森本オレオの落書き帳 -6ページ目

森本オレオの落書き帳

小説などを置いています。

壁の中は真っ暗で、あの匂いで満ちていた。

僕は気が遠くなりそうだったが、彼女が《大丈夫よ》と言い、ずっと右手を握ってくれていたのでなんとか持ちこたえた。

しばらく歩いていると、前方に白い小さな点が見えてきた。

そしてそれが一気に広がり、僕らは白い光に包まれた。

僕は反射的に目をつぶった。

目を開けるとそこはあのグラウンドだった。

遠くのほうで何かが動いていた。

それは白くて、先のほうに黒くて細長いものがついていた。

その白い何かは、どじょうすくいのような動きをしていた。

目が慣れてくると僕はそれが何だか分かった。

それは僕自身だった。

全身白い服を着てスコップを持った僕だった。

僕は穴に土をかけているようだった。

改めてグラウンドを見渡すと、半分以上の穴に土がかけられていた。

僕がここを去る前はグラウンド一面が土とマネキンの水玉模様だったのに、今は半分が茶色だった。

僕は何をしてるんだろう。
ここはなんなんだろう。

僕の心の声に気づいたように女は言った。

《ここは天国への入り口なの。悲しい死に方をした死者のね。

方法は穴を掘って、死者を穴に入れて、土をかけるの。

そうすると死者は土に返るみたいに、肉体も思いも土に溶けていくの。

そしてやっと天国へ行けるの。

そして土をかけるのは死者を殺した人なの。

その償いとして、あなたは彼らに土をかけてるの。

見ての通り、あなたはいずれゆきえさんにも土をかけるわ。

土をかけたら彼女はもうこちらには戻れないの。

そうなる前に早く私を見つけるのよ》

聞きたいことはいろいろあったが、それを整理するのに時間がかかった。

そしてそれを口にしようとした瞬間、視界が真っ暗になった。

僕らは壁の中にいた。

女はさっきと変わらず、僕の手を握り、横にいた。

目のない女と一緒にいて安心するなんておかしい話だが、この真っ暗な空間にいる今はその手のぬくもりに感謝した。

女は僕を元来た道に導いた。

歩きながら僕は考えていた。

僕がゆきえを殺した。

そして穴に入れて天国へ送り出す。

すべて僕の手で。

なんだかそれもいいような気がした。

歩いている間、僕らは何も話さなかった。

部屋に戻る前に僕らは暗闇の中で口づけをした。

僕は壁をすり抜け部屋に戻り、彼女と別れた。

そしてスコップをクローゼットにしまい、ベッドに入った。

そこで夢は終わった。
今夜も女の夢に潜り込むことができたようだ。

僕はあのグラウンドに立っている。

地面は僕が掘った穴で埋め尽くされていた。

その穴ひとつひとつに僕が走りながらスコップで倒したマネキン――なぜ分かったかというと、何かでぶたれた痕があり、そこが土で汚れていたからだ――が入っていた。

全部で五十体くらいはあった。

それに混じってゆきえが穴に入っていた。

僕はその穴のところへ行き、ゆきえを見ていた。

ゆきえは眠っているのか死んでいるのか分からなかった。

ゆきえは無機質な顔をしていて、濃い化粧で微笑んでいるマネキンのほうがよっぽどいきいきして見えた。

僕はゆきえからあの匂いがすることに気づいた。

それに気づいてから息が苦しくなるまで、時間はかからなかった。

僕は急いでグラウンドを出た。

グラウンドを出ると僕はあの街にいた。

五十メートル先をあの女が歩いていた。

道には僕と女以外誰もいなかった。

今夜もやはり追いつけなかった。

どうして追いつけないんだろうと考えながら走っていたが、やがて走るのをやめた。

視界には女以外いないので見失う心配もないし、確実に僕の部屋に歩いていたからだ。

神社を通るとき賽銭箱を見たが、スコップはなかった。

僕は部屋に入ると、まずクローゼットの中を確認した。

スコップは前と同じ傾き方でそこに潜んでいた。

僕はスコップを手に取り、扉を閉めた。

そして居間から順番に窓を開け、最後の窓を開けていると例の音がした。

僕はスコップを持ち、そこへ向かった。

女の顔は目がないだけだった。

その灰色の三日月型の眉は、卵形の輪郭とよく似合っていた。

女は確実に僕を見ていた。

僕は彼女のほうへ数歩近づき、聞いた。

「僕が捨てたのはこれか?」

女は頷いた。

「説明してほしい。僕は確かにスコップを神社に捨てた。でもそれが君と何の関係があるんだろう?」

女は口を開いた。
声はなかったがこう言っていた。

《あなたは私を見つけ出すのよ》

「それはどういうことだろう。今僕は君と話している。つまり見つけていることにならないだろうか」

女は首を振った。

《あなたは私を見つけるのよ。見つけなくてはならないの。そしてそれはゆきえさんを見つけることにもなるの》

「分からないな。君と僕は関係ないし、君とゆきえも同じのはずだ」

《あるわ》

「分からないことがまだある。君は誰なんだ?」

《いずれ分かるわ》

女の口角が上がったので、女は今微笑んでいるんだと思った。

《来て》

女は立ち上がり、壁のほうへ歩き出した。

女は僕に《壁の前にいて》と言い、壁の中に入っていった。

そしてすぐに壁の中から音がした。

壁を内側からノックする音だ。

「そこにいるのか?」と僕は言った。

返事にノックの音が聞こえ、女が壁から出てきた。

女は《来て》と言い、僕の手を取った。

そして僕らは一緒に壁の中に入った。
僕は毎週末群青カフェに通っていたが、ゆきえが辞めてからは行かなくなった。

アルバイトの女の子に顔を知られていたし、気を使わせるのも嫌だったからだ。

他の喫茶店を探してみたが、どこも店内が明るく読書向きではなかったので、結局部屋で読むことにした。

群青カフェを知った後ではどこも明るく感じてしまうのだ。

僕は本屋とスーパーに寄って部屋に戻った。

スーパーでは野菜とパンとチーズと牛乳と、今夜夢でまたあの女に会うためにビールを買った。

部屋に戻ると買い物袋をテーブルに置き、居間の窓を開け、買ってきたものを冷蔵庫に詰めた。

それからコーヒーメーカーのコーヒーをカップに移しレンジで温め、その間に新しいコーヒーを作った。

レンジから取り出したコーヒーを飲みながら、夕食の献立を考えた。

冷蔵庫には買ってきた新しい野菜と豚肉と卵とツナ缶と余ったおかずが入っていた。

夕食はツナとたまねぎのオムレツと、野菜炒めと、味噌汁とご飯にしようと思った。

献立が決まると、買ってきた本とコーヒーを持ってソファに座り、夢中で本を読んだ。

仕事中に見つけて気になっていたのだ。

半分まで読み、カップに手を掛けると、外が夕方から夜に変わってきていることに気づいた。

僕は本にしおりを挟んでカップの横に置き、夕食作りに取り掛かった。

食べるときは本は読まなかった。

食べるときは食べることに、読むときは読むことに集中したいのだ。

僕はひとりでご飯を食べるときは、沈黙が嫌なのでテレビをつける。

画面の中では芸能人達が手を叩いて大袈裟に笑っていた。

お前達は何がそんなに面白いんだ?
俺はゆきえを失ったんだぞ!

僕は心の中でそう叫んでいた。

やれやれ、と思った。

僕は思った以上に疲れているようだった。

その日はもう風呂に入り、ビールを飲んで寝ることにした。

早くあの女に会って確かめなくてはならない。

そして僕は土だらけのスコップを持ってこう言うんだ。

僕が捨てたのはこれか?