ツイッターで噂の「デビルシャーク」と「フランケンジョーズ」を視聴致しました。
この二作品は私の中にこれまであった「クソ作品」の概念を大きく変えてしまいました。
私はある種のヒトの禁忌というものに触れてしまったのかもしれません。
【デビルシャーク】
視聴…便宜上「視聴」という言葉を使わせて頂きたい。
そして映画という単語もここではあくまで世間一般的にアレを分類するのであれば映画という言葉が最も近いものである、という点で使わせて頂く。
私は、この1時間10分という時間を、どのように使ったと語るべきなのでしょうか。
残念ながらどのように時間をかけた所で最適解を得られるとは思えません。
ですので、ええ、今私が尽くせるだけの感想に全力をかけたいと思っています。
みなさん、映画とは、何でしょう。
映画館で上映されていれば映画でしょうか?
映画監督が創れば映画でしょうか?
これを映画と呼ぶのであれば、私達がこれまで持っていた「映画」という概念とそのありようは、一体何なのでしょう。
これを「視聴」を呼ぶのなら、これまで私が「映画を見る」「作品に触れる」と思って来た感覚は、一体何なのでしょう。
私は確かに映像を目にし、そして音声を耳にしました。
それは紛れもない事実に他なりません。
けれども私はどうにもこうにも「映画を見た」という感覚を得ることが出来ません。
ですが、ですが、1時間10分、アマプラで視覚と聴覚を消費した…という事実に他ならないこの経験を、文章に残さずにはいられないのです。
わたしは、わたしは一体何をしているのでしょうか…
意識が、意識が薄れて…きました…!!
【フランケンジョーズ】
これの制作スタッフはシェリー夫人とスピルバーグ監督にちゃんと土下座したんか!?
デビルシャーク見た後なら殆どのモノは「作品」と思えるし「映画」と思えるでしょう。
それぐらいにデビルシャークが与えた影響は大きかったのです。
私はほんの少しだけ強くなった…
それなりにストーリーっぽいものもあったような気がします。一応…
人体実験と言えばナチスって所すごいあるよね。
まぁまぁこちらも子供のお小遣いで作ったんかい!というレベルです。
いや、最近の子供は結構お金持ちだからな…
自販機下の小銭かき集めて貯まった金で作ったか?みたいな感じ。
レビューにあった「蛇口から流れる水を見ている方がマシ」はマジでその通りですし、私的にはコインランドリーに布団突っ込んでぐるんぐるんしているの眺めている方がよっぽどよっぽど有意義な時間だと思います。
どっちも5/31までしか見ることが出来ないので残り時間少ないんですが、ある意味人生がひっくり返ってしまうと思うので見て欲しい気もします。
ただし自己責任でお願いします。私は責任負えません。
おもしろいとかおもしろくない以前の話でした。もはや哲学の領域。
映画って…?映画とは…一体何処から何処まで映画と呼んでいいの…?
クソ作品を越えたクソ作品はなんて呼べばいいの?虚無を越えた虚無を一体どう言い表せばいいの?
そんなことをずっと考えてしまいます。私の心に新たなに「クソ作品概論学」という学問が生み出されました。