プラモデルへの憧憬と幼き日への郷愁 | 木馬の四方山ばなし

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趣味の話や日々の出来事を中心に何となく、自己満足のためにつづっていくブログです。

夏休みである。
夜遅く、ひとりでテレビもつけず、ぼんやりと静かに酒を飲みながら、いろいろなことに思いをはせる・・・・・


こどもの頃の記憶。

少し前にも書いたが、東京の下町で生まれ育ったボクにとっての原風景は「三丁目の夕焼け」の風景そのものである。


商店街の外れにある小鳥やさんで、小鳥を見るのが楽しかった。

母親の買い物についていき、おやつを買って貰うのが楽しみだった。


少し大きくなってからは、近所の本屋さんを何軒も眺めて歩いては文庫本を手に取ってみるのが好きだった。

お小遣いを貯めてプラモデル屋さんに買いに行くのがとっておきの楽しみだった。


今のようにビニール袋(正確にはプラスティックバッグと言うべきだろうが)が世の中に普及していなかった時代。

プラモデルを買うといつも包装紙に包んでくれた。

紙ひもで縛って持ちやすいようにわっかを作ってくれた。


今は買い物をするとなんでもプラスティックバッグである。
コンビニの袋みたいなのから小洒落たものまでいろいろあるが、あまり人のぬくもりというモノは伝わってこない。


気取ったお店だとしゃれた紙袋に入れてくれたりもするが、これも大同小異である。


ぜんぜんお洒落ではないが、単純な包装紙で丁寧にハコを包んでくれた時代。


お店のおじちゃんやおばちゃんがやさしかったのを思い出す。

包装紙から透けて見えるプラモデルの箱の図柄を飽かずに眺めながら、ウチにつくと早速組み立てる。


ごくごく小さい頃は闇雲に組立て始めたモノだが、小学校の高学年くらいになるとだいぶ知恵が付いてきて、まずはひととおり、部品をチェックして、それから必要な塗料や道具などが手持ちのモノでたりているかを確認。


不足しているモノがあれば、翌日お小遣いを握りしめて買いに行く。

色塗りなどもパーツを切り出したあとで塗ろうとすると掴むところがなくどうしても指紋が付いてしまうので、まずは、「枝」についたままでざっくりと塗装。


そして乾いてからニッパーとヤスリを使って綺麗に切り出したら、今度は切り口を含めてもう一度上塗り。

やることもだんだん凝ってきた。


勉強机の上には「レベルカラー」「パクトラタミヤ」がずらりと並んでいた。

夕食時にやると「レベルセメント」の溶剤のせいで臭いとよく両親に叱られた。


路地にはいると当時はまだろくに舗装もしていない道がたくさんあった。
木製の電柱
がまだ現役で残ってた時代で、街灯は「傘をつけただけの電球」だったりした。

夜、あそびから帰るときに街灯の下以外は真っ暗で、とても怖かった記憶がある。


電柱一本ごとに、走ってはまた電柱のしたで呼吸を整え、また次の街灯の下までダッシュした。
暗いところを少しでも速く通り過ぎようとしていた幼い日々。


今となっては皆、古き良き想い出である。

突然ではあるが、ふと、そんなことを思い出した夜であった。