あきらめながら、つながっていく | 文京区小石川 もものマークのクリニック 院長ブログ

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文京区春日駅最寄りの形成外科・皮膚科のクリニック。
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SNSで、友人の友人がシェアしていた記事。

東京大学文学部HPの教員エッセイ「私の選択」
矢印望むな、さらば与えなん

現代文芸論の柳原孝敦先生が書かれた文章だそうです。


なんだか、しみじみと、いいなあと。

’こんな風に私は、一番進みたいと思う道を諦め、切り捨て、他の道を選択してきた。
あるいはせいぜい回り道をしてきた。
でも、誤解しないでいただきたい。
一 番なりたいものをあきらめるということは、挫折でも敗北でもない。
悲しくも辛くもないのだ。
一番のものをあきらめるということは、二番、三番のものにチャ ンスを与えるということだ。
そのまま一番に固執していたら、二番手、三番手は切り捨てられ忘れ去られていたはずだ。
一番を諦めるということは、忘れられて いたかもしれないその可能性を見出すということだ。’


’何かになりたい、この道を進みたいと思うのは、人間の意志の美しいあり方だ。
けれども、そんな美しい意志など霞むほどに確固たるものは、彼/彼女が知らず 知らずのうちに用意している文化的潜在能力の高さだ。
二番手、三番手の可能性の多様さだ。
一番の望みを諦めろとは言わない。
だが、それに固執せずにもう一 度自身とその周囲を見直してみようと言いたい。
そうすると道が開けることもある。’



そうだね、それが人生ってものかもねと。

まだ40年ちょっとしか生きていない(と、ここでは言わせてくださいな)私でも

それなりに感じるところはあります。




私はこどものころ絵を描くのが大好きで

仲の良い友達と絵を描いていれば幸せでした。


本を読むのも大好きで

本を読んでいると親の呼ぶ声も聴こえなくなり何度も怒られました。


漫画はことに好きでそれこそ数え切れないほど読んだし

好きなキャラクターを真似して描いては

友達に配っていました。


お話を考えて、通学の地下鉄で駅を乗り過ごしたりもし


こっそり小説を書いたこともあります。




お絵描きをすること、お話を考えること


たぶんそれは、こども時代から思春期に至るまで

私を構成する成分のうち、核のような部分でした。


でも

真似して上手に絵を描くことは出来ても

オリジナルの絵は思い浮かばない



既存のお話のパロディなら作れても

自分で考えた話は、最後まで書ききることができない


何よりも

それを乗り越えるためにもうひと踏ん張りする勇気がない自分が

いちばん嫌でした。


と、言うよりも

真正面から向き合って、才能の無さを思い知るのが怖かったのかもしれません。



困ったことに

お勉強は得意な優等生で

家ではしっかり者の長女キャラで

挫折に慣れていなかったもの(←嫌なガキんちょ確定)




そんな、挫折した隠れオタク(爆)だった私ですが



勉強コツコツ頑張れるのも
才能のひとつだろうがよ



と開き直ってからは、なんか楽になりまして(やっぱり可愛くない(笑))

その後医者になって、結婚して、子どもが出来て

勢いで開業して、今に至るわけです。



で、絵を描いたりお話作ったりして幸せだったという

かつて遠ざけたはずの想いが


矢印こんなもん描いたり

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矢印こんなもん作ったり

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ブログを更新したりするときに

「そういえば、私これ、好きだわ!!」

にわかに蘇ってくるのですよ。


三つ子の魂百までとはよく言ったもので(笑)



...........なんか、東大のセンセイの素敵なエッセイとは

だいぶ次元の違う話になってしまいましたが汗



自分が諦めた、と思っているそれは

いつかまたどこかで何かと繋がっていくものかもしれない。


だから、人生は面白いのですニコ