1390年頃生、1441年没のヤン・ファン・エイクなどが属していたフランドル地方の技法。のちにルーベンスなどが異なった描き方で第二フランドル技法と呼ばれるようになるので、対比して初期フランドル派、初期ネーデルラント派とも呼ばれる。一般に、ファン・エイク(兄弟)は油絵という技術の完成者と見なされている。
乾性油を美術と結びつける最初の例は5ー6世紀頃、アエティウスが記録しており、また板に油を用いて描画する例も1100年頃テオフィルスが「諸芸提要」で紹介している。油を絵に用いる例はファン・エイク以前からあり、ジオットもたまに油を用いたと証言が残っている。
ファン・エイクは画家でもあったが、錬金術師でもあった(今でいうなら科学者のポジションである)。ゲッテンスとスタウトは、なぜ彼が油絵の体系をまとめられたかの理由を、新しい材料が急に取り込まれたというよりは、今までにあった諸方法がまとめられ発展したと見られると言う。
フランドル技法では、絵を板に描く。パネルに白亜塗料を塗り、その後つるつるに磨き上げる。その後、下図を線画で細部までしっかりと書き込む。
白亜地は油をものすごく吸収し、そのままでは描きづらいので、一度全面に油を塗布する。これで吸収性を調整する。
その後、着彩に入るが、フランドルの時代は絵具はとてもゆるかったようで、一度に厚く塗られることはなかった。薄塗りを重ねて色を作っていた。混色もほとんどせず、重ね方で複雑な色を出していたようである。
また、明部は地の白さを生かして薄塗りで、暗部は色を厚く重ねて塗った。発色のメカニズムは現在の透明水彩と同じである。
当時の絵の具、油がどんなものかはよくわかっていない。亜麻仁油が使われていたのはほぼ確実だが、加工されているかもしれない。諸説、ある人たちは生の油と顔料だけで練り合わせ、助剤を入れなかったという。絵を立てて描くと絵の具が垂れるから、寝かせて描いたとのこと。また、スタンドオイルがすでに知られており、使われていたという人もいる。油とテンペラの混濁液を使ってた、という説もある。
ただひとつ、14世紀になってから金属石鹸を乾燥剤として使用する方法が確立してきて、ファン・エイクがそれを扱いこなしたことは前時代との大きな違いではあったろう。油絵の具は乾燥の遅さが長所ではあったが、それにしても、あまりに乾かなすぎて実用に耐えないという問題がファン・エイク以前はあった。
なお、あらゆる油彩技法の中で、このフランドル技法が耐久性の点では最も優れている。そもそもの話、油絵の具というものの設計思想がこのフランドル技法をやるためのものなので、さもありなんといったところか。