『つれもて行こら』
という言葉がある。
これは紀州弁を代表する言葉で「一緒に行きましょう」という意味である。
私の大好きな言葉だ。
私の離婚により、和歌山にいる私の父親をはじめ、多くの親類に多大な迷惑を掛けてしまった。
父親には勘当扱いされ、私が故郷に足を踏み入れることは絶対に許されないだろう。
愛着のあるこの言葉を、生の会話で聞くことも今後二度と無いのであろう。
私は、勝手にそう思いこんでいた。
しかし晩秋のある日、父親から突然連絡が入った。
「今年はお母ちゃんの法事や、帰ってくるやろ?」
その年は、私の母親の十三回忌を控えていた。
母親に対する供養も、今後は叶わないのかと思っていたところに届いた、朗報とも言うべき連絡であった。
私は早速帰郷の準備を始めた。
父親には何を言われても良いが、せめて母親の前に姿を現す際は、恥ずかしくない格好をしたい。
フトコロは相変わらず寂しいが、奮発してフォーマルスーツを新調した。
しかしそのお蔭で、交通費に出費をかけられる余裕が無くなった。
東京~大阪間を新幹線で往復するなどもってのほかだ。
(無論、金額に余裕があっても新幹線には乗りたくないが)
18きっぷも、快速ムーンライトも無い時期である。
不本意ではあるが、私は格安の『夜行バス』の予約を取った。
2011年11月25日深夜
新宿駅西口バスターミナルから、南海難波駅行きの夜行バスに乗り込む。
金額を抑えたため、シートは全席4列、トイレなしという最低ランクのバス。
車内は鉄道のそれよりも狭苦しいイメージである。
シートに座ると、少し腕の力を緩めるだけで、隣の人の肘が当たりそうである。
それが嫌で、右側の窓際に座る私は、窓の方に体を90度近く傾け、その状態で移動時間の大半を過ごした。
ここまで苦労してまで、夜行バスに乗る理由があったのだ。
法事の日取りは11月27日。
不謹慎である事は分かっているが、帰郷したついでに、前日に是非ともしておきたいことがあった。
11月26日早朝
不自然な体勢で長時間を過ごしたため、難波に着いたころには体中に変な感覚が残った。
軋む体を無理やり動かし、バスから下車する。
大阪は関東より日の出が30分程遅く、6時を過ぎているのにまだ少々薄暗い。
バス停から、大阪ミナミの一大ターミナル、南海難波駅の異常なまでに大きい駅ビルがそびえたつのが見える。
駅ビルの北口から侵入すると、改札のある3階まで直通の、巨大な階段とエスカレーターが姿を現す。
土曜の早朝という事もあり、人もまばらで有る為、1階から3階までの吹き抜けが、下からよく見渡せる。
私は関西のルールに則り、エスカレーターの『右側』に立った。
この駅で圧巻なのは、この階段・エスカレーターだけではない。
乗車券を購入し、改札を抜けると、そこに待っているのは9面8線、全線櫛型ホーム。
その壮大なホームを目の当たりにすると、思わず息をのみ込む。
私が幼いころから抱いている終着駅のイメージは、まさにこの難波駅なのである。
改めてこのホームを見ると、胸のあたりにジーンと込み上げてくるものがある。
改札を抜けて、向かって左から1番線、2番線…と続いてゆく。
1番線から4番線が、高野山方面に行く「高野線」ホーム。
5番線から8番線が、和歌山市方面に行く「南海本線」ホーム。
9番線が、関西国際空港直通の、あの奇抜な顔を持つ特急「ラピート」の乗車用ホームとなっている。
南海本線に乗車すれば、私の故郷の和歌山市に行けるのだが、今回は高野線に乗る事にする。
和歌山出身のクセに、高野線は、人生で一度も乗車したことが無い。
高野線は、是非とも乗りたい路線だったのだ。
3番線に、極楽橋行きの特急「こうや」が出発を待っている。

新宿からここまで、我慢して安いバスで移動して来たんだ。
ここからは、少し贅沢をして、自分へのご褒美として特急に乗ってもバチは当たらないだろう。
8時00分
すっかり明るくなった空を臨みながら、特急「こうや」は難波を発った。
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