夕方5時を知らせる
町内のサイレンの音と同時に
母子センターで産声を上げ
この世に誕生した私

同時2700グラムと言えば
小さいとのことで
おっぱいをたくさん飲ませたと聞いた

すくすく育ちすぎ、
太りすぎて二歳半まで歩けず
居座っていたらしい

おっぱいもやめられず
母は、乳首に辛子を塗っていたと笑う

健康優良児として
郡大会で優勝したらしい

県大会では、歩けないからと、
落選してしまったとのこと

両親がB型で私がO型だったため
母親は、父親に責められたことがあったと
新聞の切り抜きを見せてくれたこともあった
自分家は、お金持ちだと勘違いしたり
ビンボーだと悔しかったり
酒乱の父親を持ち不幸だと嘆いたり
この母の元に生まれて良かったと
安堵したり
一文字の名前が嫌だと本気で怒り
母を困らせたり
『安寿と厨子王』の絵本が大好きで
寝る前に母親にねだって読んでもらったり
それも、『安寿と厨子王』の名前を
自分と弟に置き換えて
読んでもらうのが、お決まり…❣️
保育園では鼓笛隊のシンバルが嫌で
ピアニカに変えてもらわないと
登園しないと、だだをこねた。

そんな私だったが、
いつの間にか
いつも誰にでも、
いい人でいなければならないと
そしてなぜか理由が思い出せないのだが
自分なんかが目立ってはいけない
と、勝手に思い込むようになっていた

小学校の時に何かの代表を決める時や
トランペットの希望者を募る時に
『やりたい人は、手を挙げて』
と、司会者が言っても
内心では、やりたくてたまらないのに、
全く興味がない素振りをしていた。

そうやって育ってきた

小学校を卒業すると、
酒乱の父親の元から
逃げ出したかったのか⁈
(後に母に多分そうだったんだろうと、言われたが、本当の所、自分でもわからない)
隣町に住む母親の実姉である
大好きな『みーちゃん』の養女になると
親元を離れた

父親も快く受け入れてくれた

そんな私のことを
卒業した小学校の校長が
親が育てられないから
『養女に出されたかわいそうな子』と、
地元の中学の入学式の時に
話していたと母が
近所の同級生の親から聞いたと言う。

隣町でありながら方言が全く違い
戸惑いながらも、友達ができ
大好きなみーちゃんと喧嘩しながらも、
あっと言う間に6年が過ぎた。

高校卒業を目前に
専業主婦であった母親のようには
なりたくない!と、言う気持ちがあった。
お金に困らないように
手に職をつけることしか
選択肢がないものと、
将来を勝手に決めていた。
高校を卒業した夏、
みーちゃんは帰らぬ人となった
病院に就職し看護学生となっていた私は
自力で2年間の
准看護師の学校を卒業した。
そして、准看護師の仕事をしながら
夜間の専門学校に3年間通い
正看護師になった。
そして夫と知り合い結婚し
夫の実家である、
この街に引っ越してきた。
3人の子供達にも恵まれ
仕事と(殆どしてない) 子育て・家事だが
それなりに、その時は必死だった。
早く子育てが終わらないものかと
願ったりもした

事情があり、
舅が亡くなってからは、
実家とは別に
市内に土地を購入し
姑との二世帯住宅も建てた

末っ子が今年二十歳を迎える
そしてこの春、
約22年間勤めた職場を退職した

人間不審になったり、
自殺を考えたり、
この職業ならではの
ヒヤッとすることや
人の臨終も何度も体験した

本当に貴重な
色々な経験をさせてもらった

辞めた理由をよく聞かれるのだが、
仕事が嫌だったのではない

自分の考え方の癖を変えるだけで
人生は生きやすくなること、
健康について仕事上の
看護師としての立場上だけでなく、
もっと本音で話を聞いたり
私の知り得た情報を
興味のある方に伝えたかったのだ

約10年程前にメンターと出逢い
私の人生観は変わった

考え方の癖を変えることができたのだ

これは私の人生において
非常に大きな大きな出来事だった

日常に追われ、ここまで
今までの人生をこうやって
ゆっくり振り返ることなど、
今まで一度もなかった

思い出すことで、
私って、すごい❣️
よくやってきた❣️
と、つくづく思った

人としてこの身体を借り受け
今まで体験してきた全てのことが
ベストなタイミングで
必然な出来事だったのだと
改めて感謝した

思い出にふけり懐かしんでいたら
父親から『おめでとうメール』が届いた
そこで、少し照れ臭かったが
ここで思い切って
感謝の言葉を返してみた

『この世に誕生させてくれた
両親への感謝への気持ち。
今までの良い思い出と嫌だった思い出
でも、どれも必要な体験で
そこで多くの学びを得たこと
全てにおいて感謝している』と。
すると、父親からも
『こんなオヤジの元で
良い娘に育ってくれて、
こちらこそ、ありがとう』
と、返事が来た。
涙が流れた。
幼い頃からの父親へのわだかまりが
すーっと取れたような気がした

携帯を持たない母からは電話が来た。
父親からメールの内容を聞いたと、
母からも、『おめでとう。ありがとう』と。
こんな私に何故か自分からの
プレゼントをしたくなった

こんな気持ちは、もちろん初めて(≧∇≦)
いつもの『これ、自分へのご褒美』って
言う軽いノリじゃなく、
本当に今までよく頑張ってきた
私への
感謝と敬意を込めてっていう感じ

大好きな
『カサブランカの花束』にしよ❣️
お店に行って
わざわざプレゼント包装をしてもらい
自分のために部屋に飾った

去年は、子供達からのプレゼントとして
カサブランカをもらったのだが
今年は、
『特注のバースデーケーキ』だと
聞き出したからσ(^_^;)
そして夜には、
特注のバースデーケーキで
お祝いしてくれた。
表立ってケーキの看板は出してない
雑貨屋さんの一角にあるカフェ
職場の人から聞きつけたと
メニューにないピーチタルトのケーキ
ピーチで薔薇が表現してあり、なんとも
お❣️さ❣️れ❣️
手作りクッキーに我が家の愛犬三匹の
可愛らしい絵が描かれてあり、
ハッピーバースデーのメッセージが

次女の呼び掛けに
姉と弟も乗ってくれたとのこと

そして、こんな嬉しい言葉も添えられた
『こんな家族を作ってくれてありがとう』
あ〜〜なんて、私は幸せ者なのだろう

こんな私だけど、
いいとこも、悪いとこも
全部ひっくるめて、
『全て、ありのままでいい❣️』
『存在するだけで、あなたは
宇宙に貢献している』
『ありのままで完全です』
と、ゆきのさんから教わった

自己受容できた私を
いつもよりた〜くさん
褒めてあげよっと(≧∇≦)

先日から始めたFacebookのおかげで
今日はたくさんの方々から
お祝いメッセージを頂いた

こんな温かい素敵な方々に
囲まれて生きている自分は
本当に幸せ者だと心底思った

家族も含め、どこにいても
私と繋がって下さってる皆さん、
本当にありがとうございます。o(^▽^)o
私はこれからも、
楽しみながら
豊かに面白く
人生を突き進んでいきますよ(^-^)/
宇宙よ、今日もありがとうm(_ _)m