もこ太郎の平成阿房列車 -25ページ目

もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!


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定刻より数分遅れで、「ムーンライト信州」は出発した。
座席はほぼ全て埋まっており、割と賑やかな雰囲気に包まれていた。
私と同じく、乗客の殆どはお盆休みを利用しての旅行なのであろう。



新宿を発って30分ほど経過。次の停車駅、立川に着いた。
立川で何人かの客が乗車してきた。


立川を経ってから直後に、車内検札が始まった。
いよいよここで青春18きっぷを使う。
乗客は、おそらく全員18きっぷの使用者であろう。



このタイミングで、私は大失態をしでかしていたことに気付く。



あろうことか、最寄駅の本庄で改札を通る際に、Suicaを使用してしまっていたのである。
ムーンライト信州の車内検札では、Suicaは使えない事は分かっていたのに…
ついいつものクセでSuicaを使ったらしい。


車掌に事情を説明し、車掌から説明を返される。
「では駅で改札を抜ける時に、駅員にこの証明書を見せて、Suicaの乗車記録を消去してもらってください。
 本庄から立川までの乗車料金、1,620円頂きます。」
車掌は手慣れた様子で、Suica情報消去許可証明書を私に手渡す。


少々恥ずかしい思いをしながら、18きっぷに検印して貰う。
でも一つ勉強になった。もう同じ過ちは犯さない、と心に誓う…




車内は終始ライトが点灯していて、十分な睡眠は取れなかったと思われる。
しかしふと意識を取り戻し、時計を見ると午前5時を過ぎていた。
車窓も明るくなってきた。


神城駅を発車してから、乗客は下車する仕度を始めた。


8月12日5時40分、定刻通りにムーンライト信州はゆっくり停車した。
白馬に到着したのである。


初めての夜行列車であったが、乗ってみるとあっという間の移動であった。
物足りなささえ感じてしまった。
ただ夜行移動に慣れていないためか、眠気と少々の体の疲れは伴っている状態だ。



白馬のホームに立つと、さすがは雄大な北アルプスの麓の駅、空気が澄んでいる。
そして、真夏とはいえ気温が低い。
非常に心地が良い。


跨線橋を渡り、駅員に18きっぷを見せて有人改札を抜ける。
改札を抜ける乗客は殆ど全員18きっぷを持っているので、顔パス同然で改札を抜けていた。

私も前の人にならって、改札を抜けた。
多少の優越感を感じ、私の顔には微笑が浮ん…だかどうかは定かでは無い。



駅前広場まで出てみる。

すると山の風景がすぐそこまで迫っていて圧巻である。
冬はこの辺はスキー客で賑わう事だろう。
下車した乗客は、タクシーや迎えの自家用車等でそれぞれ散らばっていく。



もこ太郎の平成阿房列車

かくいう私は、ムーンライト信州で今来た道をそのままUターンで折り返す。
普通であれば非常に無駄な行為である。しかし18きっぷだからこういう事は何のためらいもなくできる。
上りの大糸線で、まずは塩尻を目指す。


ムーンライト信州が到着してから30分程経過。

下りの信濃大町行き列車がやってきた。
私のように、Uターンする人は殆どいなかったと思われる。
この列車に乗車した人はあまりいなかった。
車内も終点まで空席が目立った。



信濃大町にて、4分の乗り換え時間で塩尻行き列車に乗り換えた後の事だ。
不覚ながら、信濃大町~塩尻の区間、私は殆ど眠っていたらしい。

クロスシートを独占できたので、少しは車窓の景色を楽しみたいと思っていたのだが…
しかし塩尻に着いた頃には、残っていた体の疲れも程よく抜かれていたようだ。


塩尻駅ホームは白馬とは違い、とても大きな印象だった。


塩尻からの次の列車まで、1時間程度の待ち時間がある。
駅前広場に出てみると、天気は快晴。
塩尻駅もそれなりに高い標高に位置するのだが、朝8時を過ぎた気温は決して涼しいものではなかった。



もこ太郎の平成阿房列車


駅のコンコースにある立ち食い蕎麦屋にて、名物の信州そばを朝食に頂く。
かけそばは素朴な味わいで、美味しかった。
店員のおばさんに、深くお礼をした。



塩尻からは上りの中央本線に乗り、岡谷駅に向かう。

岡谷にて、豊橋行きの飯田線に乗り換える。
ここから4時間は列車に乗りっぱなしになる。
車内で昼食をとることになるだろう。KIOSKで事前に昼食となるおにぎりを買い込んだ。




9時36分。
列車は岡谷を発車した。
いよいよ、最初の目的地に向かう…



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2011年8月11日



仕事から帰宅してすぐに旅立ちの準備に取り掛かる。


事前にディスカウントストアで買っておいた安物のスポーツバッグに3、4日分の着替えと、一眼レフデジタルカメラをおもむろに詰め込む。


このカメラは、娘の成長過程を記録する為に、ボーナスをはたいて購入したものであった。


しかし今後は役割を変えて、私の旅の記録を残す為に活躍してもらう。



最後に「ムーンライト信州」の指定券、そして抗鬱剤を持った事を確認して、家を出た。



最寄り駅にて青春18きっぷを購入。しかし、すぐには18きっぷは使用しない。

日付変更時のムーンライト信州内での検札の時に使用するのである。


私の最寄り駅は、JR高崎線にある本庄駅。

始点の上野から普通列車で1時間半かかる場所にある。
高崎線の熊谷駅以北の区間の中では高崎、籠原についで3番目に利用者の多い駅である。
朝の通勤時間帯の上り列車は、ここ本庄駅でだいたいシートが一杯になってしまう。

また本庄市には私立高校が何校か存在する。

朝の下り列車から、大勢の学生が下車して来る事もしばしばである。


ちなみにこの本庄駅の発車メロディーは「JR-SH7」と呼ばれる曲である。

この曲はタイトルからも分かるように、特定の駅だけで使用される曲ではない。JRのいろんな駅で標準的に使われても良い曲なのである。

しかしこの曲は、本庄駅の他には茅ヶ崎駅、しかもホームライナーが発車する4番線しか使用されておらず、珍しい発車メロディーなのである。



20時35分発上りの上野行き普通列車に乗り込む。
夜の上り列車は空席が目立っていた。朝とは全く違う様相だ。


1時間ほどで大宮に到着。それまで自分は何を考えていたのか、まったく覚えていない。

まだ時間がある。大宮のエキュートで夕飯を食べることにした。
話題のカニチャーハンの店で、カニ玉チャーハンを頂く。
なかなか美味い。久しぶりに食べることの幸せを感じた。

ここの所しばらく、夕飯といえば第3のビールと一緒に缶詰程度しか取っていなかったからだ。
腹が減っては列車も乗れぬ、と自身に言い聞かせてみる。


食後に、本屋に立ち寄ってみた。是非とも欲しいものがあった。



生まれて初めて購入する時刻表。


大きなB5版の時刻表は、持って歩くのには不便さを感じるのでは?と思った。

なのでB6版の交通新聞社発行「コンパス時刻表」を購入した。


もこ太郎の平成阿房列車


大宮からは埼京線に乗って、新宿まで移動する。
大宮の埼京線ホームは、地下にある。
新幹線のホームよりも大きな数字の19番線~22番線が埼京線のホームになる。

つまり、埼京線は東北新幹線より歴史が浅いのである。




埼京線の車両の中で、購入したばかりの時刻表を開いてみる。

すると、最初のさくいん地図の横に、痛ましい注意書きがあった。


「東日本大震災等の影響により、列車の運休やダイヤ変更が発生している区間があります」


その日は大震災が起きてからちょうど5か月経った日であった。

私には、運休になっている路線の、一日も早い復興を願うことしかできなかった。



大宮から40分ほどで新宿に到着。
深夜にも関わらず、コンコースには人がひっきりなしに往来している。


9番線ホームで待つこと数十分。

グリーンをベースにした車両がゆっくり入線してきた。
ホームにいた人々は一斉に、カメラを列車に向ける。
いよいよムーンライト信州の御出ましだ。


列車の扉が開き、大勢の乗客が車内になだれ込む。


いろんな人がいる…


家族連れ


山を目指す人




私は窓際の席に座る。しばらくして座席は満席となった。
出発時間が近づいてくる。



さあ列車よ、私をどんな旅にいざなってくれるのか?
私にどんな感動を与えてくれるんだ?



数分の遅れをもって、列車は新宿を発とうとしている…




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2011年7月下旬



用事は無いけど列車に乗って旅をする
とは言ってみたものの、目的地が無いとやはり張りあいが湧いてこない。
目的もなく旅の計画を立てるのはナンセンスだとここで気付いた。



何処でもいい、とりあえずは行き先を決めよう。
目的地の候補をいくつか挙げてみた。




とにかく青春18きっぷをとことん使い潰すつもりでいる。
となると、指定券を手に入れて、夜行列車に乗るのが上等手段だ。



「えきねっと」に登録し、東京から大垣まで行ける「ムーンライトながら」の空席状況を確認してみる。
すでに満席との事。さすが人気の列車である。


仕方がないので、次に新宿から白馬まで行ける「ムーンライト信州」を確認してみると、空席があった。
迷わず指定券を購入。




さて、次は「ムーンライト信州」を軸にして、旅の行程を考える。
目的地は白馬では無いが、とにかく長い時間列車に乗るために、当然白馬まで行く。

そこから乗車する列車の選定。

目的地の決定。

宿泊先の選定等々…





最初は行き当たりばったりの旅を予定していたはずが、こうして旅の計画を立てていくと意外とハマってしまった。
実は旅の楽しみというのは、半分は旅の行程を計画する事ではないか?


…といっても、この時点で時刻表を持っていなかったので、1日目の行程を立てるだけで精いっぱいだった。
2日目以降は、本当に行き当たりばったりとなる。
何泊何日の旅になるかも分からない。




でもそれも、面白いんじゃないか?

かなりベタだが、一応行程が完成した。

あとはその日を待つだけだ。





えきねっと:

http://jreast.eki-net.com/





もこ太郎の平成阿房列車

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「あの列車に飛び込めたら、どれだけ楽になれるだろうか…」











2011年3月11日


あの大震災が発生してから1か月余り経過したある日…




役所から離婚承認の通知が、何の前触れも無く届けられた。




離婚届はいつ出しても受理されるような形になっていた。

しかし元妻がそれを役所に届けたという旨は、私は全く聞いていなかった。


元妻とは寄りを戻したいとは思わなかったので、大したショックは受けなかった。

ただ2歳になったばかりの娘とはどうしても離れたくなかった…





しばらくして、私の元におびただしい数と額のクレジット支払請求書が届けられた。

元妻が、離婚する直前に私の名義で借金を作っていたのだ。

即座に弁護士に相談して自己破産は免れた。

だが確実にブラックリストに私の名前が載っただろう。



離婚と同時期に会社の組織変更があってからは、仕事が思うようにできない。進まない。

上司や先輩、後輩にとどまらず、会社全体、挙句の果てに客先にまで…

私に関わる人全員に迷惑をかけ続けている。


離婚のせいにはしたくない。

でも自分の仕事ぶりを画期的に変えるようなパワーなど、ある筈もなかった。



それでも娘のために、元妻とよりを戻そうと思った。

それは実現し、3人で同居を行った。


結局無駄であった。

同居を始めて1ヶ月あまり経過したある日のことだった。

元妻は娘と私の車と一緒に突然姿を消した。


それからしばらくして、私は鬱を患った。
夏も本番に入る、7月中旬の頃であった。







もう 何もかもが どうでも良くなってきた




いっそ、通勤で使用している電車に身を投げてしまいたいとまで思い始めた。



列車に飛び込むチャンスは毎日、幾度となく訪れていた。
しかし、死ねなかった。

「死ぬのは簡単だ」と人は言う。

だがやはり、死ぬには相当の勇気と決断が必要であった。
私にはその勇気がなかった。




ろくに死ぬことすらできない…


私はますます自己嫌悪に陥る…







ある日、少し発想を変えて、あてもない旅に出てみようと思った。


何にも用事が無いけれど、列車で旅に出てみよう。



生まれて初めて「青春18きっぷ」を購入して、

生まれて初めて一人で遠くまで列車で旅をする。


今までしたくても、なかなかできなかった。

死ぬのはそれからでも遅くないだろう…

そう考えて旅に出ました。









しかし、私はその旅でかけがえのない体験をしました。








鉄道の旅は、私に生きる希望をもたらしました。

鉄道によって命を落とそうと考えていた私が、鉄道によって命を救われました。




今後は2度と「死にたい」など、

少なくとも、何があっても「列車に飛び込みたい」などと思わないと誓いました。



私には、鉄道に恩返しをする義務があると考えています。




このブログにて、私の鉄道旅の回想と、鉄道の素晴らしさを伝えていくとともに、

ブログを読んで頂いた方に、

少しでも鉄道に興味を持って頂きたい

そして、鉄道に身を投げる人が一人でも減ってほしい

という私の願いがこもっています。




鉄道は、決まった時間に、決まった道の上を走る事しかできません。

しかし、






鉄道でしか行けない場所があります。

鉄道でしか見れない景色があります。

鉄道でしか味わえない感動が、喜びがあります。


たった1枚の切符を持っているだけで、それが叶うのです。







では、「もこ太郎の平成阿房列車」、スタートです。

(写真は平成23年8月11日「ムーンライト信州81号」新宿駅にて)




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