ボクの両親は、共に東京の下町の出身であり、それぞれの祖父母もたしかそうである。
調べたことなど無いのでわからないが、今まで親類も含めてどこか地方からでてきて住み着いたというような話は聞いたことはない。
父方は東京湾・品川近くの大森海岸あたりで海苔の養殖をしていたという話しなら聞いたことがあるが、詳しいことは知らない。
そんな訳なので、かなり以前から「江戸」もしくはその近くにいたのは間違いなそうだ。
そして、いわゆる山の手の「セレブ」とはほど遠いが下町の人情味あふれる環境で生まれ育ったことをボクは誇りに思っている。
映画は未だ見ていないが、ボクの子供の頃の記憶にあるのは、まさに「三丁目の夕焼け」にでてくる光景である。
とうの昔に死んでしまったが、ボクの母方の祖母はお金のことをいつも「おあし(江戸っ子訛りでオワシと聞こえたが。)」と呼んでいた。
小さい頃に両親になんで「おあし」というのか尋ねたことがある。
『あし』が生えているみたいにすぐになくなっちゃうからだ。
と教えられた。
江戸庶民の肌感覚なのだろう。
いわゆる「宵越しの金はもたねぇ」みたいな感じだろうか。
このところ、つくづく実感する。
BMWのバイクにお金がかかり、ノートパソコンの修理にもそれなりにかかりそうである。
おまけに今週末はクルマの車検が控え、更に追い打ちをかけるようにアフリカツインの車検もある。
キヤノンEOSの新しいカメラも欲しいし・・・。
せっかく支給された夏のボーナスももう既に木っ端微塵だ。
まさしく「おあし」である。
すべての物欲を断ち切れば、でていく「おあし」もぐっと少なくなるのだろうが、お金がかかっているのはすべて趣味である。
趣味は心の潤滑剤だ。
お金なんて、無意味にため込んでも仕方ない。(貯めたくても貯まらないともいうが・・・・)
だから、自分自身のための投資には惜しまないことにしている。
むろん、いくらでていく「おあし」が多いからと言って金儲けに固執するのは愚の骨頂だ。
自分の能力の範疇で精一杯働き、ほどほどの対価を得る。そして得たお金で自分自身の心が充足することをおこなう。
「おあし」は世の中を流れあるいていないと意味がない。
自分から流れ出ていくぶん、せっせと働いてほどほどに流れ込んでくるようにもしないとね。
やっぱり、バランスが大切。
なんか消費者金融のCMみたいになってきたのでここらで終わろう。