ユークリッド空間の音 -24ページ目

not ぺちゃくちゃ

夢を見ました。

 

誰かがこんなことを言っていました。

 

 

「君たちが

 ぼしゃぺたぼしゃぺた

 喋っているあいだに……(略)」

 

 

 

 

 

何だその斬新な擬音は。

 

 

 

 

 

 

 

以前に個人的なネタメモリーに

「小野間東平(おのまとうへい)」

という人名を思い付いたことがあります。

 

その影響があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

只今お尻の痛みと格闘中です。

おやすみなさい。

しもがさの記

10月上旬くらいから

「肛門周囲膿瘍」

を患うことになりました。

 

 

月頭に

「切れ痔っぽいな」

という感覚はありました。

ちょっと痛い。

 

 

句会の日に外出してたくさん歩いたところ

その日の晩にひどく疼き出しました。

眠れぬ痛みははじめてだった。

 

翌朝(祝日)に多少は治まりましたが

どうにも気になって救急外来へ。

後日、肛門科へ。

 

結果、肛門周辺に膿が溜まっていました。

 

 

癌でなかったのは一安心です。

 

 

放っておくと「穴痔(痔瘻)」になるそうで

その場合は手術が必要。

今は膿が出てしまったかどうか様子を見ています。

 

 

お尻もつらいのですが

ずっと微熱が続いているのもつらい。

最後の砦

戦士は荒れ果てた野にひとり立っていた

大振りの剣を脆弱な杖に窶しながら

脆弱でも杖がなければ歩くことは叶わず

勲章にもならぬ全身の傷に耐えることはままならず

 

敗戦の末に歩いた夜の闇は

己という恥辱を己に思い知らせ

ただ帰還するためだけに歩く身を

ひっそりと嘲笑う

 

 

己を勇者と託けて出立し

後に残した砦には

慈しみをくれた両親と

愛すべき子供たちと

敬愛する師と

笑い合える友と

慰みに玩んだ猫と

 

戦士自身の未来

 

 

大振りの剣が杖としての侮辱に耐えかねた頃

自慰を求めた帰還が果たされようとする

黎明とともにさやかになりつつあるのは

瓦解し蹂躙し尽くされた砦の姿

その中にただひとつのみ
傾いでいたポールに旗が力なく垂れ下がっていた

 

戦士は膝を突いた

 

 

自らを勇者と託けていた時には

守れることを信じていた

前に進めば

時の流れは跡から附いてくると信じていた

 

事実は信じていたことと違う

砦はただそれだけのことを示していた

 

 

空を雲が覆い激しい雨が降る

雲間から光が迸り

神は砦の傾いだ旗に雷を落とす

これがお前の世界だと言わんばかりに

 

 

 

 

戦士は硬い大地に横たわる

地を淋漓と流れる水にまみれて

正しいことをしてきたわけでもないのに

その浸食に身を任せていたかった

ここにいることの理由が見つからないなら

その濁流に飲み込まれていたかった

 

 

 

雨は続く

丘を走る水は奔流へと姿を変える

 

 

 

戦士は体を起こした

息苦しかったために

ただ

それだけのために

水ではない空気が吸いたかった

ただ

それだけのために

 

 

 

 

瓦解した砦には

かつて命が住まっていた

 

神が示したこの世界は

恐らくこれからも

命が住まう世界だ

 

 

 

 

だから守ろうとした

この体をくれた両親を

だから守ろうとした

未来を託せる子供を

だから守ろうとした

技を遺してくれた師を

だから守ろうとした

貴重な時間を過ごした友を

だから守ろうとした

世界の広さを示してくれた猫を

 

その果てに

己はここにいる

 

 

 

 

今すべてを失ったことを知るために

己はここにいる

今すべてを失ったこの世界はまだ続いていることを知るために

己はここにいる

 

 

 

 

 

奔流はいよいよ牙を剥き

すべてを押し流そうとする

戦士はしかと立ち上がった

流されたくない

ただ

それだけのために

 

最後の砦はしかと立ち上がった

生きていたい

ただ

それだけのために

 

 

戦士は立ち上がる

何度でも

何度でも

 

最後の砦は立ち上がる

何度でも

何度でも

 

何度でも

何度でも

六月~九月

六月は魔法使いの弟子が死ぬ

 

 

 

 

八月の誰かどこかで死ぬ話

 

 

 

 

万緑や水の災い水の慈悲

 

 

 

 

被災地に野良猫戻る星月夜

 

 

 

 

決壊の跡形もなし曼珠沙華

 

 

 

 

こんばんは去年のヤモリ君ですか

 

 

 

 

ががんぼに気付かずそして気付かれず

「ヒトボシ」――人間開花――

「どうせ小さな光なんだ 言われなくたって知ってるんだ

 だからこうして手を取るんだ 少しでも空から 見えるようにと」

 

「ヒトボシ」(RADWIMPS)

 

 

小さい頃は空の星座をよく眺めていました。

家の近くの空き地で

父とふたり寝転んで夜空を見たこともあります。

 

太陽を見ると眩しく見えます。

太陽で照らされるものが明るく見えるのは

物質が光を反射して目に這入るからだそうです。

空が青く見えるのも

日光が空気に反射しているからで

反射する物体がない宇宙空間では

恒星の見える部分以外は暗く見えるとか。

画像でよく見る宇宙の風景ですね。

 

こう書くと光がナニモノなのかよくわからないけど

普段わたしたちが使っている「光と闇」とかの言葉にしても

互いに相克するものではなく

例えば「闇は『明度0の光』」になるのかもしれません。

 

見方を変えれば

光は高エネルギーで闇は低エネルギー、

高エネルギーは爆発しそうで危険だけど

低エネルギーは安定と見做すこともできます。

 

現在は正式に88の星座があるそうですが

星座を形作る星と星の間にも

極小さな光の星があるかもしれないことは

容易に想像がつきます。

 

「かみのけ座」は

主要な星が3つ、最大明度でも4等星という星座ですが

その中にたくさんの星や銀河を含んでいるそうです。

見た目では何個あるのかわからないけど

立派なかみのけ座の一部。

 

一部である以上、

「個」として確かにそこに存在することになります。

 

 

「どうだい? 僕たちの星座はどうだい?

 夜空の星たちよ そこから見てんだろう

 

 どうだい? 夜空に浮かぶ星でさえ

 誰のためでもなく 輝いてることも知らず

 歌う」

 

「前前前世」に引き続いて

ドラゴンクエストⅣのノベライズ版から。

 

「光は光に親和し、光を呼び、光を増幅する。光と出会うことにより、光はより光になる。」

 

光を命の象徴とするのなら

光は同じ系譜を生きる者として縦に繋がり

同じ時代を生きる者として横に繋がっている。

前世が存在するのなら更に綾なす。

 

そう考えられる世界にいることを

感謝したい。

 

 

北極星は常に北を指しています。

でもそれは同時に小熊座の一部。

 

火星は黄道上を動き赤く光ります。

でもそれは同時に惑星の一部。

同時に太陽系の一部。

 

太陽は地球に命を齎す光源です。

でもそれは同時に恒星の一部。

同時に太陽系の一部。

同時に銀河の一部。

ひょっとしたらここから遠く離れた所からは

何かの星座の一部なのかもしれない。

 

88の星座以外の

地球からはほとんど見えないほどの星たちを集めたら

何万という星座ができるかもしれない。

 

 

ただ在るだけで、

ただ歌うだけで、

ただ上を向くだけで、

ただ生きるだけで、

光や闇になれる、

そう思える世界にいることを感謝したい。

 

 

妄想大爆発で恐縮です。

 

 

曲調は流星のようです。

一気に駆け抜ける感じです。

アルバム一爽やかです。

前奏・間奏のメロディーが好き。

 

冒頭は何かのざわめきのような音が這入っていました。

調べるとどうやら拍手らしい。

 

 

 

 

 

「どうせ見えない明日なんだ 眼を閉じてたってかまわないや

 たまに肩ぶつかったりして wow wow wow

 

 どうせ消えてく僕らなんだ 大事に抱えたところでいつか

 ならば使い切ってやんだ wow wow wow

 

 どうせ小さな光なんだ 言われなくたって知ってるんだ

 たまに夜空の星屑たちに 勇気をもらっても いいだろう?」

 

 

夏の愚行録

浸水にあった建物の建て替えのために

色々と物を整理しているのですが

先日生徒さまへのプレゼントに本屋に問題集を買いに行った際

漢和辞典を買ってしまいました。

 

 

どう考えても広辞苑のが先なのに。

 

(そういう問題ではない)

 

 

 

 

 

 

あの日以来

発泡酒で晩酌をするようになりました。

いずれ健康診断でバリウムを飲むときに備えて

おくび(○ップ)を我慢する練習とかしています。

 

 

 

 

 

家の片付けのときに

運搬中の畳を誤って足の上に落してしまい

親指の爪の中で内出血がありました。

 

大概固まって色が濃くなったのだけれども

それが抜ける気配が見られない。

爪本当に伸びているのだろうか……?

「前前前世」――人間開花――

「君の前前前世から僕は 君を探しはじめたよ

 そのぶきっちょな笑い方をめがけて やってきたんだよ

 君が全然全部なくなって チリヂリになったって

 もう迷わない また1から探しはじめるさ

 むしろ0から また宇宙を始めようか」

 

「前前前世(RADWIMPS)」

 

ブログ訪問なかなかできずに恐縮です。

 

閑話休題。

 

アニメ映画「君の名は。」で用いられた曲ですね。

サビの部分はメディアで何度も耳にしました。

CDを買ってみて聴いてみると

イントロの部分のテンポが

メディアで流れているサビの部分より少し遅い気がした。

気のせいなのだろうか。

あるいは本当に少しずつ速くなっているのだろうか。

 

「君の名は。」の映画はまだ見られていません。

「前前前世」のタイトルからすると

時空を超える要素があるのかもしれない。

 

いや、単なる推測ですが。

 

 

 

「生まれ変わりの理論」というものを

所属しているグループの会長から聞き賜りました。

ざっくりと書いてみると

「人々の本質はひとつの光である」

「人は生まれる前に人生の設計をし、親を選んで此岸(この世)に生まれる」

「人は一生を終えるとまた光となり、此岸で生きていくための次の課題を設定する」

みたいな感じです。

 

あり得る話なんじゃないかなあと思います。

少なくともわたしはそうなんじゃないかなあと思っています。

 

ならば、

どんな短い命も

どんな長い命も

どんな苛酷な命も

光みずからが望んだことになる。

此岸の出来事に無意味なことはないのかもしれません。

 

わたしの人生観を作る大きな要素となったものに

ゲーム「ドラゴンクエストⅣ」があります。

あくまでもファンタジーの世界のことなのですが

今振り返ってみると

そのゲームのノベライズ版に

すでに上記のようなことを示唆するような文面がありました。

始めて読んだのが十代前半?

ちょっと驚きです。

 

「(中略)…神は喜んだ。人間は神智を越えて存在した。天空人たちは本質は光であるが物質界である地上に降りれば物資(肉)としての姿をとる。人間たちは、その物質化した天空人たちに非常によく似ていた。また、人間たちは物質(肉)の世界に生まれながら、その魂を光にすることができた。それは神をも感動させる奇跡であった。…(中略)…その子が光である己を見出せば、円環が完成する。すなわち、万物は光から出て肉になり、闇になり、闇からまた、肉になり、光になることができるようになるのである。」

 

 

 

光が「光速」などに見出されるように万能の象徴であり

此岸では生き物があらゆる制約を受けるのであれば、

人間はこの此岸でひとりでは生きていけない。

人間が人間となるために互いに繋がっていく必要がある。

ひとりひとりの寿命は短くとも

この彼岸を続けていかなければなりません。

長い間をかけて先人が繋いできたものを

次の時代に繋いでいかなければなりません。

今そばにあるもの、そばにいる人、

それから自分が此岸からいなくなるのと知ったのならなおのこと。

 

 

「私たち越えられるかな この先の未来 数えきれぬ困難を

 言ったろう? 二人なら 笑って返り討ちにきっとできるさ

 君以外の武器は 他にはいらないんだ」

 

 

地球も彼岸に制約を受けた物質と考えれば

やがて億年という単位を経て

人間の住む環境はなくなるかもしれません。

じゃあ人の生死の循環は止まるのだろうか。

そのあたりはわからないけど、

ひょっとしたら光の世界から見た此岸というものは

地球以外の場所にも存在するのかもしれない。

別の次元に存在するのかもしれない。

時間が循環するのかもしれない。

他の動物はまた他のことわりで世界が動いているのかもしれない。

つらつらと想像していくとそんなことを思ったりします。

 

そう考えると、

自分が生きているのと同じ空間にアンドロメダ星雲があることや

同じ時間軸上に藤原道長が生きていたことが

とても不思議で神秘的なことに思われます。

 

 

今回はかなり妄想が迸っていますね。

ご容赦下さい。

 

 

わたし自身は誰かに繋がっているという自信はありません。

努力やアクションがないし

繋がったと考えていてもそれは気のせいかもしれません。

ただ最近の事々で

色々な方々に手を繋いで頂いていることを実感し

感謝してもしきれません。

 

寿命のあいだに少しでも恩返しができるかな。

 

 

 

 

楽曲は爽快です。

サビの『「ラ」ベースの「ソ」旋律(?)』の響きが好きです。

『「ラ」上の「ソ」』の響きは

「伸ばした手がもうすぐ何かに届く」ようなイメージを想起させます(個人的)。

 

途中から這入るコーラスが好きです。

コーラスの中では『「ファ」上の「ソ」』の響きが印象的です。

特に最後のサビへと受け渡される直前、もっとも盛り上がる部分。

『「ファ」上の「ソ」』の響きは

「深く高い所へ向けて手を伸ばす」ようなイメージを想起させます(個人的)。

 

この部分、最初のメロディー部分が

コードを変えてやって来ます。

ぞくぞくします。

満を持した三連符(たぶん)では涙が出る。

 

 

「前前前世から僕は 君を探しはじめたよ

 そのぶきっちょな笑い方をめがけて やってきたんだよ

 

 君が全然全部なくなって チリヂリになったって

 もう迷わない また1から探しはじめるさ

 何光年でも この歌を口ずさみながら」

 

「棒人間」――人間開花――

「ねぇ

 僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい

 そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

 

 僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても

 それはそれで皆目 見当もつかないのです」

 

 「棒人間(RADWIMPS)」

 

このブログで自分のことを

意識して「人間」ではなく「生き物」と書いている箇所が

多々あります。

 

自分は本当に人間になれているのだろうかという

大きな疑問があり

躊躇いがあってなかなか使えません。

 

同じ理由で「友人」という言葉がなかなか使えません。

どうしても「知人」になってしまいます。

 

 

好きなエッセイ作家さんの土屋賢治氏の作品の中に

「人間を定義するのは不可能である」

というものがありました。

(「われ笑う、ゆえにわれあり」より)

 

厳密に定義しようとすれば

足元を掬われる。

ユーモア色の強い土屋氏のエッセイでは

そういう書き方になっていましたが

頭の中には何となく「人間」というものがある。

「理想の人間」というものがある。

 

理想だからすべては満たさないまでも

それに近付くことはできると思うのですが

自分はそこから懸け離れている。

 

 

「僕もいつの日にかホントの 人間になれるんじゃないかなんて

 そんな夢を見ていました 夢を見てました

 

 ほどよくテキトーに生きながら ほどよくまじめに働きながら

 全然大丈夫なフリしながら たまに涙流しながら」

 

 

長い学生生活を経て

一度だけ会社というものに所属することになって

自分では立ち行かないことがわかって

人間というものに憧れるようになりました。

 

自分の頭の中にあるのは

 

・電話の受け答えがちゃんとできる

・相手の言わんとすることを理解できる

・スーツやユニフォームを着ることができる

・大事なことをメモすることができる

・建設的な意見を述べることができる

・物事の因果関係がわかる

・書類を作ったり管理したりすることができる

・わからないことは誰に訊いたらよいのかわかる

・……

・……

 

みたいな感じです。

 

周囲の人と比べてみると

どの項目も自分が誰よりも劣っている。

 

それを補おうとして努力したことが

これまでに一度たりともあっただろうか。

 

 

「誰かのために生きてみたいな 生まれた意味を遺してみたいな

 この期に及んでまだ人間みたいなことをぬかしているのです

 

 人間として初歩中の初歩を 何一つとしてできないままに

 よくもまぁそんな気になれたもんだ 怒るのもごもっともです」

 

 

このたび家が床上まで水で浸かって

希有な経験をしました。

水に浸かっても二階は電気が通っていたり

一度出なくなっていた水道も

時間が経つと復旧したりしましたが

よく考えるとどうやって電気が使えるのか

どうやったら綺麗な水を配れるのか

どうやったら新鮮な食べ物を輸送し販売できるのか

どうやったら水を堰き止めることができるのか

どうやったら清掃道具を手配できるのか

まったくわかりません。

 

わかるのは

それぞれに携わる人がいるということと

その携わる人々は勉強や努力をしているということと

中には多少の智恵があれば切りぬけられることもあるということと

自分は何一つできないということのみです。

 

 

 

「僕も人間でいいんですか? ねぇ誰か答えてよ

 見よう見まねで生きてる 僕を許してくれますか」

 

 

周囲の負担になってばかりで

それでも周囲の人々が優しくて

ずっとずっと後ろめたさを引き摺っています。

目の前のことを捌くのに必死で

それだけでは全然足りないのに

いつまでもいつまでも誰かの負担になっています。

 

 

ちょっとだけ辛くなった。

 

 

 

クウ(シェルティ、♂、甘え)が生きている限りは

生きていたい。

 

 

 

 

歌詞に反し曲調は軽快です。

ピアノの音色が印象的です。

 

勝手な想像で

1970、80年代の香りがします。

1970、80年代の音楽なんて詳しくないのに

そんな気がします。

クラシカルで纏まっていると思う。

 

間奏で短調になる部分は

涙が堪えられなくなる。

 

「僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい

 そっくりにできてるもんで バッタもんのわりにですが

 何度も諦めたつもりでも 人間でありたいのです」

 

 

 

静かな町で

数日前に真備の自宅に戻ってきました。

2つある建物のうち

今までサブとして使っていた東の建物です。

電話回線は西の建物。

今いる東の建物の部屋からは無線LANで電波がぎりぎりで

Webページの読み込みなども遅いです。

あまりブログ巡回できず恐縮です。

 

西の建物の自室は二階にあったので

そのままです。

そこだけ時が止まったかのよう。

ベッドがあり本がありゲーム機があり

目覚まし時計も当たり前のように動いていました。

 

名残惜しいですが

建て替えのために荷物整理をしなければなりません。

 

本が問題。

汗牛充棟とは言わないまでも多いです。

この際大半を処分しなければならない予定。

どの本を残すか考えているうちに
読書タイムになってしまうのだろうなあ(←INFP)。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜におしごとを終えて町を車を走らせて帰ってくると

民家の明かりが少ない。

 

 

 

少し興味深いのは

自分のところも含めて

学習塾の多くに明かりがついていることです。

学校よりも運営が小回りで

勉強できる環境を望んでいるご家庭が多いのだろうかと

あまりない知恵で考えたりしています。

 

 

 

 

誰かのために生きられたらなあ。

せめて自分の世話が自分でできたらなあ。

ヒト/「人間開花」

水害の罹災証明の手続きなどで

職員の方々に応対していただいたりしました。

 

水害地区で真っ先に復旧したディスカウントショップについて

テレビで放映がされていました。

緊急時にも備えたマニュアルがあって

それに従って動いているのだとか。

各職員が自身の仕事を意識して

まっとうしているとのことでした。

 

凄いなあ。

 

わたしは電話もまともにできません。

知人の許にかけるときにも

心を落ち着けて言いたいことを頭の中で纏めてからでないと

ダイヤルができません。

仕事の関係で電話するときには

言うべきことを纏めたメモまでも作らなくてはいけません。

 

 

ヒトとして機能しているかどうか怪しいです。

 

 

 

 

運転免許の更新に行った際に

RADWIMPSの「人間開花」を買いました。

 

人間開花(通常盤) 人間開花(通常盤)
2,540円
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個人的な印象ですが

歌詞の精度と密度が上がっているような気がする。

歌詞の切れ目とメロディーの切れ目をあえて合わせず

注意を引き込むようにされている箇所が

たくさんあるなあと思いました。

 

「命の繋がり」を漠然と感じました。

 

マイヒットは

・「光」

・「前前前世」

・「棒人間」

・「ヒトボシ」

です。

 

 

「棒人間」は涙が止まりませんでした。