鈴鹿8耐・郷愁編 | 木馬の四方山ばなし

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趣味の話や日々の出来事を中心に何となく、自己満足のためにつづっていくブログです。

今年の8耐は何年かぶりのあっつーい8耐だった。


3日間を通してまったく雨が降らなかったのはここ何年かでは珍しくらいだった。



思えば、ボクの8耐デビューはかれこれ20年以上前のこと。


ヘアピンから先は金網で仕切られていて立ち入り禁止だった時代。

デグナーカーブがひとつRだった時代。

8時間が終了する前に観客がゴールになだれ込んだ時代。

入場者数が15万人とも20万人とも言われ、世界のトップライダーが集結した時代。


当時、まだまだ小僧だったおいらは、とあるチームで使いっ走りをしていた。(笑)
たとえ、使いっ走りとはいえ関係者ゲートから入れる優越感や、チームウェアに身を包んだ満足感を味わったものだ。

パドックを歩いていれば、ケニーがいて、シュワンツ、ローソン、レイニー、マギー、サロン、ガードナー、バロス、コシンスキー、ポーレンが当たり前の様に目の前にいた、あの時代。

ものすごい角度のハイレグのキャンギャルをどきどきしながら眺めたのは今となっては隔世の感すらある。


走行の前後はさまざまな雑用からメカニックの補助作業もした。
そして走行中はピットサインを出していた。


当時は、サインボードエリアに今みたいに屋根なんかつけられなかった時代。


日没間近になってピットの建物が日陰を作ってくれるまでは、太陽の陽射しの中で8時間立ちっぱなしだった。

唯一の救いはチームメンバーが届けてくれる、


クーラーボックスに入った冷たい飲み物やおしぼりだけ。。。



毎年、8耐に行かないと夏が来なかった時代。
レース後の2コーナーから打ち上げられる花火を眺め、演歌みたいな鈴鹿の歌?を聞かないと夏気分にならなかった。(笑)


いつしか90年代に入り、鈴鹿から足が遠のいていたのだが、ふと思い立ってはじめた写真撮影のためにサーキットに戻ったのは4、5年ほど前からだっただろうか?


あの頃とは変わってしまったものも多いが、もちろん変わらないものも多い。



今年も金曜の明け方からサーキット入りをして、金土日と3日間フルに撮影した。

毎日15kg近い撮影機材を抱えて歩き回ったので、体の疲れはかなりのものだった。
3日間のトータルの歩行距離は約40kmに及んだ。


しかし体は疲れているのに、神経の高ぶりは持続したままだった。
土曜の朝などはゆっくりとホテルを出るつもりなのに、なぜか朝早くから目が覚めてしまい、仕方なくシャワーを浴びたりしていたくらいだ。


やはり、毎年さまざまなドラマがある鈴鹿8耐。
かつては内側から8耐を体験した。そしていま、
外側から撮影している。

それぞれの8耐があることを経験として知っているため、毎年、わくわくが抑えきれない。

こればかりは現場で暑さを味わった人間で無いとわからない感覚だろう。


今年は暑かったので、熱中症や脱水症状を起こさないようにこまめに水分を取り、時折休憩することを心がけたおかげか、何とか体調を崩さずに乗りきることができた。

そして、かつては「8耐焼け」と称していた土方焼けがくっきりと体に刻まれた今、夏本番を迎えた感覚が体中にあふれている。(^_^)v


次の撮影はお盆休みあけかな。


もて耐、全日本ロードレースという予定になると思う。


お盆休みまでに、先日のフォーミュラ・ニッポンと今回の鈴鹿8耐の画像をセレクトし終わりたいものだ。


今週末はどこにも出かけないので土日の2日間でなんとかやっつけようと思う。(^^)v