中島みゆきの古い歌で「合わせ鏡」というのがある。
その中の1節に
♪なりたい夢となれる夢とがホントは違うことくらい♪
♪わかっているから鏡見るとき芝居してるのよ♪
というような感じの詩がある。
なりたいものとなれるもののギャップ。誰もが一度はぶつかる壁だろう。
かくゆうオイラもそうだ。希望に胸を膨らませ、望めば何でも手に入り、努力すればどんな高みにも到達できると信じて賢明に羽ばたいていた時期もある。
ただ、残念ながら時が進むにつれて、己の才覚だけで登れる高みには限界があることに気づき、挫折したわけではないものの、さらなる高みに登るために意に沿わないことはしないという方向に舵を切った。
ここで言う「高み」とはスピリチュアルなものでは無く、社会的地位というかもっと端的に言うならば勤務先における「肩書き」のことだと思ってもらえば間違いない。
それは己の才能の限界を認めるのが嫌なだけだったのかもしれない。恐らく負け惜しみも含みつつ、本人の意思とは裏腹に幾ばくかはそうした自らを欺く気持ちもあったに違いない。
だが、いくらかの時間は必要となるものだが自らを客観的に観ることが出来るようになると、
よく言えば、自分の適性が悪く言えば、自分の限界が
よりはっきりと自覚できるようになるものなのだ。
オイラはだから自分の能力が役に立ちそうなときは担当外であっても首を突っ込むし、これはオイラのテリトリーでは無いなと思ったらすぐにそうしたものが得意なメンバーを巻き込むことにしている。
仕事で言うと、いい年して未だに自分は何でも出来るスーパーマンだと思って居るやつは始末が悪い。(苦笑)
趣味の世界でもそうかもしれない。
壁にぶつかったときの挫折感が大きい人ほど、
幸せな勘違い=うぬぼれ
が大きすぎるのだ。
卑屈になる必要はこれっぽっちも無いのだが誰にも適正が有り、限界もあるのが当たり前だと言うことを理解すれば、また違う試みにトライできるのだ。
確かにこのやり方ではここまでが限界だ、だがもう一工夫してちがう試みをするともう半歩だけ先に進めるかもしれない。
そう考えて努力するから進歩するのだ。(^^)v