地震と私と水と日常 | mominokのブログ

mominokのブログ

絶望と闇の狭間に揺れ動く

2024年お正月に地震が起きた。

ちょうど、丹生川上神社へ初詣に行き

境内についた矢先、お参りしようとしている時。

 

携帯のアラームが一斉に鳴り、

境内にいた10名ほどの人がびっくりした。

 

丹生川上神社は奈良県の山間にあり

地震の時は、全く揺れを感じなかった。

 

京都にいた妹は、

家の2階にいて人生ゲームをしていたら

子どもが走る回る振動と勘違いしたが

後で地震だったと笑っていた。

 

 

川上神社の上社から中社へ移動中、

社内のラジオはNHKしか繋がらなく

ラジオの声は「津波から逃げてください」

「一刻も早く高台へ逃げてください」と

切羽詰まった声で溢れていた。

 

 

地震の怖さは津波だけではなく、

地震の後の火災・断水・停電・倒壊と続く。

 

 

数年前、離島の介護施設で夜勤をしていたころ

夜勤明けの朝7時頃、断水になった。

 

 

それから1時間もしないうちに、

断水の噂はあっという間に広がり、

島内のホームセンターの給水ボトルは

即完売になり、水は非日常のものに変わった。

 

 

電気や水、ガスは日常的に欠かせないが

それが途絶えると、なくなる恐怖との隣り合わせになる。

 

 

水がなければ、命に関わり

生活のありとあらゆる場面が揺らぐ。

 

 

電気がなくても

ガスボンベである程度は代用できる。

 

火を沸かせば、お湯は作れるし

清潔保持は保たれるだろう。

 

 

だけど、水だけは代用がきかない。

代わるものがないのだ。

 

 

断水になれば、洗濯はできなくなり

洗髪も洗体もウォシュレットもできなくなり

髭剃りや洗顔もままならない。

 

 

川の傍にいればまだいくらかはしのげるが

冬場に断水すると本当にきついのだ。

 

 

洗濯するとき、

湯舟につかるとき

珈琲を沸かす時

お味噌汁を作る時

どんな時にも水が要る。

 

 

当たり前で当たり前でない日常。

 

 

 

そんな日常が私達を取り巻く日々。

 

 

 

地震災害にあった方、全ての方に

一刻も早い復興と日常が取り戻せますように。