アマプラで見ました。
映画史上に残る衝撃の問題作のひとつとして名高いこの「時計じかけのオレンジ」
なんかどっかで「PSYCHO-PASSシリーズが好きならいっぺん見た方がいい」みたいな意見を見かけてよっしゃ見てみるかーと軽い気持ちで見てみました。
予想以上に酷かった。
表現が。演出が。ウルトラバイオレンス!!!
物理暴力も性暴力も、表現がーうおーひでー具合悪くなるー!
続けて見るのが無理で二日に分けて見てしまった。
マジでこの世の外道と卑猥の缶詰みたいな話なのに、画面演出はポップアートみたい。
だからと言ってちっとも見やすいわけではない。気が、気が狂いそうになる。
凶悪犯罪者を洗脳して善良な市民に矯正しよう!みたいな政府のプロジェクトに主人公が巻き込まれるんだけど、洗脳と言うよりは暗示に近いのかな。
その実験の結果、心からの善人になったわけではなく「暴力を振るおうとすると吐き気をもよおす」という、ただそれだけ。
犯罪を行う快感を嫌悪感を変えたという事ですね。
果たしてこれは「更生」になるのか?「矯正」になるのか?という疑問。
実験が成功した事を発表する場面で、主人公に暴力を振るった男とか裸の女性とかが退場する時、まるでカーテンコールの役者のようにお辞儀をするの、なんだかなぁって思った。
茶番ってことか?
あとどんどん目薬点す量が増えていって笑った。そこしか笑える所しかないわ。
神父様が言った「善は選択され得る。選ぶことのできぬ者は人間とは言えない」という言葉がこの作品における唯一まともな台詞だったと思う。
まともな人はほんとこの人だけだったな…
私は基本「人間の本質は悪性と暴力」だと思っている。
善良な精神と慈しみの心はその人の努力と思考によって生まれるもので、人間はほっといたら凶暴だし大なり小なり加害に快感をおぼえるものだと思う。
それが物理であれ言葉であれ空気であれ。
そういった衝動を抑えるのが理性であったり思考であったり学びであったり、その結果として選び取られるのが「善」であると思う。というか、そうであると信じたい、かな。
まぁ善行って難しいんですよね。悪を断じるのが善かと言ったらそうではない。
それは断じ方による。
世界がどうの世の中がどうのと語るには私はあまりに小さい存在なので、結局はまずは自分が正しく善良である努力を日々こつこつ重ねよう、くらいしか思えないんですけどね。
ラストの「完璧に治ったね!」は、性格が善良になったって事じゃなくて悪い事すると起きる発作が治ったね!って事だよね。何も解決してないやんけ~~~!
この映画が訴えていることって何なんだろうなぁ、と考える。
大昔の外国の映画だか倫理観とか価値観とか私が理解できる範疇を越えているかもしれないけど。
主人公がベートーヴェンが好きなのは本当だろうけど、敬虔なクリスチャンというのは本当だったのかな。
だとしたら「どんな教養があろうが神を信じる者であろうが悪人は悪人、犯罪者は犯罪者。何が好きであるかと善悪の属性は関係ない」というメッセージもあったりするのだろうか?
私の勝手な予想だけど。
犯罪者に対してのぐだぐだな対応というか道を踏み外している政府の政策という劇中の演出も、無能な国家に対する痛烈な批判だったんだろうか。
そもそも原作を描いた人の生涯もなかなかのショッキングらしいので…
私にはこれが名作かどうか分からない。いやもう「すげー作品だわこれ」とは思うけど。
その時代時代に「今しか描けない作品」だとか「その時だから描けた」という作品があるわけで、だとしたらこの作品は「今ではもう生まれない、その時代だから生み出せた」ものだと思います。
アマプラのR15+は絶対におかしいからレーティングもっと引き上げて。