犬吠駅から銚子行き列車に乗り、次の目的の駅に下車する。その間4分。
「海鹿島(あしかじま)駅」
先ほど下車した「西海鹿島駅」 の本家にあたる駅で、単式ホーム1面1線を有する。
それなりに立派で風情のある駅舎と待合室を有するこの駅は、改札口跡や窓口跡が残されており、昔は有人駅だった面影を残している(現在は完全無人化)。
また、関東地方最東端に位置する駅らしい。
国木田独歩や、竹久夢二の文学碑も近くにあるということだ。
西海鹿島駅訪問の記事では、方角の入った名前の駅は分家だという話をしたが、こういう駅も存在する。
例えば私の故郷にある、和歌山市の「和歌山駅」。
今や阪和線、紀勢本線、和歌山線、猫の「たま駅長」で有名になった和歌山電鐡貴志川線が乗り入れる一大ターミナル駅となっているが、私が生まれる少し前までは、「東和歌山駅」を名乗っていた。
路線の度重なる変更により、本家の元和歌山駅(現「紀和駅」)よりも大きい駅になってしまった為、のちに駅名の変更にまで至った。
これはいわゆる本家と分家の上下関係が後に逆転してしまった例である。
さらにこういう例もある。
今や新幹線の新しい終着駅となった「鹿児島中央駅」。
1日平均の乗車人員が、本家の「鹿児島駅」よりも10倍以上の差をつける程大きくなってしまった駅だが、本家の名前は変更されずに生き残っている。
一方鹿児島中央駅は、2003年まで「西鹿児島駅」を名乗っていた(さらにその前は、「武(たけ)駅」と名乗っていた)。
九州新幹線開通に伴うかたちで、現在の駅名に改名されたわけだが、私はもともとこの駅が持っていた風情というものが、この改名によって失われたのではないか?と思っている。
私が幼少の頃、「あさかぜ」や「富士」など、憧れのブルートレインの終着駅は「西鹿児島駅」であった。
幼少の私は漠然とながら、その見たこともない西鹿児島という駅にずっと思いを抱いていた。
あれから30年の時が経っている。時代は変わるべきものと言われればそれまでだが、あの時と同じような憧れを抱くことは2度と無いだろう。
この「鹿児島中央」という名前は公募で決定されたらしいが、候補の中には「西鹿児島」を現状維持にして欲しいという少数意見もあったらしい。
かの宮脇俊三先生の作品の中でも、集客の為に安直に改名された駅名をけぎらう描写が目立った。
(沓掛駅が中軽井沢駅に改名されたり、坊中駅が阿蘇駅に改名された例を取り上げていた)
話が大きく逸れてしまった。
海鹿島駅は、特に興味を惹く事柄も無かったので、6分後にやってくる外川行きの列車に乗って、次の駅に移動する予定であった。
しかし、この駅に着いた途端、激しい雨が降ってきたのである。
一人で使うには広すぎる待合室で、しばらく雨宿りをさせてもらった。
予定より30分遅れて、次の駅に向かった。
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