建築のたびを写真とともに綴るmokonote/モコノート
江戸時代前期、良尚法親王が
「御所の北から修学院離宮に近い現在の地に移し、
造営に苦心された」という『曼殊院』
【2008.03.07】
■『曼殊院 門跡(まんしゅいん もんぜき)』※写真撮影制限あり
■良尚法親王(りょうしょうほうしんのう★1)監修
★1:後水尾上皇の猶子(ゆうし)
■日本、京都市左京区一乗寺、比叡山の麓・東山連峰の山裾
~後水尾上皇監修による『修学院離宮』から山裾の道沿いを下る、徒歩10~15分~
《北通用門越しに【庫裡】を見る》
唐破風の下に見える扁額“媚竈(びそう★2)”の文字は、
親王宸筆によるもの
★2:論語の「その奥に媚びんよりは、むしろ竈(かまど)に媚びよ」からくるもので、
“奥のお神を祭ることよりも、竈で働く人を大切にする”親王の思いやりが込められている様です
+.+つづく+.+