
【私の2011年3月】
子供たちと湊小学校で再会した際に、何か食べたのか?と聞けば、何も口にしていないとの事!
自衛隊のヘリが、救援物資を何処にどう降ろすか検討している様子だったので、「あと少しで食べられるから我慢するんだぞ」と答えて、私は歩いて5分位の自分のアパートに向かいました。
...
瓦礫の山を掻き分けて、ひたすら2時間掛けてやっとアパートへ。駐輪場の上にはBMW の立派な乗用車が乗っかっていました。
私の部屋は二階でしたが、多分海水が入っているだろうと、半分諦めていたが何と、あと数cmと言う所で難を逃れました。
早速子供たちにモーフと、あったお菓子をリックに詰めて、又湊小学校へ戻った次第です。
湊小学校には、多くの湊地区の方々が避難しておりましたが、あの惨劇の中で皆さんよくぞ生きておられたと、なかば感心する位でした。
その避難者の皆さんを見ていたら、どうしても両親の安否を確認したいと思いました。
半分諦めておりましたが、"もしかすると" の一念で避難しているであろう湊中学校へ行こうとした矢先、「湊の大門崎付近は、胸まで水に漬かる」との情報が入る。
でも一度思ったからには、どうしても確認したい!どうしても行きたいと強く思った!
「何もそこまでして行かなくても」と言われましたが、もう気持ちは湊中学校へ向いていたので、ずぶ濡れ覚悟で向かいました。
腰まである水の中を、ひたすら歩いていると、瓦礫の中には遺体のような・・・、見て見ぬふりをするしかないんだと、自分にいい聞かせて前に進みました・・・(-_-;)!!
もう水が胸までくる位になった時、ふと、脇の方から流れて来るものを感じた。よく見たら・・・、うつ伏せになって、人が流れていました・・・(T-T)!!
「何てこったい!」これが現実か?夢でないのか?と、自問自答したけど・・・!
どうしても可哀想で、そのままには出来ませんでした・・・(T-T)!!
顔が水に浸かったままでは苦しいだろうに・・・(T-T)!!
仰向けになおして水に流れぬ所へ・・・!
名も知らぬ方なれども、どうか、成仏して下さいと、祈る事しか出来ませんでした。
すると、上でカラスの鳴き声が・・・(-_-;)!
カラスを怨めしく思ったけどどうしようもない!
掛けてやれる布団も無ければモーフも無い!
強いて掛けてやれるのは、瓦礫と化した屋根のトタン位で・・・(-_-;)! こんな物しか掛けてやれんのか・・・(T-T)!!
何もしてやれぬ自分が、こんなに情けないとは・・・(-_-;)!!
無力な自分が本当に悔しい!!情けない!!そう思えた時でした!!
「ゴメンね」と、心の中で何度も謝り、その場を後に、歩み始めたら・・・、今度は背中にランドセルを背負った・・・(T-T)!!
やはりうつ伏せになって流れて・・・(T-T)!!
まだ愛くるしい顔をしたこの子が・・・(T-T)!!
なんで?なんで?・・・(T-T)!!
それから私は、人の命を簡単に持って行く災害を憎むようになりました!!
尊い命を簡単に・・・(T-T)!!簡単に持って行く災害を憎むようになりました!!
【私の2011年3月】
この震災で、私は数多くの人々の亡骸を見て来ました。無造作に放置になっている亡骸を・・・(-_-;)!
関係部署に報告しても「すいません、生きている人が先ですから」・・・(-_-;)!そう言われるだけ・・・
...
声をあげて、泣き喚きながら湊中学校へ向かい、着いた時には出発から、4時間たっていました。
中学校の駐車場も、瓦礫やら車の残骸やらで、凄まじくなっていた・・・!
そんな中に、ワゴン車があり、人が載っているような気配が・・・(゜ロ゜;!
見れば車椅子に載ったお年寄りの方々が・・・(T-T)!!
せっかくここまで避難して来たと言うのに・・・(T-T)!!
その姿は眠るような、優しい姿でしたので、なお悲しくて悲しくて・・・(T-T)!!
直ぐ目の前が、避難場所の中学校なのに・・・!
やはりどうする事も出来ずに、只ただ手を合わせて祈るばかりでした!!
直ぐさま避難場所の講堂に行き、避難者掲示板に目を走らせる・・・!
「何とか無事でいて欲しい!!」必死の思いで両親の名を捜す・・・!
見覚えのある字が、涙で見えなくなって行くのを覚えました・・・(T_T)!!その場に座り込んで、どの位の時が過ぎたでしょう!!
生きていました・・・(T_T)!!
あの凄まじい津波の中を、あの凍えるような寒空の中を、両親は生きていました・・・(T_T)!!
どんなに安堵した事か・・・!!
どんなに心の中で喜んだ事か・・・!!
この喜びは、何にも換えがたいものでした!!
しかし、安易に喜べんのです・・・(T-T)!!
前にも述べましたが、家族を亡くした方々が大勢いるので、安易に喜べんのです!!
一目散に両親がいる所へ行こうと、走ってはいかん廊下を、無意識に走る・・・!!
教室の入り口の名前を確認して入ってみたら・・・(T-T)!!
必死に涙をこらえたけど・・・(T_T)、無理でした!!
するとオヤジが「おう!生きていたか!」「注意報が出ても、逃げない位だから、絶対死んだと思っていたよ」「よく生きていたなぁ」( ̄▽ ̄;)!!
人の心配を知ってか知らずか、津波なんぞ何処吹く風と、言わんばかりに堂々とした態度に、半分飽きれ返りました・・・( ̄▽ ̄;)!!
こんなオヤジも、近々には、癌の手術をする事に・・・!!
さすがに落ち込むかと思いきや、「何にもかも、なるようにしかならん!!」と、あっさりした表情┐('~`;)┌!!
やはりあの津波を乗り切った両親!!
私の誇りです!!
***
全国の皆さん!あの災害以降、多くの支援と心暖かい思いやりや、御言葉の数々、本当にありがとうございましたm(__)m!!
明日は、亡くなられた方々の一周忌、我々被災者は、喪に伏す日として悲しみを新たに致しますが、今まで支えて頂いた喜びも、感じている所でございます。
今後も、多種多様に渡り、ご支援を頂かねばなりません!!
どうかこの被災地を忘れずに、これからも東北の未来を、被災者の生きざまを、見守っていて下さい。宜しくお願い致しますm(__)m!!
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何か伝われば幸いです。
なんとか今日中にアップできてよかった……