自分の性の在り方への気づき②
夫が鬱や性の違和により退職して1年ちょっと
私は、自分の性のあり方(セクシャリティ)にも向き合っていた。
何しろ、長らく別居していたので
最初の頃は、心配していましたが
夫は食事と買い物はちゃんとしてくれて、ごはんも美味しいし
私は仕事から帰宅しても買い物が、本当に大変だったので
とても助かりました
ですが、やはり私が好きだったのは、男性である夫で
ここは、なかなか納得できなかった。
結婚した時は、女装するとか、心が女なんて一言も言わなかったから
私は、騙されて結婚したと思っていて
こんな大事なことを、隠して結婚するなんて、
許せないという大前提がある。
でも、これを言うと、
「あなたも全てを伝えて結婚したわけではないでしょ?」というのだけれど
私には心あたりがないんだよね、
結婚前に、借りていた奨学金も全て返済したし、
他に何かある?
あったとしても、過去の恋愛くらいなもの。
誰でも、古傷の1つや2つあるでしょ?
で、私が何を隠していたっていうの?と詰め寄ると
パートくらいはしてもよいと思っていたけど(はあ!?)
単身赴任までして、正式採用で働いていいなんて思ってなかった。
結婚前に基本は主婦をして欲しいと思っていたのに、勝手だ!と
(でも、今無職ですよね?手に職のある私に、そんなこと今言う❓)
と思ったのですが…まあ、喧嘩しても仕方がないし
では、本題に・・・・どんどんズレていきますので
退職してしまい、せっかくなら自分らしく女装のまま生きていきたい
そう言う夫を、私はできるだけ理解して、仲良く暮らしたいと思ったのです。
男女を超えた愛情だ、とか、心が広い、とか
そんなことを言っていただき、調子に乗っていました。
そして、一旦、男女という枠を全部取っ払ってみよう。
そう考えました。
夫婦の間でも、男らしさを期待せず、
守ってもらおうとか、養ってもらおう、とか考えるのをやめました。
(現実は、そうもいかないことも多いのです、車や土地は夫名義だし…)
そして、私はLGBTQ+の人から、話を聞くということを始めました。
前回の記事はこちら
LGBTQ+の人だけではなく、沢山の方と出会った2024年だったのですが
LGBTQ+の男女という枠組みでは暮らしていない人たちと出会う中で
理解もできるようになったのですが
男女という区切りがどんどんなくなってきました。
今までの、私は男性と2人で会うことはなかったのですが
女同士で会ったとしても、恋愛対象が女性である場合もあり
男だから、女だからで区切るってどうなんだろう?と思うようになってきました。
沢山の人と会えば、その中には、男女を問わず
魅力的で好奇心が湧き、また会って話したいと思う人がたくさんいるのです。
女性とランチの約束をするみたいに、男性であっても、
またお会いしたいと思う方もいて、普通にお誘いしたりもしていました。
最初はかなり勇気がいりましたが
今では、男女とか関係なく、恋愛感情なんか抜きで
仲良くしてくれる男性のお友達ができました。
でも、男女の区別をフラットにしたことや、ゲイの方、レズビアンの方
バイセクシャル、パンセクシャル、いろんな方と話してみて
自分は本当に【性的指向は 男】なのだろうか?とか
素敵な心ときめく女性も多いなぁ、と考えることも出てきました。
私は10代の子どもたちと公私ともに接することが多く
その様子を見ると、女の子が女の子に憧れるケースも稀ではないと感じるし
この性的指向については、環境や時期によって大きく揺らぐ可能性もあるだろうと。
そして、自分がもしバイセとかレズビアンだとしたら?とか考えたり…しました。
どんなことが起こるだろうか?
私がレズだとして、仲の良い女友だちにカミングアウトしたら
距離を取られるんじゃなかろうか、とか
夫がいるから、男性と付き合うのはダメだろうけど
レズビアンならどうなんだろう?とか
男性を魅力的に感じるときも
これは、人としての興味なのか?男性として心惹かれているのだろうか?
とか、自分と向き合うって本当に大変なんだなぁ、と。
だって、今まで考えもしなかったことをあらためて考えるって
とても疲れることなのです。脳みそがグチャグチャ。
さて、その仲良くしている男性の友達について
私も一切、互いに一切、恋愛感情はないとしても
頻繁に2人だけで会ったり
(そこまで頻繁ではないけど)
やはり、人の目というものがあり
周りから注意されたり、見かけたけど・・・
と言われたした。
相手に迷惑になるし、仕方ないから
少し距離を取ろうかな…
そんな気持ちでいたところ
その友達が、ご主人に挨拶にいくよ、と。
「真面目に友達付き合いさせていただいてます」って
そんな挨拶聞いたことないって思ったけど
拒むのはおかしいし、
3人でお酒を飲んで、夫と友達も仲良くなり、
これからは2人でも飲みに行くそうな。
夫は、多分…私が誰と恋愛関係になろうと
気にしないと思うけど。
(それをとやかく言える立場にないと言っていた、
私はそんなことはしないつもりだけど)
この出来事で私が気がついた事は
世の中、男女が2人でいたら、
恋人、夫婦、カップルで当たり前、と思ってしまうこと。
夫に挨拶したところで、
世の中の目は変わらないだろうけど
堂々と仲良くしようと考え直した。
勿論、周りへの配慮もしながらですが。
大人になったら、男女で結婚するのが当たり前って
そんな圧力をかけられるのも、
性的マイノリティでなくともイヤだろうと思う。
少なくとも恋愛感情がない男性をランチに誘って
私、距離を置かれて
とても悲しい思いをしたこともある。
普通に仲良くできると思っていたのに残念って、悲しくなった。
反対に、恋愛感情がない男性をランチに誘って
好意をもたれたりもし、困ったな、と思ったこともある。
この1年でさえ、男とか女という
既婚女性は気軽に男性をご飯などに
誘わないという常識など
日本では当たり前に考えられてる行動から
少しはみ出た行動をしただけで、
とても生きにくくなった。
性的マイノリティの方々は
かなり生きにくいのだろう。
少しでも、生きやすい世の中に!
私も気をつけて行動しないと信頼を失うし
人間関係がおかしくなることも学んだので
2025年は気をつけていこうと思います。
でも、男女が恋愛するという考え方は
性的マイノリティの方々にとっては
あらゆる方向から、
生きにくさに繋がる考え方なのだと
自分の身をもって感じた。
性的指向には揺らぎがあるというのも、
何となく実感しました。
心機一転 Lit.Linkを作成しました。
まだ、作業途中ですが
よろしければ、ご覧ください。