少し前に価値観についてぐだぐだと書いた。
http://ameblo.jp/mokuba-red/entry-11988214049.html
そしてその中で、多様な価値観を許容することの大切さと同時に、排除することの傲慢さを書いた(つもりだ)。
誤解の無いように書いておくが、許容するというのは共感することと同義ではない。その存在自体を受け入れるという意味だ。
自分が共感できない価値観の存在そのものを否定することが自らのアイデンティティだと勘違いする人もいるようだがそうでは無いと思う。
確かに異質なものに寛容になることは難しいかも知れない。人種差別なんてのは古くて新しい問題だしね。少し前にどっかのばあさんがアパルトヘイトは必然性があったなんてほざいてネットを賑わしていたけど、あれも知識人のふりをして単に自分の価値観で物事を決めつけているだけだな。
異文化を持つ人間は無理に交わろうとしないでそれぞれのコロニーで生きていく方が幸せだという論旨だったと理解しているが、その主張そのものは正しいがそれをアパルトヘイトに結びつけるのはどう考えてもおかしい。肌の色が違うと言うだけで彼らが受けた迫害はそんな生やさしいものではなかったはずだ。
今でもその手の話がネットのニュースを賑わすのは珍しいことではない。
過激なイスラム原理主義系組織によるテロ・・・と言うか、無差別殺戮行為もそうした思想から発しているモノだろう。
話が横にそれたが、要するに違う価値観が存在することを認めることがまず第1歩ということであり、その先には共存するための知恵と努力が必要と言うことになる。
まあ、オイラの場合、まだまだ人間が小粒なので自分と違う価値観の存在は認めることはできるけど、それと共存することの煩わしさからはつい逃げ出しちゃうんだけどね。(苦笑)
要するに、上述のばあさんの主張よろしく、めんどくさいやつとは距離を置いてつきあわないことにしているのだ。もちろん、避けて通れない場合は共存とは言えないまでもあえて争わないようにするくらいの大人力は持ち合わせているが。(苦笑)
自分のアイデンティティを明確にするために、他人との違いを強調しようとするタイプの人が相手だとこの手は通用しないのが悩みの種なんだが。(苦笑)
仕事でも良くあることだが、前任者の仕事を否定することで自分のアイデンティティを主張し、ひいては自分の存在価値を誇示しようとする類いの人は世の中に掃いて捨てるほどいるのだ。
ま、いろいろめんどくさいってことだな。(´ー`)┌フッ