。
川崎さんは一緒来た姉と二人で話をするように言われ、部屋に残された。
そして、2人きりになったとき、姉は川崎さんにこう切り出した。
「あんたは病気になっているから、その子を乳児院に預けなさい」
それまで姉妹は非常にいい関係を保っていた。数日前も一緒に買い物をして、姉は妹が子供と一緒に暮らせることをとても喜んでいたのである。その姉が突然人が変わったように、かたい表情のまま、川崎さんに「子供を乳児院に預けろ」と何度も迫る。
川崎さんは唖然とした。そして、必死に姉を説得しようと、「なんでいきなり、私が病気にされるんや? どうして乳児院につれなあかんの?」と言い張ったが、姉は何かにとりつかれたように、川崎さんの言葉に耳を傾けようとはしなかった。
そうこうしているうちに、川崎さん親子は別室に連れていかれ、部屋に入ると、そこには十数人の福祉関係者と思われる人が待ち構えていた。そして口々に、「娘を乳児院に預けろ」と説得にかかる。
理由として、初産なので育児が上手にできない、虐待の可能性があるなどと大勢の人間から口々に責められ、以前質問表で答えたことをわざと悪意に解釈したような言いがかりをつけられた。また、一番大きな理由として、「あなたには帰る家がないから」ということだった。
しかし、川崎さんには自宅がある。そこで、家を用意してくれた支援団体に、子供を連れて帰ってもいいかを確認するため、電話をかけに部屋を出た。
電話の途中でふと不安になって、部屋に戻った。娘はすでにいなかった。川崎さんのいないあいだに、誰かが娘を乳児院へ連れ去ってしまったのだ。
泣き崩れる川崎さんに、保険師が寄り添い、やさしそうに、
「とりあえず母子寮に戻りましょう」と言った。
仕方なく言われるまま再び車に乗る。しかし、M主査の運転する車は母子寮とはまったく違う方角へ向かって走りだした。どこへ行くのか尋ねても答えてくれない。そして、着いた先は、Hサナトリウムという施設だった。
こうして川崎さんは生後19日の娘を社会福祉法人の乳児院へと拉致され、自らは、精神科病院へと入れられることになった。
第一の監禁
そのとき川崎さんは手提げかばんをひとつ持っていた。サナトリウムの職員はそれを無理やり取り上げると、川崎さんの目の前でかばんを逆さまにして、中のものを机の上にぶちまけた。そして、川崎さんの持ち物を勝手にえり分け、不必要なものを捨てようとしたので、あまりの光景に最初は呆然としていたが、正気に返った川崎さんは抗議をした。すると、何かを察したのか職員はぶちまけたものをそのままにしてその場を去って行ったという。
自分が何のためにここに連れられてきたのか、まったくわからないまま、川崎さんはHサナトリウムの閉鎖病棟に入院させられた。
そして3日たったとき、ようやく院長の診察を受けた。院長は開口一番、
「薬を処方しておきましょう」
しかし、川崎さんは不信感から、「いったい、何のための薬でしょう?」と質問した。
「母乳を止めるための薬です」と院長。
「はあ? 母乳を止めるための薬って、何のために、私は母乳を無理やりとめられなくてはならないのですか?」
食い下がる川崎さんに、院長はあわてたように、
「いやいや、違った。よく眠れる薬です」と早口に答えた。
「睡眠剤ですか。私は、別に睡眠剤なくても、普通に寝てますけど。必要ないのに処方するんですか?」
さらに言うと、
「いやいや、違った。落ち着くための薬です」と院長。
「なんていう名前の薬ですか?」
「ベゲタミンです」
結局、その日の夕方、看護師から薬を1粒手渡され、川崎さんはそれを飲んだふりをした。
彼女には、向精神薬は危ないものであるという認識があったし、また母乳が危険なものになるという思いもあったからだ。
また、川崎さんは入院後も自宅を世話してくれた支援団体と連絡をとり、いろいろアドバイスされていた。もし薬を処方されたら、看護師の前では飲んだふりをすること。そして、あとで吐き出し、口をきれいにすすいで、薬はティッシュペーパーにくるんで、証拠として残すこと。川崎さんはその通りにした。
またアドバイスに従って、川崎さんは以下のことを行ってほしいと看護師に頼んだのだ。自分に処方された薬の名前、薬事法で定められているコード番号、主作用、副作用、製薬会社名、処方した医師の名前、自分に手渡した看護師の名前を書面にして渡してほしい。それから、カルテのコピーもほしいと。しかし、病院側はどちらも実行しなかった。
しかし、その後、なぜか院長から「薬は飲んでも飲まなくてもどっちでもいい」と言ってきたのだ。
その後、面会にやって来た姉は川崎さんにしきりにこう勧めた。
「子育てが上手になれる子育て訓練施設のあるところに移った方がいい。それはT病院の中にあるらしいから、そこに移った方がいい」
姉を言いくるめ、すでにT病院への転院の話が進められていたか、あるいは、最初からそういう段取りになっていたとし考えられない。(しかも、T病院に子育て訓練施設など存在しないのだ。)
Hサナトリウムには10日ほどの入院だったが、とにかく、そこで川崎さんが目にしたのは、特定の職員による入所者へのひどい暴力だった。風呂介助のときなど、老人を思い切り叩く職員がいる。そして、薬を飲んでいない(つまり意識のはっきりしている)川崎さんがふと見ると、はっと気がついたように叩く手を止めるのだ。もちろん、薬の大量処方も半端ではなかった。
7月5日、川崎さんは転院となった。そのときどっさり向精神薬の入った袋(3つ)を持たされた。つまり、飲んでも飲まなくてもいいと言いながら、結局、薬は処方され続けていたことになる。ということは、病院が勝手に処方したということで、それは不正診療報酬請求の可能性が高い。
T病院への搬送はもちろん車による搬送だったが、そのとき川崎さんは拘束された状態だった。
(2へつづく)