東日本大震災  「私の3月」 ~萬代 好伸さんの日記~③ | モコログ~Go*Go*RadioDays~

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【私の2011年3月】

本日、春特有の太平洋南岸低気圧の影響で、各地で雨が降り続いている。私が和歌山でお世話になった、串本町の潮岬でも3月で、1位の記録を更新したとの事。災害が起きねばいいが、心配であります。

当日の避難所での夜は、光景を目の当たりにした絶望と、頻発する予震、周囲を焼き付くす火の手の恐怖、今後の生きて行く事への不安で、押し潰されるようでした。
...
やるべき手作業が多かったので、何とか気を紛らわす事が出来たけど。

生活面で気掛かりだったのは、トイレをどう使うか?でした。断水している状況下に於いて、水洗トイレの水も貴重となります。

取りあえず今タンクにある水を容器に移し、幸か不幸か降り積もった雪を、ごみ袋のような大きいものに入れて、解かして使う事が出来た。

人々が、この最悪の状況下の中で、知恵を必死に絞って事を進める姿に、生きようとする新たな気持ちを強く感じました。

多くの人々に、早く身体を休め、眠るように促していましたが、やはり頻発する予震には、恐怖の悲鳴が上がり、眠れる状況にない事を感じました。

火の手の行方や、次の予震が大きいならこの建物は大丈夫か?などと、考える事が飽和状態を優に越えていました。

我々被災者は、こうして当日の夜を過ごしました。

一睡もする事なく、絶望と恐怖と不安な夜を!!



【私の2011年3月】

絶え間無く続く予震に、恐怖と苛立ちを感じ、一睡もせぬままに朝を迎える。

薄明かるくなって行く日和山の街並みは、なんら変わらず、明け方まで降り積もった雪が、普通に歩く事すらも拒んでいた。
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このまま何も変わらぬ街並みが続いていて欲しいと、願いながら展望台へ行く。

願いは・・・(-_-;)、無残にも打ち消され、海と化した南浜町を冷たい風が通り抜けて行く・・・(-_-;)!!

川に流れ込む津波の残水の音と、それに溶け込むようにカラスの鳴き声が、瓦礫たと化したふるさとの空に、響き渡っていました。

子供たちが避難している湊小学校を、食い入るように見て、不安な夜であっただろうと、思いに馳せた。

出来る事なら直ぐにでも会いに行って、強く抱きしめてやりたい・・・(-_-;)!!

そんな想いに立ち憚るのは、一向に引く気配のない海水!! そしてこれ見よがしに道路に横たわる巨大な船!!

歩ける所を探しながら進むも、途中で断念・・・(-_-;)、避難してる場所は見えども遠い我が子!!

内海橋にも船が横たわっている様子!! ここは、仕切りなおして水が引くのを待つ事に!!

津波と遭遇したところへ行って見たら、私が手を引っ張って人を車から、引きずり出した場所が、車の残骸の山となっていた!!

正直マジに驚いた!!その場に長くいたなら、私は飲まれていたかも知れない・・・(-_-;)!!

様子を見に、戻る行為を知らぬ間にしていたのだ・・・(-_-;)!!

恐怖に震えふ身体を宥めて、避難場所に戻ろうとした時、道路に座り込み、両手を合わせて祈るご老人がいました。

「助けられなくてごめんね」・・・(-_-;)!!

何度も繰り返す言葉に、貰い泣きの涙が止まりませんでした・・・(T-T)!!


【私の2011年3月】

震災から3日目13日、疲労と空腹と寝不足で、もうろうとする意識の中で、早朝に1人の男性を見ました。

彼は全身ずぶ濡れで、息も荒々しく、取り付かれたように、避難者掲示板を見ていました。
...
聞けば、女川で被災し、南浜町に住んでいる家族が心配で、一昼夜歩き通したとの事!

車も被災して、道路も瓦礫が散乱して、とてもとても走れる状況にないと、情報を貰う。

家族の名が無く、落胆の色を隠し切れずにその場に座り込んでしまう・・・(-_-;)、しかし再度立ち上がって「必ずや生きている!」そう呟いて、次の避難所へ赴いて行った!

私も湊小学校に避難している子供たちが心配だったので、意を決して行く事にしました。

瓦礫やらヘドロやらと、ありとあらゆる物が、うず高く散乱している所を、行っては引き返し、別の所をまた進むの繰り返しで、通常30分で歩ける距離なのが、3時間かかって湊小学校に着きました。

そこには津波に炙り出された被災者が、かなりの数で溢れていました。ごった返す人々で、床はどろどろのヘドロまみれ、人1人が横になるスペースがない位でした。

そんな中で、急いで子供たちを探すも、余りにも多い人数で、どの教室にいるか、一苦労をして見つけました。

娘は、どろどろ状態の私にも関わらず、抱き付いて来ました。高校の制服姿で「制服が汚れるから立って寝ていた」と、言っていたのに、汚れてしまいました。

次男は、救援物資の受け取りを手伝う為に屋上に上がっていた。「自衛隊の皆さんに、ずっと励まされていたよ」そう言っていた自分たちも、周りのお年寄りの方々を励ましていたそうです。

無事なのはわかっていました・・・!

生きている事は、わかっていました・・・!

でも再会した時は・・・(T-T)!!

その反面、安易に喜べんのです・・・(-_-;)!

家族を亡くした方々が大勢いると思うと・・・(T-T)!!

喜べんのです・・・(T-T)!!

そんな想いの被災者が多くいる事を、どうか皆さん、知って下さい!!



つづく