すでに日本は敗退してしまったがサッカー・ワールドカップが明日の未明にクライマックスを迎えようとしている。
普段、Jリーグにはまったく興味がないおいらでさえ、世界のトップレベルのゲームは見ようという気になるし、見ていて非常に興奮する。
しかし、残念ながら決勝戦は日本時間では月曜の明け方。
仕事のことを考えると、リアルタイム観戦は無理だ。
一応録画予約はしたものの勝敗に関する情報を知らずに月曜日を過ごし、その晩に録画を見るというのはおそらく無理だな・・・・orz
それにしてもこうしたスポーツのビッグイベントがあるたびに思うことがある。
ナショナリズム
個人的な印象ではあまり良い意味で使われることのほうが少ない言葉だと思っている。
しかし、スポーツの祭典ともなれば、世界中の人々がそれぞれの立場で、何の疑いもなくナショナリズムにどっぷり浸るのが面白い。
かく言うおいらもその一人ではある。
サッカーは素人なので自分でプレイの善し悪しを評価できないに等しいが、テレビの解説などを聞いては、
あー。日本はだめだ。。。
なんてぼやきつつも、いざ試合になればテレビにかじりついて応援している自分がいる。
同じようなことがオリンピックでも起きる。
水泳の北島が金メダルを取れば、何度も何度もその映像を見てしまうし、
女子モーグルの上村愛子がメダルを取りそこなってしまえば、テレビの前でがっくりと肩を落としてしまう。
それもこれも
ナショナリズムの現れ
と言って良いと思う。
試合を戦っている本人にしてみれば、純粋に応援を力に変えることもできるだろうが、外野が好き勝手なことを言うのはある意味、いい迷惑、大きなお世話ということも多いだろう。
日本人がトップレベルで活躍すれば、そのジャンルのスポーツは盛り上がる。
それは疑いようのない事実である。
そしてそれが底辺を拡げ、次世代の強い選手をはぐくむ土壌となるのだ。
アイドルのようなスター選手がいるだけでも一時的には盛り上がるが、それが持続するにはやはり強い選手が必要だ。
モータースポーツでもそうだ。
かつて、日本人が大活躍したグランプリ・ロードレース。
GP125クラスなどは日本人が表彰台を席巻するのが当たり前だった時代さえある。
さすがに最高峰クラスではそこまでは行かなかったが、それでもうまくかみ合えばトップ争いをし、まれに勝つことができる選手がいた時代もある。
しかし、いまは、最高峰クラスで日本人が表彰台に上れるなんて思っている人はまずいないと思う。
残念だが、それが現実だ。
高校生の3ない運動が定着して久しい。
そんな中でオートバイに慣れ親しむ若者などホンの一握りである。
そんな2輪のロードレース界ではあるが、現在、Moto2クラスで日本人が活躍している。
そうなると見る方にも俄然力が入ろうというモノだ。
ナショナリズムという言葉に代表させてかたっているが、もちろん、国単位だけではない。
たとえば都市対抗となれば、自分の所属する都市を無意識に応援したくなるモノだ。
人間は基本的に群れたがる生き物なのかもしれない。
(猿が進化した生き物というのも何となく納得できる・・・)
その本能の裏返しがナショナリズムなのだろう。
もしも、地球外生命体が地球を侵略しようとするならば、今度は
人類総地球人っ!!
・・・的なノリで一致団結して立ち上がるのだろう。
野球賭博で揺れる大相撲。
そこで厳しい処分をくだされた
大関・琴三喜
岡崎市出身と言うことで地元の後援会なるモノもあったそうだが、解散するそうだ。
彼の今後の人生が大きく道を外れずにすむことを願いたい。
それにしても、後援会なら解散という選択肢があるだろうが、たとえば、岡田ジャパンが敗退したからと行って日本が解散するわけには行かない。(^^;)
次のジャパンチームをまた応援するだけだ。
がんばれっ、ジャパン。
たたかえっ、ジャイアント・ロボ。。。
バキッ!!(-_-)=○()゜O゜)アウッ!