第10旅最終章:和歌山電鐵貴志川線 | もこ太郎の平成阿房列車

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和歌山駅は、5面8線のホームを構える、県下最大のターミナル駅。
特急「くろしお」以外の列車は全て、和歌山駅が始発駅、或いは終着駅となる。
阪和線、紀勢本線、和歌山線といったJRの各路線が、東西南北から乗り入れている。
そのため、和歌山駅のホームは1番線から8番線(6番線は欠番)まで、線路が途切れることなく南北に伸びる形になっている。
各ホーム間の移動は、北側に地下道、南側に跨線橋が設置されており、2通りの移動手段がある。

例外は9番線ホームである。

9番線の線路は北側に車止めが施され、途中で切られている。
跨線橋は9番線ホームには架けられておらず、地下道を利用しないと移動できない。


その異彩を放っている9番線ホームこそ、次に乗車する路線、

和歌山電鐵貴志川線

のホームとなっている。


貴志川線はおよそ10年前まで、南海電鉄が経営する路線であった。
利用者の減少に伴い、2006年4月に経営を和歌山電鐵に譲渡した。

全国的に「和歌山電鐵」という名前が知れ渡っているが、私を含む地元の住人は、昔からの「貴志川線」という言い回しの方がしっくりくる。
よって、以降は「貴志川線」と呼ばせて頂く。



和歌山駅構内へ戻り、中央改札口で、改札氏に貴志川線に乗車する旨を伝えて、切符を持たずに改札を通してもらう。
県を代表する駅にしては、あまり整備された形跡のない、すすけた感じの地下道を抜け、問題の9番線に駆け上がる。



階段を上がりきったところに中間改札があり、そこで1日フリー切符を購入。



スクラッチを削る事により、乗車年月日を記録すると言う、珍しい形態の乗車券だ。

ホームには、既に貴志行きの列車が入線していた。



猫の顔をかたどった、ジョイフルトレインとも呼べそうな列車。
車内も凝った作りになっている。



貴志川線は、このような列車が常時運行されているようだ。


車内に乗り込んで間もなく、猫型電車は貴志に向けて出発した。


和歌山から2つ目の駅「日前宮」が、私の出身高校の最寄り駅となる。
しかし私は、自宅から高校まで自転車で通っていたので、電車通学というものを一度も経験した事が無い。

日前宮駅を過ぎて、列車は大きく右にカーブ。
90度旋回した後、田園と住宅が織り交ざる真ん中を、しばらく真っ直ぐ走ってゆく。

南海電鉄時代の貴志川線に、私は学生時代に1度だけ乗った事がある。
沿線に免許センターがあり、免許更新の手続きに行ったときの事だ。
今でこそ、「交通センター前」という駅が、免許センターに隣接されているが、当時はその駅がまだ無く、隣の「岡崎前」から相当の距離を歩いて免許センターに行った覚えがある。
当時の車両も、何の変哲の無い、普通の南海電鉄の車両であった。

その交通センター前駅、岡崎前駅を過ぎて、「伊太祁曽」という駅で列車の交換が行われる。

伊太祁曽駅を過ぎると、車窓はだんだん山間の様相を呈してくる。

列車は和歌山市から紀の川市に入った。
この紀の川市は、貴志川町を含む5つの町が合併してできた、比較的新しい市である。
言わずもがな、貴志川線の名前は、旧貴志川町に由来する。

その紀の川市に入って間もなく、「大池遊園」という駅に着いた。
駅名の通り、大きな池を有する公園の最寄り駅である。
幼少の頃、親に連れられてここに遊びに来た記憶がある(ただしその時は、車での訪問であった)。
この駅、及び公園の読みは、「おおいけゆうえん」ではなく、「おいけゆうえん」である。
これは地元の住民が、この公園を呼ぶときの読みであり、私も幼少の頃から、この呼び方を定着させている。
ちなみにこの大池は、幽霊が出るという噂があった。
あくまで噂(しかも、相当古い)なので、真に受けないでいただきたい。


記憶をいろいろ呼び起こしながら、列車は約30分の運行を経て、終点「貴志」に到着した。



降りたのは、何の変哲も無い1面1線の単式ホーム。
しかし駅舎は真新しく、駅舎と呼ぶよりも、何かのミュージアムと言った方がしっくり来るような印象だ。
人だかりもそれなりにできている。








駅舎には、カフェまで併設されている。

そして、通路を挟んでそのカフェの反対側に、ガラス張りされた展示室のような小さなスペースがある。
いよいよ、貴志川線のシンボルとのご対面だ。



貴志駅の駅長、三毛猫の「たま」。
今乗ってきた猫型電車はもちろん、貴志駅の駅舎のつくりも、このたまをモチーフにしている。
ここにいる人たちの大半は、たま見たさにやって来ている。
人だかりは、この展示室の周りに集中している。

たまのお陰で、貴志川線は廃線の危機を逃れたと言っても過言ではないだろう。
それどころか、この貴志川線を一躍全国区に押し上げたのだ。
まさにたまは、貴志川線の、そして和歌山の救世主なのである。

私は、生まれ故郷が活性化し、貴志川線の存続を喜ぶ反面、あのひなびた感じの、昔の貴志川線からすっかり変わってしまった現状を、少々寂しく感じてしまった。

複雑な思いが交錯したまま、私は和歌山に戻った。






和歌山駅で、父の出迎えを受けた。
父と兄は、私の帰郷を歓迎してくれた。
しかし離婚の件 については、当然の如く咎められた。
肉親の信頼を失う結果となったのだから、ある程度覚悟していたが、やはりキツかった。
特に、私が小さいころから、特に私のことを攻めたりしなかった兄の言葉がかなりしみた。

そのときは分からなかったが、今となって、叱ってくれる家族がいるという事は、自分はまだ恵まれているのだ、有難い事なのだと思う。

やはり家族は大切にしなければいけない

素直にそう思える。



翌11月27日
母親の十三回忌法要は、滞りなく行われた。
その夜、夜行バスで生まれ故郷を後にした。



※今回の旅の軌跡は、省略させて頂きます。



※この旅で初めて乗車した区間

 南海本線(なんば~岸里玉出 間)

 南海高野線(岸里玉出~極楽橋 間)

 南海鋼索線(極楽橋~高野山 間:全区間完乗達成)

 和歌山線(橋本~和歌山 間)

 和歌山電鉄貴志川線(和歌山~貴志 間:全区間完乗達成)


 

 





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