第1旅第2章:出発 | もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!

2011年8月11日



仕事から帰宅してすぐに旅立ちの準備に取り掛かる。


事前にディスカウントストアで買っておいた安物のスポーツバッグに3、4日分の着替えと、一眼レフデジタルカメラをおもむろに詰め込む。


このカメラは、娘の成長過程を記録する為に、ボーナスをはたいて購入したものであった。


しかし今後は役割を変えて、私の旅の記録を残す為に活躍してもらう。



最後に「ムーンライト信州」の指定券、そして抗鬱剤を持った事を確認して、家を出た。



最寄り駅にて青春18きっぷを購入。しかし、すぐには18きっぷは使用しない。

日付変更時のムーンライト信州内での検札の時に使用するのである。


私の最寄り駅は、JR高崎線にある本庄駅。

始点の上野から普通列車で1時間半かかる場所にある。
高崎線の熊谷駅以北の区間の中では高崎、籠原についで3番目に利用者の多い駅である。
朝の通勤時間帯の上り列車は、ここ本庄駅でだいたいシートが一杯になってしまう。

また本庄市には私立高校が何校か存在する。

朝の下り列車から、大勢の学生が下車して来る事もしばしばである。


ちなみにこの本庄駅の発車メロディーは「JR-SH7」と呼ばれる曲である。

この曲はタイトルからも分かるように、特定の駅だけで使用される曲ではない。JRのいろんな駅で標準的に使われても良い曲なのである。

しかしこの曲は、本庄駅の他には茅ヶ崎駅、しかもホームライナーが発車する4番線しか使用されておらず、珍しい発車メロディーなのである。



20時35分発上りの上野行き普通列車に乗り込む。
夜の上り列車は空席が目立っていた。朝とは全く違う様相だ。


1時間ほどで大宮に到着。それまで自分は何を考えていたのか、まったく覚えていない。

まだ時間がある。大宮のエキュートで夕飯を食べることにした。
話題のカニチャーハンの店で、カニ玉チャーハンを頂く。
なかなか美味い。久しぶりに食べることの幸せを感じた。

ここの所しばらく、夕飯といえば第3のビールと一緒に缶詰程度しか取っていなかったからだ。
腹が減っては列車も乗れぬ、と自身に言い聞かせてみる。


食後に、本屋に立ち寄ってみた。是非とも欲しいものがあった。



生まれて初めて購入する時刻表。


大きなB5版の時刻表は、持って歩くのには不便さを感じるのでは?と思った。

なのでB6版の交通新聞社発行「コンパス時刻表」を購入した。


もこ太郎の平成阿房列車


大宮からは埼京線に乗って、新宿まで移動する。
大宮の埼京線ホームは、地下にある。
新幹線のホームよりも大きな数字の19番線~22番線が埼京線のホームになる。

つまり、埼京線は東北新幹線より歴史が浅いのである。




埼京線の車両の中で、購入したばかりの時刻表を開いてみる。

すると、最初のさくいん地図の横に、痛ましい注意書きがあった。


「東日本大震災等の影響により、列車の運休やダイヤ変更が発生している区間があります」


その日は大震災が起きてからちょうど5か月経った日であった。

私には、運休になっている路線の、一日も早い復興を願うことしかできなかった。



大宮から40分ほどで新宿に到着。
深夜にも関わらず、コンコースには人がひっきりなしに往来している。


9番線ホームで待つこと数十分。

グリーンをベースにした車両がゆっくり入線してきた。
ホームにいた人々は一斉に、カメラを列車に向ける。
いよいよムーンライト信州の御出ましだ。


列車の扉が開き、大勢の乗客が車内になだれ込む。


いろんな人がいる…


家族連れ


山を目指す人




私は窓際の席に座る。しばらくして座席は満席となった。
出発時間が近づいてくる。



さあ列車よ、私をどんな旅にいざなってくれるのか?
私にどんな感動を与えてくれるんだ?



数分の遅れをもって、列車は新宿を発とうとしている…




物語の続きはこちらをクリック




人気ブログランキングへ