皆さま、お久しぶりです。

人が死ぬこと、生きること。
私の考えたことを書きます。
 
私は、本当にド田舎の生まれなのです。
 
子どもの当時は、私の育った地域では
葬儀場、○○ホールで葬儀をする家はまだなくて
どの家も、自宅の仏間や床の間で、お通夜やお葬式をしていました。
近所のおじさんが、葬儀委員長と言うのを引き受けてくれて
色々な細かいことを喪主を支えながら取り仕切っていました。
 
和尚さんとの打ち合わせや
葬儀の段取り
車の手配や席順、
 
料理もお勝手の手伝いに
近所の隣組と呼ばれるおばさんたちが来てくれました。
「おてって」と呼び

仕出しと合わせて席に並べる、料理やその買い物に手を貸してくれました。

それは、当たり前の助け合いでした。

多分、その

文化を知っている、最後の世代が私、ではないかと思います。
 
 
まだ小学校に入る前のこと
父の兄が亡くなったのですが
その時は、葬列を組んで、自宅から墓地まで
親戚や近所の人と歩きました。
 
私が一番の学びだと感じることは
 
死ぬ姿をみせること。
どんな人の死であっても
学ぶべきことばかりでした。
 
地位や学歴など関係なく
近所の家のばんちゃん(おばあちゃん)の
ただひたすらに、料理を作り、土を耕した
子育てをした皺だらけの手を
もう触れない、繋げない、なでてもらえない。
 
そう、感じること。わかること。
 
悲しいとかではなくて、それ以上の意味や感情が
たくさんありました。
 
 
ほんの70年、80年前
人の誕生も、死も
生活の中のリアルとして存在していたと思う。
 
子どもも、お産婆さんが来て
自宅で産まれた。
今は、ほとんどの人が病院で産まれる。
 
私の母とり上げた産婆さんが
たまにうちに遊びに来たのだけれど
私は、その産婆さんが、母をとり上げた時の話をしてくれるのが
とても好きだった。
 
私のお母さんは、
みんなに望まれて、喜ばれて生まれてきた
それを感じることができて
それは、すなわち
私が生きている、ということが
当然、というか、存在してよい、という
自信に繋がったのではないかと思う。
 
 
 
人が死ぬ、と言う話に戻ると
 
誰かが亡くなると、しばらくは亡くなった人の話ばかりを聞く。
どんな人だったのか、どんな家族がいるのか
どんなふうに死んでいったのか・・・。
 
私は、その会話を聞くことで、
その人のかけがえのない人生を
子どもながらに感じたし
人は人と一緒に生きるということを
子どもながらに学んだのだと思う。
 
 
子どもたちは、
自分の生まれた時のこと、お腹にいた時のことを
話してもらうのが大好きだ、きっとどの子も。
何度も聞くし、オチも同じ。
でも、嬉しそうにきいている。
 
それは、自分が愛されているとものすごく感じられるから。
人の一番の学びは、
人の誕生を肌で感じること
そして、人の死を肌で感じること。
 
これに尽きるのだと思います。
 
 
震災の時、沢山の方が亡くなりました。
そのお一人ひとりの人生を忘れないこと。
 
私の祖父母は、あの東日本大震災がなければ
きっともう少し長生きしたはずです。
 
祖父母は、少し落ち着いた頃
病院で亡くなりました。
自宅や、病院で亡くなるということの
なんと幸せなことか。
 
そうではなかった方を知っているからこそ
その幸せも身に沁みました。
 
落ち着いた頃とは言え、
まだまだ、震災の混乱の中にあり
祖父は、亡くなってから
1週間以上火葬ができない状態でした。
 
その亡骸は、自宅に安置され
毎日家族が手を合わせ、
腐敗が進まないように手入れをしました。
 
でも、私は思うのです。
その時間が幸せな時間だったと。
 
ご縁のある方が
変わるがわるゆっくりと別れを惜しんでくれました。
祖父の私の知らない話も
たくさん聞かせてもらいました。
 
死というものの本質を見せてもらいました。
 
祖父が死んで間もなく
祖母もあっけなく風邪をこじらせ亡くなりました。
 
祖父の百ヵ日と、祖母の初七日が重なり
祖父母の事、残した家族への想いなど
本当に考えさせられました。
 
 
このことがあったからという訳でもないのですが
私の妹は、助産師さんのサポートで
家族に囲まれ自宅出産をしています。
 
ありきたりですが
人の人生とはかけがえのないものです。
 
 
 自分の経験をまるっと生かす    
「育てにくい」に悩むママの味方ハート
クローバー不登校・発達インストラクター          堀 歩実
昼夜逆転・不登校コーヒーそんな子育てを経て

赤薔薇思春期二次障害からの脱却
赤薔薇子供を自立へ導き 母の未来も自由で明るく虹
赤薔薇発達凸凹でも特性を自信につなげる子育て
赤薔薇高2と中2の兄妹2児の母です。
クローバーはじめましての方へ 
自己紹介はこちら

 
高校生の息子は発達障害です。
小学校4年生の時に自閉症スペクトラムと
診断がつきました。
 
グレーゾーンから、診断がついた時は、
少なからず、落ち込みましたが
発達障害よりも、問題だったのは
 
自己肯定感が、地下深くまで落ち込むことで起こる
二次障害でした。
 
暴言・暴力・被害妄想・昼夜逆転
不安障害・不登校
・・・押し寄せる、引きこもりの不安。
 
息子の二次障害のオンパレードに
3年ほど悩み続け
我が家は怒声と泣き声が響く
暗黒不穏家庭となりました。
 
 
 
 
 
公式ラインのご案内

公式ラインでは、発達障害支援や、不登校育児について
お役立ち情報をお届けしています。
登録していただいた方には、プレゼントもお渡し中虹
 


講座、メニューのご案内も、公式ラインからお届けいたします。
下矢印
友だち追加
 
もしくはこちらからご登録ください。https://lin.ee/Kk7qCFa 
 
Instagram のご案内